第4話 蟹江登一、今作と次回作を語る

 「だから、誠正せいせい出版で、小説を出してみないか、ということ。いきなり単行本でもいいし、『誠正』や『シンセル』の連載でもいい」

 「はあ」

 蟹江かにえ登一とういちは、まだわかっていない。

 または、わかっていないふりをしている。

 「木庭こば晴恵はるえの家、なんて場所で出会ったのが、縁だ。縁っていうより、寺中てらなか教授はそういう出会いを期待して蟹江君を呼んだわけだから。だから、助けると思って、やってくれないかな」

 「いや、助ける、って」

と蟹江登一はとまどってみせる。

 内村うちむらおさむは遮るように、言う。

 「陽風ようふう社って小さい出版社で『スタディオン』で一万部を売り上げた蟹江君だ。期待の新人だ」

 「いや、あれは」

と蟹江登一はさらにとまどってみせる。

 「上中下三巻だったから一万部行ったんで。しかも、中巻、下巻と売り上げは落ちてますし」

 「それでも、下巻までちゃんと買った読者が二千はいたわけだろう?」

 「まあ、そうですが」

 「しかも、原稿用紙七千枚? あ、いや、ぼくらはすぐ四百字詰め原稿用紙で言うんだけど」

 「まあ、百五十万字、ってとこですかね」

 「さらっ、と、百五十万とか言えるところがすごいもんだ」

 「いえ」

と蟹江登一が答える。

 「『白鯨はくげい』とか『海底二万里』とか、そういう感じのものを書いてみたくて。あんまり、そういう感じにはなってませんけど」

 「ああ、いや」

と内村修が言う。

 「主人公がカルタゴ出身で、その「外部の目」で紀元前一世紀のローマの制度を詳しく説明するとか、何を書くにもきちんと説明がある。それは、まさに『白鯨』や『海底二万里』とおんなじような方法じゃないか」

 「えっと、ですね」

と、蟹江登一は、あまり嬉しそうではなく、あらたまって、言う。

 「木庭晴恵さんは、さっき、『スタディオン』は人間を描けている、っておっしゃったんですけど、ぼくは、人間を描いた、ってつもりはないんです。それに、お世話になっておいて悪いですけど、寺中先生の、幾何学の証明のよう、って評価は、まるで意味不明で」

 「気にする必要はない」

と内村修が言う。

 「あれって、もとは論文か何か、少なくとも学術書のつもりだったんでしょ?」

 蟹江登一は、はっ、と頭を上げた。

 「どうしてわかった?」ということだろう。

 「博士論文を書くときに集めたもので、論文には使えない材料とかをつないで、作った物語で。だから、最初のほうとか、自分でボツにした単発論文の一部分が残っていたりとかして」

 「寺中教授が「幾何学の証明」って言ってたのは、そういうところの言いかたに学術論文らしさが残っていたりするからじゃないかな」

と内村修が言う。蟹江登一が、恥ずかしそうに

「だから、あれ、ほんとは書き直したい部分なんですけど」

と言うと、内村修は

「直す必要はないさ。あれで、だれかに感情移入するんじゃなくて、事実を述べていきますよ、っていうのが印象づけられる」

と言う。続ける。

 「で、次回作、っていうか、次は何が書きたい、っていうのは、その心のなかにあるんだろう?」

 「あ、はい。あ」

 最後の「あ」は、もし熟慮する時間があれば「はい」とは答えなかったのに、ということなのか。

 でも、「はい」と答えてしまった。

 「実験小説みたいなものなんですけどね」

と蟹江登一は言う。

 「「神の視点」ってことばがあるじゃないですか。でも、それ、一神教の神の発想ですよね?」

 「うん」

と内村修がうなずく。

 「『スタディオン』を書いててちょっと思ったんですけど、多神教だと、神様は人間の知らないことも知ってるしできないこともできるんだけど、でも、それぞれ立場があるわけで、立場によってものの見かたが違ったりするんですよ。どの人間、どの国の味方をするかも違いますし」

 そこで蟹江登一は少し息をついた。

 「人間の視点も多数だけど、神の視点も多数、って、そういう小説が書けないかな、って、いま試しているところです」

 「じゃあ」

と内村修がカップを置いて、両手を握って膝の上に置いた。

 「できあがったら、見せてくれないかな」

 「あの」

と蟹江登一は、その堂々とした姿勢になった内村修を、上目づかいで見る。

 「『スタディオン』みたいな歴史物じゃなくて、ファンタジーがかった現代物ですけど、いいですか?」

 「もちろん」

と内村修は言う。

 「じゃあ」

と、蟹江登一も、背筋を伸ばした。

 「ネット上に「ストーリーテラーズ」っていう小説投稿サイトがあるのはご存じですか?」

 「うん」

 「そこに、ひらがなで「くらべー」、最後の一文字は棒、っていうか長音符号ですけど、そのくらべーっていうのがぼくで、そのなかの『邪神様と邪神様が戦ったらどうなるのでしょうか』っていうのがそれです。いま五十話ぐらいまで行ってます」

 「なるほど」

と内村修はうなった。

 「小説投稿サイトと来たか。そりゃそうだよなぁ」

 「ほかに、アホな日記とか、木庭晴恵が軽蔑するような異世界ファンタジーとかもありますから、よかったら」

 「それを知ってたら、寺中教授も蟹江君をこの会に招いたりはしなかっただろうな」

 「ああ」

と、蟹江登一は自信たっぷりに微笑した。

 「寺中先生にもお教えしたんですけどね。でも、見ていらっしゃらないようで」

 「ますます気に入った」

と言って、内村修は笑った。

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