龍と魔女 (7)
簡単どころじゃない。不可能に近いってのが正直なところだ。だが、だからといって立ち止まってるわけにはいかない。時間は確実に迫ってる。化け物が鏡の支柱を倒す、それ以外に方法がないなら、やるしかないんだ。儂らは必死にその方法を考えた。考えに考えたが、まともな案は何一つ浮かばなかった。
そうして半ばやけになった儂は、ついに声を張り上げた。『おい! そこの騎士、聞こえてんのか!?』
騎士に向かって怒鳴りつけながら、儂は必死で鏡の支柱を指さした。『壊せ、そこだ! そこを壊せ!』
手当たり次第だが、これしか思いつかなかった。相手が敵だろうが味方だろうが関係ない。この化け物の背中にいる騎士が何かをする可能性に賭けたんだ。何度も何度も支柱を指差して怒鳴りつけたよ。
騎士の動きがぴたりと止まった。化け物の背中で、そいつがこちらをじっと見ているのが分かった。頭の中で何かを計算してるような、そんな雰囲気があったね。そして――」
店主はそこで言葉を区切ると、軽く息を整えるようにしてジョッキに手を伸ばした。そして、喉を潤しながらしばらく客席を見回すと、おどけたような笑みを浮かべた。
「さて、長くなってきたから今日はこの辺で……
いやいや、待て、そんな怖い顔すんなって。ちゃんとするからさ!」
態とらしくブンブンと手を振り回すと、話を続けた。
「突然だよ、あの騎士が――おい、ここでまた笑うなよ、儂だって信じられなかったんだから――親指を立ててみせたんだ。そして次の瞬間、化け物の中にすっと消えちまった。それと同時に、鏡の柱に向けて魔法が放たれたんだ。どうやら、意図を理解してくれたらしい。
でもな、これがまた。柱にできたのは、ほんの小さなくぼみだけだった。全員の間に静かな溜息が広がる。
『頑丈なのも考え物だな』って誰かが呟いた時、リーダーがすぐに問いかけてきた。
『おい、どうする?』
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、鏡から新たな魔法が放たれたんだ。今度は――明らかに儂らを狙った攻撃だった。
気づけば、儂はとっさに妖女をかばっていた。が、あの魔法の矢、直撃は免れたものの、太ももをかすめていったよ。『ぐっ』と歯を食いしばったが、声を漏らさずにはいられなかった。そいつは儂だけじゃない。精霊使いだって、腕を貫かれて苦痛に顔を歪めてた。
『抱き合ってる暇があったら、他に手はないのか?』
リーダーの声に、儂はっと我に返った。気がつけば妖女を抱きかかえたままだった。慌てて手を離したんだが、その妖女は怒りに目を燃やし、腰の後ろに結わえつけていた
そいつをぶんっと一降りすると、空気が一瞬ビリついた。
『おい……』
思わず声を漏らす儂の前で、妖女の目が鋭く光る。その杖を振りながら、踊るように動き始めたんだが、いや、あれはただの踊りじゃなかった。武闘の型みたいに力強い動きで、同時に何かの呪文を唱え始めたんだ。
『詠唱の邪魔だ』
そのとき、何かを察したのか精霊使いが言った。その言葉に、儂もリーダーも思わず動きを止めた。慌てて止めようとした手を引っ込めて、様子を見守るしかなかったよ。
妖女の周囲の空気が明らかに変わっていくのが分かった。周りの空気がざわめくような感覚がしてきたんだ。
『何かわからないが、彼女の呪文を助ける必要がある』
精霊使いのその言葉に、儂らは迷わずうなずいた。呪文が完成するまで時間を稼ぐ、それしか道は無かったからだ。儂とリーダーは妖女を囲むように立ち、あたりを警戒した。
そして、妖女の声が高く響いたんだ。
『ざわめき……うたい……ねがい……いでよ!』
そう叫びながら、杖を地面に突き刺したんだ。その瞬間、洞窟全体がびりびりと震えるような感覚に襲われたよ。杖が突き刺さった場所から波のような衝撃が広がっていく。いや、あの瞬間、何が起きたのか儂らにもわからなかった。ただ――なんというか、とんでもない力がそこから生まれたような気がした。
妖女の杖の先から放たれた光が洞窟の天井まで届いた時、洞窟全体が奇妙な光に包まれた。おいおい、何かすごいことが起こるんじゃないか――そう思った儂らだったが……
そうだ、みんな呑んでるか。どうだ、そこの兄ちゃん、エールでももう一杯頼まんか?
おーい、エールの追加だ」
商売熱心な店主が、客の追加オーダーを声高に叫ぶと、奥から少女がジョッキを持ってやってきた。
「突き立てた瞬間、儂らは目を見張った――が、そこに……なにも起こらなかったんだよ。ほんとに。静寂だけが、あの洞窟を支配してた。
一瞬、儂は『なんだこれ』って文句のひとつも言いかけたんだが、ふと思い出した。ほら、前に精霊使いが言ってただろ、呪文の中にはしばらく時間がかかるものがあるって。それで、ぐっとこらえて、少しだけ待つことにした。
けどな。待てども待てども、何にも起きない。あの化け物の攻撃はどんどん激しくなってきてるってのに、状況は一向に変わらん。化け物が鏡に向かって二度目の魔法を放つと、鏡がギシギシと不気味な音を立て始めた。でも、それ以上動きは無い。正直なところ、あいつが受けた龍殺しの魔法が少なくとも五度――いや、五度だぞ、五度も受けたのに平然としてるんだ。『流石』って言葉以外に何があるってんだ?
儂は流石にじれてな。思わず妖女に向かって『どうなってるんだ』って叫ぼうとしたんだ。けどな、その瞬間――」
店主はぐいっと空のジョッキを置き、大きく身振りで間を作る。
「ピキ――って音がしたんだ。ほんの小さな音だった。最初は気のせいかと思ったが、いや確かに聞こえた。ピキ、って。
その音とともに、妖女が杖を引き抜いたんだよ。するとだ、なんと地面に亀裂が走り出した。儂らは息を呑んでその光景を見つめてた。で――いきなり水だ。亀裂の中からどばどばっと水が噴き出してきたんだ!」
店主はジョッキを持ち上げる仕草をして、水が溢れる様子を再現する。客たちは思わず声を漏らす。
「おい、どういうことだって思うだろう? いや儂だってそうだったよ。みるみるうちに水が増えてな、足元を超えて、膝まできて――あっという間に腰のあたりまで水が来たんだ。そりゃ、軽くパニックだ。
『おい、大丈夫なんだろうな!?』って、儂、ほとんど叫んだよ。リーダーも精霊使いも、目を見開いて呆然としてるだけだし、誰も何も言わねぇんだ。そうしたらだよ――」
店主は一瞬言葉を切り、大げさに手を広げる。
「妖女が、いや、満面の笑みでこう言いやがったんだ。
『安心せい、妾は泳げる』ってよ!」
客たちは思わず噴き出す。
「アホかぁ! 何をどう安心しろって言うんだよって、儂とリーダー、揃って叫んじまったよ。だってな、水はまだまだ増え続けてるんだ。洞窟の中だぞ? 泳げるかどうかなんて関係ない! 儂らも全力でツッコミ入れたさ」
店主はそこで話を切り、ジョッキを掲げておどけてみせる。
「あのときは、本当に助かったのが奇跡としか言いようがないなぁ。全員、ずぶ濡れで、それでも何とか命だけは拾ったって感じだったんだ。洞窟から押し流されて、別の穴から吐き出されたときなんかは、本当にただ呆然としてたよ。
でも、やっとのことで乾いた岩場を見つけてな。そこで一息つけたんだ。誰も何も言わない。全員、びしょ濡れで、くたくたで、黙ったままその場に崩れ落ちたよ。リーダーでさえ、肩で息してたくらいだからな。『もし、今ここで
それから驚いたことに、足を失った斧使いのドノバンもちゃんとそこに横たわってたんだ。いや、あれは驚いたよ。てっきり水の中で流されちまったと思ってたからな。もっとも……残念ながら、ドノバンは血を失いすぎてた。あの状況で応急処置しかできなかったし、しばらくして息を引き取ったんだ。でもな、水の中でおぼれ死ぬのだけは免れた。それだけでも、せめてもの救いだったと思う。
で、誰が彼を助けたと思う? なんと、あの化け物の騎士だったんだよ!」
店主は大げさに両手を広げ、客たちの注意を引きつける。
「だがな、これを聞いて意外だって思うかもしれんが、儂らは不思議とそうは感じなかったんだ。この騎士はな、貴族様じゃなくて兵士なんだってことが、態度の端々でわかったんだよ。向かい合ってる戦場じゃ、お互い血みどろで殺し合うのが常だけどな、不思議なもんで、よっぽどの根性悪でなけりゃ、隣に怪我して倒れてる奴がいりゃ、助けてしまうもんなんだ。儂ら冒険者だってそうだろ? 戦場ってのは、そんな妙な連帯感がある場所でもあるんだよ」
店主はジョッキを手に取り、一口飲んで喉を潤すと、再び話を続けた。
「後になって知ったことなんだがな、あの化け物――あれに乗ってたのは騎士ひとりだけじゃなくて、他に三人の従者がいたらしい。だが、龍殺しの魔法を受けたとき、その従者たちは皆やられちまったそうだ。命拾いしたのは、あの騎士ひとりだけだったんだな。
そんでもってだ。どうやら、化け物の中から何とかはい出したところで、近くに流されてきたドノバンを見つけたらしい。それで、あまり深く考えもせずに肩をかして泳いだんだとさ。いや、なんて言うか、考えずにやっちまうってところが、逆に本物の戦士って感じがするよな」
店主は感慨深げに頷いてみせると、ぐっと腕を組んで言葉を締めくくった。
「そんなこんなで、全員生き延びた――いや、全員とはいかねぇか。でもな、あの場では、これ以上の奇跡は望めないってくらいには助かったんだよ。儂らにとっても、そして妖女にとってもな」
「『後は、侯爵に成功報酬をもらうだけだな』って、リーダーがそう言ったときだ。妖女はな、一瞬怪訝そうな顔をしたんだが……すぐに何か理解したように納得してうなずいたんだ」
店主はそう言って、目の前のジョッキを片手で持ち上げ、少しだけ揺らしてみせた。話に興味を惹きつけられている客たちを見回すと、満足げに口を開いた。
「妖女はこう言ったよ――『なるほど。殺してはおらぬが、妾の力はもう恐れるには及ばぬ。つまり、退治したと言うことか』ってな。そしたら、リーダーが軽く笑って『そう言うことだな』と返したんだよ」
店主はそのやり取りを再現するように、両手を広げ、まるでその場にいるかのように演じてみせる。客たちは興味津々といった様子だ。
「そこでな、儂もふと思ったことを妖女に聞いてみたんだ。『そういやぁ、あんな事して、土龍は大丈夫なのか?』ってな」
その問いに対する妖女の反応を思い出したのか、店主は微笑んで、少しだけ肩をすくめてみせた。
「そしたら、妖女が肩を軽くすくめて、年相応に可愛らしく笑ってこう答えたんだ。『モーラなら心配いらぬ。傷が癒えるまでの間、水の中で休むだけの事じゃ』ってな。いや、本当に、何の憂いも無い顔だったよ」
ここで店主は少し間を置き、視線を遠くに向けたように続けた。
「でもな、彼女の次の言葉が、何とも言えず儂らの胸にしみたんだ。『じゃが、もはや妾が守るべきものも、守るべき者も、何一つ残っておらぬがな』って、静かに言ったんだよ。まるで、深い谷底を覗き込むような目をしてた」
店主はその場の空気を感じさせるように黙り込み、ジョッキに口をつけた後、再び話を始めた。
「それからだな、儂らは何とか気力を振り絞って動き出した。まずは、斧使い――いや、ドノバンと騎士の従者たちのための墓を作ったよ。あの場に置いていくなんて、どうしてもできなかったからな。硬い岩場を使って墓標を立て、彼らが倒れた場所が二度と忘れ去られないようにしたんだ」
店主は拳を握ってテーブルに軽く打ち付ける仕草を見せる。その表情には、かつての仲間たちへの誓いが今も続いているような感情が浮かんでいた。
「そして……。儂らは侯爵領のはずれにある小さな砦を目指したんだ。あそこで侯爵が結果を待ってるはずだったからな。報酬も当然だが、それ以上に、これ以上のことを奴が企まぬように釘を刺す必要があったってわけだ」
店主はそこまで話すと、大きく息を吐き、最後の一口を飲み干してジョッキを机に置いた。
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