龍と魔女 (6)
「『何故助けた』――妖女の言葉はな、そりゃあもう甘かった。例えるならそうだな、砂糖菓子がとろけるみたいに甘い声だったよ。もし儂に、ほんの少しでも女にもてる素養があれば、きっとその場で目がハートになっていちころだっただろうよ。でもな、幸い――いや、不幸と言うべきか――儂はそういうのとは無縁でね。おかげで、あっという間に我に返れた。
だからな、そこ、嗤うなよ! それに『かあちゃんに告げ口されるぞ』なんて言うな。頼むから洒落にならん。まったく……」
店主は眉間にシワを寄せながらも、軽く笑いを誘うように肩をすくめると、テーブルを軽く叩いて続けた。
「ま、ここでリーダーなら洒落た殺し文句のひとつでも吐いて、彼女を丸め込んだんだろうが、儂は口下手でな。いや、違う、口下手なんじゃなくて、あれだ……実直なんだよ! そういうことにしといてくれ。
とにかく、妖女がそう問いかけてきたとき、儂は正直、すぐには答えられなかった。理由なんて考えちゃいなかったしな。だから、少し黙って考え込んじまったんだ。
すると妖女が、今度は詰め寄るように
『貴様らの目的は妾を殺すことであろう。放っておけば目的は果たせたはず。いや、自らの手でというならば、目的を果たせば良かろう』
って、きつい口調で言ってきた。
……いや、まあ、その通りなんだよ。儂らの依頼は、魔女退治だ。普通なら、あそこで彼女を倒すのが筋だったかもしれん。けど、そこで儂は、ついこう言っちまったんだ。
『いや、目的を果たすもなにも、目的はもう達してるから』ってな。
彼女が訝しげな顔をしたのは当然だろうよ。儂の言葉だけじゃさっぱり意味が通らんだろうからな。だから、少しリーダーの真似をして、理屈っぽく説明してみたんだ。
『俺らの目的は、侯爵の依頼を果たすこと。そして、侯爵の依頼は魔女退治。要するに無力化だな。今のあんたは、あんた自身の力はどうか知らんが、
すると彼女が、『だが、何故殺さぬ』って、また問いかけてくる。
そこで、儂は言ったさ。
『まず第一に、目的は退治であって殺害じゃないこと。第二に、退治のために殺すのは目的じゃなくて手段だってこと。そして、最後に』」
店主はそこで言葉を区切ると、にやりと笑みを浮かべて聴衆を見渡しながら、身を乗り出して続きを語った。
「『最後に』――って言ったら、妖女もつられて『最後に』って繰り返してきた。儂はここぞとばかりに、リーダーの決めゼリフを借りてこう言ってやった。
『最後に、生きて帰らなきゃ、目的は達成したとは言えないってことだ』ってな。
それを聞いて妖女は驚いた顔をしたが、すぐに何か考え込むような表情になって、それから首をかしげてこう言いやがった。
『だが、最後の生きて戻ることと妾を殺すのを止すことの関連がわからぬが』
いやいや、儂もな、そのとき気づいたんだよ。論理的な説得ってやつが、どうにも儂には向いてないらしいってことにね。
――ま、そんな具合に儂はお茶を濁しながら、必死で場をつないだってわけだ」
店主はそう締めくくると、エールをぐっと一口飲み干し、満足げな表情を浮かべながら話を続けた。
「『お楽しみの最中を、野暮なことして申し訳ないが』――リーダーの声が割って入ったとき、いやぁ、儂も心底ほっとしたよ。あのタイミングでの口出しってのは、どう考えても狙ってたとしか思えないんだが、まあ、さすがに彼なりの気遣いだったんだろう。リーダーの目配せにはいつもの鋭さがあってな、『ちとやばいんで、睦言を交わす代わりに助けていただけると大変助かるんですがねぇ』なんて、嫌みたっぷりに言いやがった。
妖女の方はというと、最初、何かいまいち話の意図がつかめてないようで、きりっとした表情で振り向いて『わかっておる。モーラの敵は討たねばならぬのだから』と一言。これがなんとも堂々としててな、一瞬だけ儂も『おお、これは頼りになるかも』なんて思っちまったよ。
だがな、ここからが問題だったんだ。
そのときだ、化け物の背中に、どこからともなく
そいつが化け物の背中でぐるりと周囲を見渡すと、低く響く声で何やら訳のわからない言葉を発した。あれが命令だったんだろうな、化け物は凄まじい唸り声を上げながら、鏡の方に向きを変えて動き出した。
儂らはその瞬間、心の中で『しめた!』って思ったね。そりゃあ逃げられるのは癪だが、こっちも死にたくはない。命を張ってまで戦う相手かって聞かれたら、正直、全員が『いや、そこまでしなくても』って思ってたはずだ。だから、あの化け物が鏡の中に戻るならそれで万々歳――そう、思ってたんだよ。
だが、そう簡単にはいかんかった。
『ダメだ、戻れぬぞ。その門は一方通行だ』ってな。
その言葉を聞いた瞬間、儂らの希望なんて粉々になったね。『なんだって!?』って叫んだのが誰か、正直覚えちゃいないが、多分、儂だったと思うよ。そりゃそうだろ、あんな化け物がこっちで暴れたまま居座るなんて、考えるだけで悪夢じゃないか。
妖女が続けてこう言った。
『あの門は、一方通行じゃ。入るのを止めることは出来るが、一度入ったものを戻すことはできぬ。それ故、ゲートとしては使われておらぬのじゃ。そして、妾も向こうの世界を見たことが無い故、良くは存ぜぬが、こちらからは向こうへ行くこともできぬ。それは光とて同様故、向こうからは見えるがこちらからは見えぬ。魔法も同様じゃ』ってな。
その時の妖女の顔はな、化粧が剥げたせいで青ざめているのがよくわかったよ。いや、化粧のせいじゃなくて、純粋に恐怖の色が浮かんでたんだろうな。儂らも同じだったさ――全員、無意識に固まっちまった。
その後のリーダーが呟いた言葉が、妙に儂の耳に残ってる。『なるほどな、これで侯爵も手を引いたか……』ってな。
全く、全員がこの場をどう切り抜けるかを考えるんじゃなくて、ひたすら『どうしたもんか』と頭を抱えた時間だったなぁ……」
「妖女の顔が、化粧なんて関係なく青ざめてるのがはっきり分かった。そりゃそうだろうよ、儂らだって似たようなもんだったんだからな。リーダーが低い声で『どうやって止めるんだ』って聞いたときの、張り詰めた空気は今でも覚えてるよ。
妖女は震える声で答えた。『化け物が来るときには、とてつもない異音がする。それを聞いたところで、モーラの力で門を抑えるのじゃ』
儂はその言葉に引っかかるものを感じて、思わず口を挟んだ。『……つまり、土龍のブレスの所為で異音が聞こえず、そいつが入ってきたってことか』
妖女は小さく頷いた。それを見たリーダーが、少し苛立ったように口を開いた。『とにかく、あいつを倒さないと話にならないってわけだな』
妖女は黙り込んだまま、じっと鏡に向かって突進しようとする化け物の姿を見つめていた。表情は硬く、儂にはどうにも何かを必死に考えようとしているように見えたが、それ以上の情報は出てこなかった。
化け物の背中にいた騎士の方はどうかというと、まるで
化け物は、
そのときだった。あの土龍を倒したのと同じような魔法が、再び鏡から放たれたんだ。
『ドゴン!』とでも言えばいいのか、大きな爆発音が響いた。
だが、驚くべきことに――いや、心底恐ろしいことに――化け物はその一撃を耐え切った。龍殺しの一撃だぞ? あれを防ぐなんて、あり得ないって思ってたが、そいつはびくともしなかった。
儂らは戦慄したさ。全員だ。
まず、この化け物があの龍殺しの一撃を防ぐだけの、とんでもない堅さを持っていること。次に、この化け物が一匹だけじゃない可能性が出てきたこと。それに、化け物同士がどうやら対立してるらしいってこと。そして最後――これが最悪なんだが――化け物が増えるかもしれないってことだ。
その最後の可能性を考えた瞬間、儂は心底ぞっとしたよ。悪夢なんて甘っちょろい表現じゃ足りないくらいの恐怖だった。
とはいえ、化け物も完全に無傷ってわけじゃなかったらしい。少しの間だが、動きが止まったんだ。最初はやられたのかと思って期待したが、それも束の間。ゆっくりと嘴の向きを動かし、鏡の方に魔法を放ちやがった。
『やめるのじゃ!!』――妖女が絶叫したその声をかき消すように、またしても轟音が洞窟に響き渡った。化け物が放った魔法は、鏡の表面で爆ぜて砕け散った。洞窟中に爆風が渦巻いて、儂らも立っているのがやっとだったよ。
爆発が収まった頃、化け物の背中にいた騎士もまた姿を現した。だが、そいつも呆然としているように見えたな。そりゃそうだろう、奴らにとっても想定外だったんだろうな、あの鏡が破壊されずに耐えたのは。
だが、儂らにとって問題なのは別だ。『あっちはこっちを撃てるのに、こっちからの攻撃は届かない』――そんな洒落にならない状況が目の前で展開されてたわけだからな。そして、防ぐ手立てだった
全く、あのときほど絶望って言葉を実感した瞬間は無かったよ……」
店主はそこで一息つくと、喉を鳴らしながらエールを飲み干した。ジョッキを置くと、少し肩をすくめながら続ける。
「『……打つ手無しかよ』――最初にそうぼやいたのは儂だったと思う。だが、すぐに妖女が鋭い声で言ったんだ。
『これ以上増えないようにする手はある』
その声が洞窟に響くと、全員が一斉に振り向いた。妖女は門をじっと見据え、きりっとした表情をしていた。
リーダーが少し身を乗り出して問いかける。『手……どんな手だ』
妖女は迷いも無く答えたよ。『門の支柱を壊せばよい』
その言葉に儂らは一瞬黙り込んだ。だが、すぐにリーダーが口を開いた。
『なるほど。同時に、侯爵の野望も壊されるってわけか』
ここまで来ると、儂らも依頼の真の目的をはっきりと理解してたからな。誰も異論を挟まなかった。素直にリーダーの言葉にうなずいたもんさ。
だが、当然次の疑問が湧く。
『だが、どうやって?』
『簡単に壊せるのか?』
儂らの問いかけに、妖女はふっと悲しげな笑みを浮かべた。その笑みが妙に胸に刺さったのを覚えているよ。そしてこう言ったんだ。
『モーラでも壊せぬ』
その言葉に、誰かが呟いた。『ということは……』
妖女は頷くように小さくうなずいてから言葉を続けた。
『ああ、あ奴に壊さす以外に手はあるまい』
唇の端をわずかに歪めて続けた言葉は、これまで以上に苦々しい響きを持っていたよ。『簡単とはいかぬがな』ってな。
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