龍と魔女 (4)
店主は身を乗り出し、手を鏡の縁を描くように動かしながら話を続ける。
「最初は光の中から何かぼんやりとした形が浮かび上がってきた。それがだんだんと輪郭を持ち、現れた姿――いや、あれは正直、化け物なんてもんじゃねぇ。儂らがこれまで見たどんなモンスターとも似ても似つかねぇ異形の存在だった」
店主は自分のジョッキを指で叩きながら続けた。
「あれを一言で説明しろって言われたらなぁ……そいつを見た瞬間に、儂は長い
店主は身を震わせるように両手を胸元で振るわせた。
「そいつが蛇みたいに手足が見えない状態で、祭壇の段差をぬるりと乗り越えてきたときには、全員の背筋が凍ったね。これが俺たちを襲うのか――そう思った瞬間、誰もが直感したよ。これは、やべぇってな」
店主の言葉が重々しく響く中、客たちの中には小さく唾を飲む者もいた。
「で、その続きがどうなったか? 聞きたきゃ、エールをもう一杯頼んでくれ! 話すのにも喉が乾くってもんだ」
「ほんの一瞬だ――我に返ったのは。でも、その一瞬で儂らは理解したよ。いや、理解しようとした。だって、妖女があの土龍が爆ぜたのを見て茫然としたまま動けずにいる――あの妖女がだぞ? そりゃ、気になるじゃねぇか。その目線の先、つまり鏡の方を、儂らも慌てて向き直った」
店主はジョッキを持つ手をわずかに震わせながら、客たちの顔を順に見回した。
「そして、見ちまったんだよ……その化け物をな。まさに鏡の中から現れてきたんだ。これ、比喩じゃないぞ。ほんとに鏡の中からだ。普通、そんなの聞いたら何かの隠喩かと思うだろう? でも違うんだ。そいつは、文字通り『鏡の中』から姿を現しやがったんだよ」
店主はぐいっとジョッキの中身をあおり、喉を潤した。そして、静かに言葉を続けた。
「地獄から這い出してきた――そうとしか言いようがねぇ化け物だった。どんなモンスターとも違う。いや、似ても似つかねぇ。長い
まあ儂には分からん。ただ言えるのは、そいつの姿があまりにも異様で、どの生き物にも似つかないってことだけだ」
店主は肩をすくめる仕草を見せ、両手でその「化け物」の形をなぞるように空中に描き始める。
「特に目を引いたのは、その嘴だよ。まるで巨大な鷲か何かの嘴をさらに異常に長くしたような形で、先端が鋭く、ぎらついてた。これがまた妙に動くんだ。あっちを向いたりこっちを向いたりして、儂らをじろじろ探るような感じだった。まるでその嘴が、目の代わりになってるみたいにな」
店主はその様子を再現するように、首を左右に振りながら「嘴」を動かす仕草をしてみせる。
「そいつの背中は、まるで鋼鉄の鎧だ。硬そうな表面に、ゴツゴツした模様が浮かび上がってた。
肌の色は黄色っぽくて、まるで毒トカゲみたいな毒々しい模様が全身を覆ってた。ただな、触るわけにはいかなかったが、あれは乾いて見えた。トカゲみたいな湿った感じじゃなく、乾燥してヒビが入ったような皮膚だ。それだけでもゾッとする」
店主はひと呼吸置いて、低く唸るように言った。
「でもな、何より儂らの度肝を抜いたのは――そいつにはしっぽが無かったんだよ。しっぽのある龍とかトカゲなら見慣れてるが、そいつはずんぐりしてやがった。それでいて、どういうわけか動きが俊敏だった。まるで、足も手もない蛇みたいに祭壇の段差をぬるりと乗り越えて、こっちに迫ってきたんだ」
店主は身振り手振りで「ぬるり」と這い出してくる様子を再現してみせる。
「そいつが動くたびに、すさまじい異音が洞窟全体に響き渡った。『ギギギギ』だとか『ゴゴゴゴ』だとか、そんな音だ。いや、何て言えばいいかな……ほら、古い水車が軋む音と、石が擦れる音を混ぜたような――そんな感じだ」
店主は話しながら、テーブルを指で叩き、軋む音の擬音を再現する。客たちはその音に息を呑んだ。
「祭壇を越えたそいつは、明らかに俺たちに向かってきてた。おい、こんな状況で逃げられる奴なんかいるか? いや、いたら教えてくれよ。儂らは全員、その場に凍りついてたよ。足が動かねぇ。体は反応しない。ただその異形の姿を目に焼き付けるしかなかった」
店主はジョッキを置き、手を広げて客たちに語りかける。
「お前ら、想像してみろよ。亀みたいな顔して、蛇みたいに這い回り、全身は毒々しい模様。そいつがぬるぬるっと迫ってくる。さあ、どうする? ……まあな、儂らもそのとき、ただ呆然として見てたわけじゃねぇ。次に何をするか、どうやって生き残るか――その場で考えを巡らせてたわけだ」
店主は身を乗り出し、声を低くして続けた。
「でもよ……結局、そのとき儂らが最初に思ったのは『こんなの勝てるのか?』ってことだったんだよ」
「真っ先に動いたのは、怪力の斧使いだった。いや、あいつは寡黙で冷静な奴だったが、戦いになると頭より体が先に動くタイプでな。こういう場面じゃ頼りになるんだよ。
あの化け物に駆け寄ると、両手で戦斧を大きく振りかぶった。斧を構えた姿だけで絵になるような奴だったが、そのときは、それ以上に迫力があった。
『行くぞおおお!』と、珍しく叫びながら振り下ろした渾身の一撃は、
だがな……その化け物は、槍を易々とはじきやがった。まるで、虫でも追い払うかのようにだ。あんな光景を見たのは初めてだったよ。精霊使いも『ありえない』って顔してたな。
それでも、斧使いの一撃は直撃した。避けるどころか、むしろ堂々と受けやがったんだ。正面からな。それでいて信じられるか? そいつ、全く無傷だったんだよ! いや、正確には、表面にうっすらと傷のようなものはついていた。でも、それだけだ。それだけで終わったんだ。
驚く間もなく、逆に斧使いの戦斧の先端が吹っ飛んだんだ。まるで、石臼に押しつぶされたみたいにな。
儂が斧使いを見たとき、奴は地面に転がって血まみれになった右手を抱えてた。戦斧の衝撃でしびれたんだろうな。まるで奇妙な踊りを踊るみたいに手足をバタつかせてたよ。でも、そうしてる間に、その化け物がゆっくり近づいてきやがった。
あいつはそのまま、反動でバランスを崩して後ずさり……いや、後ずさりどころじゃない、まともにはね飛ばされ、右足を化け物に踏みつぶされた。
そして、あの斧使いが、初めて悲鳴を上げたんだよ。張り裂けんばかりの絶叫だった。あの寡黙な奴がだぞ? あの瞬間だけで、こっちの士気がぐらっと揺らいだくらいだ。
精霊使いと魔法使いが、すぐにありったけの術をぶち込んだ。火の弾、氷の槍、風の刃、ありとあらゆる術が化け物を襲ったんだ。洞窟全体が光と音の嵐だよ。すさまじい迫力だったが――結果は惨憺たるものだった。
そいつは、火花を散らしながらその場に立ち続けてたんだ。ただ、そこに立ってるだけで、俺らの全力を受け止めてみせたんだよ!」
店主はここで手を振り下ろす仕草をして、語りに強弱をつける。
「そいつは、攻撃を全てやり過ごすと、今度は少し後ろに下がって動きを止めた。そして、ゆっくりと体を右へ左へと回転させ始めたんだ。威嚇してるんだろうが、これがまた不気味でな。左右に揺れるたびに、嘴がぎらぎらと光ってるんだよ。見てるだけで気が滅入るような光景だった。
その隙に、儂とリーダーは斧使いを助けようと駆け寄った。あいつの右手からは血がどくどく流れててな、見るからに痛々しかった。
『大丈夫か!』
『すまねぇ……すまねぇ……』
斧使いは悔しそうに顔をしかめてたが、それより儂らは急がなきゃならなかった。あの化け物がこっちを向いたら終わりだって、本能で分かってたからな。
その時だった――」
店主はテーブルを軽く叩いて息をつくと、聴衆の目をじっと見回した。話の続きが気になって仕方ない表情の客たちに満足そうにうなずき、再び語り始めた。
「化け物の方は、少し下がった位置で体を左右に回転させながら、こちらを威嚇してきていた。右へ、左へ――そのゆっくりとした動きがかえって不気味で、あいつが次に何をするのか、全く読めないんだ。とにかく威圧感が凄まじい。息を呑むってのは、まさにあの瞬間を言うんだろうな。
そんな時、視界の端で別の動きが見えたんだ。モーラ――あの土龍に向かって、魔女が何か叫びながら駆け寄っている。だが、そいつを気にしてる余裕なんてなかった。まずは斧使いだ。儂はリーダーと一緒に斧使いの脇に肩を入れて、どうにか動けるようにした。
『行くぞ、ほら、立て……いや無理か、背負うぞ』
重いんだが、この場で寝かせておくわけにもいかない。あんな化け物が暴れ回る空間だぞ? どんなに寡黙な斧使いだろうが、ここで命を落とされたら儂らの士気がガタ落ちだ。リーダーと二人で何とか斧使いを背負い、ずるずると洞窟の入り口あたりまで運び出した。
寝かせると、リーダーが化け物を睨みながら、ぽつりと呟いた。
『全く、どうしたモンだ』
こっちこそ、どうしたもんだか聞きたいくらいだ。だけど、そんな気持ちを隠して、軽口を返したよ。
『逃げるか?』
リーダーが振り返ってきたその目は、鋭く光ってた。
『逃げて追ってこられたらどうする?』
『通路は狭い。ギリギリ通れないんじゃないか、あの巨体じゃ』
そう、確かに洞窟の通路は、あの土龍のサイズじゃ通れないほど狭い。でもだ――あの化け物は土龍よりも細そうに見える。しかも、まだ洞窟内の地形全部を把握したわけじゃない。この先に別の出口がないとも限らんのだ。儂らの目が届かないところで、こっそり外に出られる道があったら? あんな化け物が世に放たれたら、想像しただけでぞっとする。だから逃げる選択肢は、少なくともその時点では無かった。
『全く、楽な仕事ってのはないモンだな。だが、依頼の真の目的が見えてきたぞ』
リーダーが、肩の装備を直しながらぼそりと呟いた。目は険しく、斧使いの傷に滲む血ではなく、例の化け物――鏡から現れた異形の存在に釘付けだった。
『
『異界の力?』
儂がそう問い返すと、リーダーは短く頷いて続けた。
『異界の力を呼び寄せるには、二つ方法がある。一つは、霊的な存在を引き寄せる
『そしてもう一つは?』
『
「リーダーは化け物を睨みながら続けた。
『招喚術では、大抵は魔方陣を使う。だが、それだけじゃ力不足だ。より強力な力を求める場合――異界との接点、《方門》を利用するんだよ』
その言葉に儂も合点がいった。
『なるほど、
『そういうことだ』
リーダーの表情は険しいままだったが、その奥には冷ややかな怒りのようなものも浮かんでいた。
『全く……侯爵め、自分の野心のためにとんでもないモノに手を出したな』
リーダーの声には皮肉が滲んでいた。
『だが、きっとあいつはこう考えたんだ――異界から得た力を使えば、帝国との国境争いを一気に終わらせられる、とな。軍を動かさずに勝利を得られるなら、王への忠誠と功績が一気に跳ね上がるだろうしな』
『だが、制御できると思ったのか?』
儂が口を挟むと、リーダーは鼻で笑いながら答えた。
『思ったんだろうさ。えらいさんなんて、そんなもんだ。自分たちが無謬で、どんな力も思い通りに扱えると信じ込んでる』
『全く、現場の苦労も知らねぇで……異界の力がそんな簡単に扱えるわけがねぇのにな』
儂がおどけて肩をすくめると、リーダーも苦笑いを浮かべた。だが、その笑みにはどこか哀れみが混じっていた。
『そりゃあ、あの侯爵もこんな龍殺しの怪物が出てくるなんて想像もしなかっただろうよ。大体、異界なんてのはこっちの理屈が通じるような場所じゃないんだ』
リーダーがそう言うと、儂も肩をすくめて言った。
『えらいさんの失敗は、いつも現場が尻拭いさせられるんだよな』
リーダーもそれに同意するように苦笑したが、少しだけ口元を引き締めた。そして――軽口のつもりなんだろうが、言ったんだ。
『まあ……倒せば"龍殺しの化け物を屠った者"、つまり"ドラゴンスレイヤー・キラー"って称号がつくかもな』
『……いやいや、そりゃいらんわ。いらなさ過ぎる称号だな』
全くだ、と思いっきり同意したさ」
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