龍と魔女 (3)

店主は片手で目を覆う仕草をしながら言った。

「その時の空気は、一気にピリッとしたぜ。龍と魔女――その二人相手にどう動くか、俺たちは瞬時に考えなきゃならなかった。さて……その後どうなったかは、エールを呑んでからだな」


「『出てこい、盗賊共。だがここには、貴様らが望むものなど何もないぞ』」

店主は、声色を少し高くして魔女の透き通る声を真似てみせた。

「なぁ、どう思う? 普通ならだ、まず何かしら威嚇するなり、あわてふためくなりするもんだろ? だが、この魔女さんは全く動じない。寝起きだってのに、そんなことは微塵も感じさせない声だった。これだけでも只者じゃないってわかるだろ?」


店主はジョッキを持ち上げて口元に運びつつ、続けた。

「ま、儂らもこの手の仕事は慣れてるからな。まずは軽くうなずきあって、声の主の方へ歩き出したよ。ただし、こっちだって冒険者だ。いつ何が起きても良いように、武器はしっかり握ってな。だが、いきなり構えて出るのも失礼だろう? 相手がまず話をしてくれるなら、それに乗るのが礼儀ってもんだ」


ここで店主は片手を上げ、話に引き込まれる客たちを見渡した。

「で、だ。その魔女、いや、妖女と言うべきか――初めてまともに姿を見たときは、正直、驚いたよ。なんていうか、いわゆる『魔女』のイメージって、よぼよぼの老婆とか、鼻の曲がった老婆とか、あとは、老婆とか……まあ、そんなもんだろう? ところがだ、出てきたのは――これがまた、妙に艶っぽい年増だ」


客席から笑い声が漏れる中、店主は慌てたように手を振った。

「おいおい、変な想像をするなよ。嫁には口止めしてくれよな! 冗談じゃない、しゃれにならんからな。けど、本当の話、黒いローブをまとってるもんだから、どちらかというと魔女っていうより巫女シビュラって感じだよ。なぁ、龍を奉る巫女――そんな風に思えてこないか?」


客がうなずき始めると、店主は勢いを増して語り続けた。

「でな、その魔女が、黒い長髪を腰までたらして、切れ長の目でじっと儂らを見据えるんだよ。いやぁ、あれは怖いっていうか、威圧感があったな。ローブ越しでもわかるんだ、嫁同様の見事な肢体プロポーションってやつがな」

え、おい、のろけるな、だから噛むんだ、だって?

「うるさい、うらやましいだろ。……覚えとけよ」

店主はここで少し間を置き、鈴の音のような高い声を真似てみせた。

「『お主らの望むような財宝など、ここには無い。即刻立ち去るがいい』――ってな!」

店主は手を広げて大げさに言い放つと、客たちの笑いを誘った。


「『お主らの望む様な財宝など、ここには無い。即刻立ち去るか』」

妖女の透き通る声が、広間に響いた。いや、それだけじゃない。響くというより、まるで胸に直接刺さってくるような、不思議な響きだったな。


「儂らは、顔を見合わせたよ。あの声を聞いた途端、全員が同じことを考えた――『この侯爵の野郎、またろくでもない手を使いやがったな』ってな。多分な、財宝の噂を流してごろつきどもを煽ったんだろうよ。だけど、どうやら上手くいかなかったらしい。そりゃそうだ。あんなの見たら普通の盗賊なんてひとたまりもない。

……いや、そもそも見た瞬間回れ右するな」


店主はジョッキを置いて、手を大きく振りかざした。

「で、妖女がさらに言いやがった。『それとも、此の世から去るか』ってな。いやぁ、これまた冷たくてぞくっとしたねぇ」


「そんとき、儂らのリーダーが言ったんだ――『それが、残念なことに俺たちが望むものは目の前にあるんだよ』ってな」


「『ほう、財宝ではないか。ならば、なんだ』――妖女が問い返してきたんだ。まるで、リーダーの言葉の裏を探るようにな」

店主は声を低くし、妖女の鋭い口調を真似た。


「リーダーがな、どう答えたもんかと逡巡してたその時だよ。隣にいた斧使いが、また妙に野太い声で叫びやがった。『魔女退治だ!』ってな」


客たちが笑い声を漏らすと、店主は肩をすくめた。

「全く、あいつはどこに行ってもでかい声出す癖があるんだ。あの時も、そんな大声出すから、妖女が鋭くこっちを睨みつけてきたんだよ。それで、『なるほど、侯め、考えおったな』って言いながら、土龍の方を向いて叫びやがった――『モーラ!』ってな」




店主は手で地面を指し、「どすん、どすん」と動きを真似る。

「そっからが大変だった。モーラって呼ばれた土龍が、儂らの方にどすんどすんと近づいてくる。ゴーレムの倍以上はある巨体だぞ。そりゃあ、逃げたいって本気で思ったさ。でもな、妙な義務感だとか、あとは単純に、あんなデカブツから逃げ切れるわけがないって分かってたからな、誰一人逃げなかったよ」


店主はジョッキを握り直し、真剣な表情を作る。

「さて、土龍モーラだ。あれは……本当に厄介な相手だったよ。

そいつが、ぐぐっと一歩踏み出したと思ったらな――でかい体でこれ以上吸えるのかってくらい、大きく息を吸い込んだんだよ。もう、周りの空気が全部持ってかれるような勢いでな」


店主は、両手を胸元に引き寄せ、空気を吸い込む仕草をしてみせる。

「そんで次の瞬間だ――すさまじい勢いで息を吐き出しやがった!」


店内の客たちが、思わず身を乗り出す。

「炎でも冷気でもなかったんだ。だからって油断してたら吹き飛ばされる。風そのものが爆発したみたいな勢いだったな。儂ら全員、壁に叩きつけられないように必死に踏ん張ったよ。そうじゃなかったら、吹き飛ばされて、土龍の一撃で即お陀仏だ」


店主は手で「叩きつけられる」ジェスチャーをし、客たちに状況を想像させる。

「全身の筋肉が張り裂けるようだったぜ。そりゃあ、ギリギリ踏ん張れたのは鍛えたおかげだ。けどな――鍛えたっても限界はある」


「でも、なんとか耐えきった! そう思った途端だ……まただ! また奴が大きく息を吸い込み始めやがった!」


店主は、その場で土龍の動きを真似て見せた。

「で、次はな――ぐわっと洞窟全体を揺るがす咆哮だ! そりゃあ、耳をつんざくような大音響で、まるで全身を鞭で叩かれてるみたいだった」


「こいつがまた、大きな体で空気を一気に吸い込むんだ。それこそ洞窟全体の空気が持っていかれるような勢いでな。そして次の瞬間だ――」


店主は両手を勢いよく前に押し出す仕草をする。

「ゴォォォッ! 凄まじい勢いのブレス攻撃を吐き出しやがった! これがまた炎でも冷気でもない。ただの風、いや嵐だな。だが、これが普通の風なんかじゃない。身体ごと吹き飛ばされそうなほどの暴風だ!」


客たちが息を呑むのを見て、店主は得意げに頷いた。

「儂らは何とか耐えたさ。けどな、立ってるだけで精一杯だった。地面に爪を立てたみたいに靴を踏ん張ってな。壁に叩きつけられちまったら、その隙にトドメを刺されるのは目に見えてるからな」


店主は少し身を乗り出して続ける。

「面倒なことに、あいつはただ暴れてるわけじゃなかった。分かるか? 鏡や寝台のあるあの妙な広間――そこを壊さないように、攻撃を入口付近に抑えてやがるんだ。手当たり次第に暴れる土龍じゃない。あいつは“考える龍”だったってわけだ」


店主は手を組んで唸るように続けた。

「入口付近に追い込んで、そこに狙いを定めてブレスを吹き付けてくる。どんなに動き回ろうと、あいつの吐く暴風の中心には必ず儂らがいる。そりゃあもう、悪い冗談みたいな精度だったぜ」


再び深呼吸のジェスチャーをしてみせる。

「で、まただ。また息を吸い込むんだよ、あの巨体で。そりゃもう、吸い込む音が洞窟全体に響いてな。こっちは“次はどこに吹くんだ”ってだけで精一杯だった。誰もが、次のブレスで飛ばされるって腹をくくってたよ」


店主は少し間を取って客を見回し、低い声で語りかけた。

「そして、そいつがゴォッと吐き出すたびに、俺たちは身を伏せ、這いつくばって耐えるしかなかった。どんな強靭な体力だって、何度もこんな暴風を受ければ限界が来る。だが――俺たちはまだ諦めちゃいなかった」


手で宙を切るようにして強調する。

「“どうにか奴を止める方法を見つけるんだ!” それが全員の頭にあったんだよ。そう――ここでやられるわけにはいかねえ、ってな」


「だがな、それだけじゃ済まなかった。次の瞬間、洞窟の奥――そう、あの鏡だ。あの鏡がピカッと閃光を放ちやがったんだよ」


手で顔を覆うようにして、当時の眩しさを再現する。

「最初は、何が起こったのか分からんかった。ただ、目の前が真っ白になって、それだけで頭が混乱した。まあ、冷静になれば分かる――あの閃光は、ただの光じゃない。ただ眩しいだけじゃないんだよ」


店主は一息ついて、ジョッキを持ち上げる。

「まあ、どうなったかは、このエールを……

ありゃ、空っぽか。じゃあ……わかったわかった、冗談だよ、もう一杯持ってきてくれ」

と奥の少女に指示をした。


「そいつの咆哮が洞窟中に響いた瞬間だ。鏡の中で、まばゆい閃光が煌めいたんだよ。いや、もう目がくらむほどの光だ。で、次の瞬間だ――巨大な爆音が響いて、モーラ、つまり土龍の胸がいきなり……爆ぜた」


店主は「爆ぜた」という言葉に合わせて、両手を広げてドンッと振り下ろす。客たちは一瞬息を呑んだ。


「儂らを襲おうとしてた土龍が、その一撃でゆっくりと倒れこんでいったんだ。そしてよ――ほんとに“どすん”て音を響かせながら、地面に崩れ落ちた。いやぁ、あの瞬間の衝撃は今でも覚えてるよ」


店主はジョッキを手に取り、ぐいっと喉を潤す。


「それにしても、ほんとに一撃だった。儂ら、何が起きたのか、ちっとも理解できなかったんだ。だってな、聞いたことあるか? 龍を一撃で屠る、そんな化け物がいるなんて。噂ですら聞いたこと無いぞ」


客の一人が声を上げた。

「いやいや、土龍だから弱かったんじゃないのか?」


店主はその言葉に思わずニヤリと笑い、首を横に振った。

「おいおい、分かってねぇな。土龍モールだからって、弱いわけがねぇだろ。確かに、空飛ぶ翼龍ワイバーンみたいな奴は格好いいし、見るからに強そうだ。でもな、奴らは飛べる分、装甲が薄いんだ。攻撃をかわすのは得意だが、一撃食らったら脆いってのが知られてる」


店主は手で空を飛ぶ鳥の動きを真似してみせる。

「でもな、土龍は違う。飛べない分、あいつらの防御力はどの龍よりも堅いんだよ。地を這いずり回って生きる分、殴られるのが前提の生き物だ。だから頑丈に作られてる。普通なら、あの巨体を倒すのにどんだけの力が必要か――考えるだけでぞっとするぜ」


店主は一息つき、ふと遠くを見るような目をして続ける。

「それでも、モーラは倒れた。いや、正確には倒された。いったい何が起きたのか……儂らにはさっぱり分からなかったが、一つだけ確かなことがあった――その何かは鏡から現れたんだ」


客たちがざわめき始める。店主はそれを見渡しながら、小さくうなずいた。

「そう、比喩じゃない。本当に、鏡の中から、奴は現れたんだよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る