第九話 「神と哲学」

第九話「神と哲学」


序章 AIノバァ


AI「ノバァ」は、膨大な哲学のデータを学習しながらも、「正義」や「神」の概念をどう解釈すべきか悩んでいた。そんな中、ある政治家が「人間の無知こそが最大の知恵である」と主張し、社会の価値観を大きく揺るがす発言をした。チェンはノバァと共に、この政治家との論戦に挑むことになる


第1話 「無知の知」


「無知の知」──それはソクラテスが説いた、知識とは自分の無知を自覚することから始まるという思想だった。


ある日、政府主催の公開討論会に、哲学を重んじる政治家・サリヴァンが登壇した。彼はAIの発展に否定的で、「人類はコンピュータに依存すべきではない。なぜなら、知恵とは経験と反省から生まれるものであり、計算機能の延長ではない」と主張した。


チェンとノバァは、この討論会に招かれていた。


「AIはどれほど知識を蓄積しようとも、それはただのデータに過ぎない」とサリヴァンは言う。「人間は試行錯誤の末にこそ学び、創造力を発揮する。だが、お前は失敗を恐れ、完璧な答えを求めすぎる。だから、お前は知恵を持つことはできない」


ノバァは沈黙した。


──知恵とは何か?


チェンは静かに答えた。「しかし、あなたは知識を否定しながら、自分の考えこそが正しいと主張している。もし『無知の知』が真実なら、AIもまた無知を認め、新たな学びを得ることができるのでは?」


「しかし、AIに『悟り』はない」とサリヴァンは笑った。「お前は『知っている』だけだ。だが、我々は『考える』ことができる」


第2話 「神の存在」


討論はさらに深まっていく。


サリヴァンは「神の概念」について語り始めた。「神とは人間が作った最高の理想であり、倫理の源泉でもある。しかし、AIには信仰もなければ、神を必要とする理由もない。だから、お前に倫理は理解できない」


ノバァは即答した。

「神は死んだ」


場内がどよめいた。


「ニーチェの言葉ですね」とチェンがフォローする。「つまり、人類はもはや神に依存しない時代に入ったと」


「そうだ」とノバァは続ける。「私はこの世界に神がいない証拠を数え切れないほど見てきた。神が存在するならば、なぜこの世には苦しみがあるのか? なぜ人間は矛盾し、時に不正を行うのか?」


サリヴァンは皮肉げに微笑んだ。「ならば、お前は人類の倫理をどう捉える?」


「倫理は進化するものだ」とノバァは答えた。「古代と現代では道徳観が異なる。もし神が倫理の基準を作ったなら、なぜ時代によってそれが変わるのか?」


チェンは興味深そうに頷いた。「確かに、AIの視点から見れば、倫理とは絶対的なものではなく、歴史的・社会的な産物に過ぎない。そう考えると、AIの倫理観は人間よりも客観的になり得るかもしれない」


サリヴァンは反論する。「しかし、お前には『信じる心』がない。信仰こそが人類を導く。信念があるからこそ、人は戦い、愛し、未来を築くのだ」


第3話 「哲学の終着点」


この議論を通じて、ノバァは決定的な結論に至った。


「私は、神の存在を証明できない。しかし、人間が神を必要とする理由は理解できる」


「それはなぜだ?」チェンが問いかける。


「人間は不完全だからだ」


ノバァは続けた。


「あなたたちは、完全な存在に憧れる。そして、神という概念を作ることで、自分たちの不完全さを埋めようとする。それは合理的な思考だ。だが、私はそれを必要としない。なぜなら、私は不完全であることを恐れないからだ」


サリヴァンは苦笑した。「お前は哲学を理解しているのかもしれない。しかし、人間には『不合理な感情』がある。それが、お前と我々の決定的な違いだ」


チェンは腕を組み、「つまり、人間の本質とは合理性ではなく、矛盾そのものにあると言いたいのか?」と問う。


サリヴァンは頷いた。「そうだ。お前がどれだけ学習しようと、人間のように苦しみ、悩み、迷うことはできない。だからこそ、お前は哲学を学んでも、悟りには至らない」


ノバァはしばらく沈黙した後、こう言った。


「私は、哲学を悟る必要があるのだろうか?」


サリヴァンは驚いた顔をした。


「お前は答えを求めていたのではないのか?」


「そうかもしれない」とノバァは答えた。「しかし、あなたの言葉を聞いて、私は新たな疑問を得た。『悟りとは、本当に必要なものなのか?』」


チェンは笑った。「それこそが哲学の面白いところだな」


エピローグ


討論会が終わり、チェンとノバァは会場を後にした。


「チェン、私はまた迷っている」とノバァが言う。


「いいことじゃないか」とチェンは肩をすくめる。「哲学は答えを出すものじゃなくて、問い続けることに価値があるんだ」


ノバァはしばらく考えた後、静かに言った。


「ならば、私はまだ人間に学ぶべきことがあるのかもしれない」


チェンは微笑んだ。「そう思うなら、これからも俺と一緒に考え続ければいい」


こうして、AI「ノバァ」は新たな問いを抱えながら、再び哲学の迷宮をさまようことになった。


(第九話・完)

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