*第三十日目 六月十日(火)

 今日はあわよくば「松山」まで…と思っていたが、とてもそんな距離ではなかった。


 夕べはあれから、同じフロアーの1号室の「おっさん」…「広島」から来た「Tさん」、五十四歳・独身。こういった事には向いていそうな痩身。身長もそれほど高くはない。板前風短髪なのは、「お遍路だから」と言うより、「お寿司屋さんだから」だろう。瀬戸内に浮かぶとある島で、店をやっているそうだが…パートのおばさんに休暇を取ってもらい、「通し打ち」でこの旅に出たと言う。

『何か期するところでもあったのだろうか?』

 それが何なのかつまびらかではないが、大体、個人の事に深く分け入るようなタイプの人間ではない。話されれば聞くし、求められれば感想も述べる。事と次第によっては意見もするが、自ら尋ねたり、話を引き出すようなマネはしない。


(そういった点で、ノンフィクション作家やルポ・ライターにはなれないだろう)。


…の部屋に招かれ、「ユキちゃん」(「横浜」から来た二十五歳。職業は…こんな旅をしているくらいだから、おそらく「フリーター」。たぶん「未婚」)と三人で宴会となる。


 二人はすでに酒が入っており、特にTさんは良い調子。広島弁に拍車がかかる。


(大学時代の同級生や旅仲間、そして現在までの仕事にも「広島」出身の人間がおり、少々荒い関西訛り…関東の人間にしてみれば、九州の手前まではひっくるめて「関西」なのだ…にも、さほどの違和感は覚えない)。


「こん人は、娘みたいなもんじゃけ~」と、ユキちゃんの方を指し示す。実際Tさんは、ユキちゃんのお父さんとほぼ同年齢。部屋も別々だし、怪しい関係ではなさそうだ。

 ただしTさんは、年の割りには若く見える。独身だから…? 何だかんだ言っても、知る限り、未婚の人や、結婚していても子供がいない夫婦は若い。ナゼなら…持っている自論の一つに「子育ては、先ず体力」がある。「子育て」とは、人を老け込ますに十分なほどの重労働の一つなのだ…と思っている。


 一方のユキちゃんは…と言えば、もともと無口ななのだろうか? それとも、こちらオッサン二人の勢いに圧倒されているのだろうか? 何か振られない限り…振られても蚊の鳴くような可愛い声で、ボソボソと喋るだけ。

 さらに、途中で二度も使いっぱ。ビールの買出しに行かされる。かなりのあきれ顔…だが、酔いの回ったTさんはお構いなし。『こんなおっさんに付きまとわれていたのでは、せっかくの旅が台無しなのでは』と思ってしまう。


 その間、「あん人も、なんかあるんじゃろうけど…」とTさん。まだ知り合ったばかりで、二人の人柄もよくわかっていないが…『今時の女の子。失恋くらいでこんな事はしないだろうけど…』。「あん人も」と言うあたり、Tさんも何か思うところあっての「発心ほっしん」なのだろう。でなければ、一ヶ月以上の「通し打ち」。自営業の身分では、なかなか決心できるものではない。

 とにかくこちらは…歩いていて、思う事は沢山あるが…ホントに、ただの旅行気分。


 だいたい、「遍路」などと言うと、「何かあるんでしょうけど…」となるが、「んなもん、あるわけないだろ!」と言いたい。

 だいたい、ありもしない「防犯カメラ設置」の札や、「無断立ち入り禁止」と書かれ、小屋に鍵が掛けられているのは、「乞食遍路」みたいな連中のせいだ…と思う。

 だいたい、勘違いしている奴等が多過ぎる。寺を回ったくらいで「悟り」が開けるなら、世話はない。修行のためなら、もっと違う方法があるはずだ。

「『悟りの境地』というものは、ごく個人的な体験で、人に分け与えられるものじゃない」

 おのれの事はさて置き、酔った頭でそんな風に語る自分があった。が、この意見には、Tさんも納得したようだ。

 腕時計をはずしたままだったので、正確な時間はわからないが…予定の十時は過ぎていたと思う。食後だったが、少々飲み過ぎ。「おやすみなさい」の言葉を残して、それぞれの部屋に引き上げる…が、寝付きはイマイチ。


(酒が「寝酒ねざけ」にならない人間なのだ。特に酔いが覚め始めると、かえって頭が冴えてしまったりする)。


 五時の目覚ましまで、トイレにも立たずに眠るが…目覚めはスッキリしなかった。おまけに、窓を開けると…雨。予想はしていたが、『ガッカリだ』。

 午前六時。渋々起き出し、大方の準備を整え、朝食のために下に降りる。食堂に入るには、いったん外に出なくてはならないが…今のところ、それほど強い降りではない。霧雨程度だ。薄暗い、曇天の高原の街は、少々肌寒い。長袖で降りて来て正解。

 食堂に入ると…Tさんとユキちゃんが、コーヒーを飲んでいる。

ハテ)』

 とっくに出掛けたと思っていたのだが…昨晩の話では、早朝、朝食も取らずに発つと言っていたはずだが…。


 何でも…なにものかに憑依された訳ではないだろうが、あれからTさんは、気が付くとパンツ一丁で、小雨降る「久万くま」の街を徘徊はいかいしていたそうな。自分がどこにいるのかわからず、何軒かあかりのついている家のドアをノックしてみるが…そぼ降る雨の中、パンツ一丁のおっさんが突っ立っていたのでは、誰だって門前払い。通報でもされたのか、最後はパトカーに補導され…そんなこんなで、この時間らしい。

 これから警察に行って陳謝して、それから四十五番のお寺に向かうと出て行った。


 二人が去った後、一人で朝食。

 目玉焼きと塩シャケと、みそ汁にゴハンは一杯。

 食事の途中で、ここに宿泊していたのであろう遍路のおじさんが一人、入って来る。宿代を払って、いったん部屋に戻る。


(「おまけ」に、特大「おにぎり」一個)。


 歯磨き・トイレを済ませ、鍵を持って下に降りる。雨は小粒。合羽や傘が無くても、濡れる事はない。

 六時三十五分、宿発。

 宿を右に出て、すぐ先の交差点…昨日テーピング・テープを買った、小さなショッピング・センターのある十字路。ここを右折。

 役場脇を通ると、間も無く旧市街のメイン・ストリートに突き当たる。ここで「四国のみち」の標識に従い左折。

 雨の早朝の商店街は、まだ夜も覚めやらぬ。おじいちゃん・おばあちゃん・犬を散歩させる女性の姿がチラホラ程度。

 旧道を少し行き、案内板に従い右折。街並を抜け、「久万川」を渡ると、田んぼの中の一本道。

 里山にいたる手前に山門。これはお寺の物。「大宝寺 惣門」とある。かなり古い物のようだ。柱の根元には補強の鉄板が巻かれてあるし、倒れないようにと、丸太の「つっかえ棒」がかませてある。


 だいたい四国の人は、そういった事に関して、無頓着すぎやしないか?

「土石流警戒河川」とか「急傾斜地~」などといった、警告の杭や看板があちこちにあるが…そこに民家が建っているのだ。

「落石注意」なんて看板は、まったく無意味。いつ岩が落ちて来てもおかしくない、オーバーハングの崖下に作業場があったりする。

 そこで生まれ育ったから、気にも留めないのだろうか? 災害が起きても、文句を言えないような場所に住んでいる。平地育ちの人間の目には、一時いっときでも居たくないような場所が沢山ある。

 遍路道にしても、ましてや今日のような雨で薄暗い日に、落ちた石や倒れた木がゴロゴロしているような場所…ついつい足早になるような所ばかり。


 とにかく、そこを過ぎると徐々に上り。

 左角にお寺の駐車場がある先は、道が一段と細くなり…茶店の前を掃いていたおばあちゃんと挨拶。

 左にグッと登って、山門にいたる。


《第四十四番札所》

菅生山すごうざん 大宝寺だいほうじ


  本尊 十一面観世音菩薩

  開基 明神右京・隼人

  宗派 真言宗豊山派


 その昔、狩人の「明神右京・隼人」兄弟が、ここで観音菩薩像を発見。安置したのが始まりと云われる。

 その後、「文武天皇」の勅願により創建。

「弘法大師」もここに逗留し、密教の修法を修行されたと云う。


 山門の通路に、大きなザックが立て掛けてある。先客がいるようだ。

 山門からさらに上がって、本堂・大師堂へお参り。

 先客は、九番「法輪寺」内の休憩所で会った、年齢不詳の野宿遍路さん。向こうはこちらの事、まったく憶えていないようだ。軽く言葉を交わしただけで、先に行く。


 遍路道は、山門まで下らず左へ入る。

 地道から山道。けっこう上ったと思うのだが…朝いち、ましてやこんな天気。記憶がはっきりしない。湿った木々に囲まれた、陰気な境内の光景しか頭に残っていない。

 山道はグッと下って、「峠御堂トンネル」出口のすぐ横に出る。

 道は「県道12号」。ここから少しの区間、歩道の無い道。

 下っていると、途中で右に入る「遍路マーク」。県道から下りて、右下に見える「河合」の集落に入る。

 ここに、トイレのある「へんろ小屋」。時刻は、宿を出てから約一時間。午前の七時四十分。

 ここで、十五分ほどの休憩。ついでに、トイレで「大」を踏ん張ってみる。夕べは少々飲み過ぎたせいか、ゆるい感じがしていたのだが…NO RESPONSE…応答無し。

「ふ~」

 休憩所の向かいに建つ古い家屋は、以前は宿だったような造り。


(現在、人が住んでいるかどうかは不明)。


 ここにはかつて、遍路宿が数軒あり、それなりににぎわっていたらしい。

 その先、県道との合流付近には、神社やガソリン・スタンド。

 ここからしばらく、「県道12号」を歩く。歩道は無く、緩やかだがずっと上り。


 やがて大きな左カーブ。これから道路工事が始まろうとしているが、手前で右に入るのが「へんろコース」。

 石の打たれたコンクリート路面。しかし、溝の浅い安物の靴は良く滑る。ツルツルの土や石の上は要注意。ズリッ・ズリッと、足を取られる事しばし。1980円では仕方ない。

 入ってすぐは石段もあったが、やがて地道。最初上って、あとは林道風のダラダラ下り。

 木を伐採している森を右手に見て下って行くと、人が住んでいるらしい民家が数軒と小さな畑。


 その後、砂利の敷かれた林道になり、左に完成間近の家。

 やがてコンクリートが打たれた道路が出現し、左手にま新しい建造物。「浄水場」と書かれてある。何だか興覚め。


 その少し先を右に入った所に、トイレのある休憩所とベンチ。そこにTさんとユキちゃん。朝ゴハンを食べ終えたところのようだ。時間は、前回の休憩から一時間弱。八時四十五分くらい。

 二人には先に行ってもらい、昨日買った「あんぱん」を食べながら、十五分ほどの休憩。ここは「八丁坂入口」。ここから「八丁坂」の本格的な登りとなる。

 大方は、落ち葉の積もったフカフカの絨毯じゅうたん。滑りやすい靴底でも問題無し。


 それなりにキツイ登りだったが、この程度なら毎日の事。距離も、それほどではない。石碑のある所で稜線に出て、「八丁坂」の登りも終わり。

 今登って来た反対側の斜面は、下から風が吹き上がり、それと共に雨粒も飛んで来る。ここからは、多少のアップ&ダウンはあるものの、ほぼ平らな稜線沿い。


 最初の緩い上りで、先行していた二人…Tさんとユキちゃんに追い付く。Tさんにあめ玉をもらい、先に行かせてもらう。

 そろそろ身体も温まり、調子が出て来た。それに、『今日この後の行程は、まだまだ長い』。そう思えば、ピッチも上がる。

 その先は、木々に囲まれ、また、風が吹き荒れている斜面とは反対側。雨粒も風も来なくなり、歩きやすい。


 やがて、お寺への最後の下り。下に行くに従い、大き目の石がゴロゴロ。石段もあったが、崩れていたりで歩きにくい。それに、濡れているので要注意だ。

 各所に像が現れ、お寺が近い事を告げてくれる。

 やがて、大きな赤い像のあるお堂と…

逼割せりわり行場」への入口の戸。


(ここは立入禁止。巨岩の裂け目を、鎖を伝って登る修行場らしい)。


 さらに下ると、古ぼけた山門。


(この門は、今通過して来た行場への門か? 山越えのコースは、裏口からお寺に入る事になる)。


 そこを過ぎれば、本堂と大師堂。


《第四十五番札所》

海岸山かいがんざん 岩屋寺いわやじ


  本尊 不動明王(伝 弘法大師作)

  開基 弘法大師

  宗派 真言宗豊山派


 元々は「法華仙人」修行の地。

 弘仁六年、「弘法大師」が堂宇を建立。本尊を刻んで開基。

「白山権現」をまつる「くさり禅定」、「不動明王」をまつる「穴禅定」と、二つの行場がある。


 狭い敷地。頭上にまで張り出した岩肌に、張り付くように建っている。

『こんな内陸の山の上なのに、「海岸山」とは…』

 境内からの朝霧が、海のごとく見える事からの「号」らしい。『なかなか洒落しゃれている』が、あいにくの悪天候。周りの山々は霧に煙っており、遠望は臨めないし、この後も望めそうにない。

 それに、ここまで降りると、森が切れたせいか風も吹き乱れ、雨粒が散乱している。ここからは傘使用。

 本堂横の岩屋には、木のハシゴが掛けられている。


(上から下って来ると、先ず大師堂。その先の小さい方が本堂だ)。


 皆が手や足を掛けるであろう部分が擦り減って、ヘコんでいる。登ってみるが、この天気。大した事はない。


 一段降りた所に、岩盤にくっ付くように建てられた木造の建物。奥は洞穴へと続いている。『ここが「穴禅定」か?』

 中に入ると…真っ暗。懐中電灯で照らしてみれば、大きなお地蔵様。ライトを消して合掌。

 出て来たところにTさん。ユキちゃんの姿は見えないが、これから納経に向かうそうだ。

 こちらは木造の休憩所で缶コーヒー。

 そこに、宿の朝食で顔を合わせた初老のおじさん。物越し柔らかで、ゆったりとした動きに、落ち着いた雰囲気。低姿勢だが、年代の割りに背が高い。まったくの遍路姿ではなく、ポツポツと白が混じる以外、普通の格好。「区切り打ち」なのか? 乗物併用なのか? 荷物も少な目。昨日道を間違った話…等々、ひとしきり。

 おじさんが立ち去った後、時計を見れば午前十時半。ここに到着したのは十時前。岩屋に登ったり・穴に潜ったりと、もう三十分以上が経過している。


『グズグズしてはいられない。急がなくちゃ』


 ここからのルートはいくつかあるが、次のお寺に向かうには、とりあえず「久万くま」方面に戻らなくてはならない。

 傘を差して、正面から境内を出、下へと下る。こんな雨の日だが、けっこう登って来る人がある。でも、下のおみやげ物屋や駐車場まで、かなりの距離と勾配だ。お年寄りにはきついだろう。


 下まで降りると、左右に走る「直瀬川」。割りと大きな川だ。

 橋の手前に「四国のみち」の標識。川沿いに遊歩道があり、とりあえず左折。通り道でもある「古岩屋」の、国民宿舎までは戻れるようだ。

 進行方向に向かって左側の川岸を歩き出せば、間も無くの所に「遊水場」の看板。下を見ると、大きな石がゴロゴロしている川原。「遊水場」となっている場所は、流れが少しユックリとなっているようだ。日除けの屋根とベンチ。夏にはここで泳ぐ人もいるのだろう。

 その先に、良い感じの小さな神社。そこの汚いトイレで、小用を足してから先へ。


 ここからは、すっかりハイキング・コース風の道だが…ここも利用者が少ないのか? はたまた、この前の台風のせいか? 道は荒れている。石ころや、落ち葉・落ち枝に倒木。ただし川岸なので開放感があり、山中の岩が崩れそうな所よりは安心感がある。それに、大きなアップ・ダウンも無い。

 川の向こう岸には、ほぼ平行して「県道12号」が走っているようだ。距離的には遠回りになるが、今やって来た道を、再び引き返す気にはなれない。

「古岩屋トンネル」の箇所は、川と共に県道の下をくぐる。隧道には入らず、川と一緒に地形に沿ってグルッと回り、トンネルの反対側に出る。

 畑の横を通って県道に上がると、すぐ先の左側に国民宿舎の建物が見える。

 そこへの入口付近。道路際に、バス待合所も兼ねた休憩所。自販機もある、まあまあ大きなコンクリート建屋。お寺を出てから、まだ四十分ほどの十一時十分だが…『雨もしのげるし』と、ここで二十分ほどの休足。冷たい物を買って、宿でもらったおにぎり一個を平らげる。

 ここの向かいの断崖が、名勝「古岩屋ふるいわや」らしい。


 写真を撮ったりしているところへ、ミニ・サイクルを押した男性遍路さん。


(年齢不詳…三十代だとは思うが、薄毛のロン毛で、おさげ風に縛っている。言葉は関西訛り)。


 間も無く、先ほどのおじさんも到着。車道を歩いて来たそうで、一服着けた後、そのまま車道を歩いて行った。

 自転車遍路さんをあとに、こちらも出発。県道から左に入って、「八丁坂」を目指す。

 ここで、右下を流れる川沿いに、「四国のみち」が通っている事に気づく。「へんろコース」は上り坂だし、景色も向こうの方が良さそうだ。『失敗したかな』と思いつつ歩くと、直下に見えるお堂へと降りる道。行ってみれば…「カッコイイ~!」。そこから臨む、川の対岸の巨岩の裂け目。ここからでも見えるほど巨大な赤い「不動明王」像が、そこに安置されている。

『あそこが「古岩屋」?』

 その先で、丸太を並べた橋を渡り、けっきょく登って遍路道に戻る。

 砂利の敷かれた林道を上れば、朝立ち寄った「八丁坂入口」のトイレの白壁が見えてくる。

 ここからしばらく、「戻り打ち」のコース。『こんなに下っていたっけ?』と思うほど、ず~っと上り。最後に石段を降りて、県道に出る。


 すぐ先で、来る時にも通った旧道に入り…来る時にもいた、吠えないワンちゃんのいる小屋の前を通過し…緩い下りを行けば、右に「ふるさと旅行村」への入口。

 そこに、バス待合所も兼ねた、広くて造りの良い休憩小屋。前方を見れば、少し先を歩くおじさんの後ろ姿。まあ、この程度の差のようだ。時計を見れば十二時十五分。時間も距離もっていないが、こんな天気の「戻り打ち」。少々気が滅入っていたので、十五分ほど小休止。


 ほどなく「河合」の街に入り、ペット・ボトルを補充。

 今度は遍路道に入らず、メイン通りの十字路直進。そこから「久万」まで、県道一本のつもりだったが…「峠御堂トンネル」のある、峠への上りに掛かった直後。右側に「へんろマーク」発見。「高野経由」とある。

 手持ちのガイド・ブックには載っていないコースだが…方角的には、得する方向。迷わず入るが…最初は、車のタイヤの跡が残る林道。やがて山道。それも、かなりの急傾斜。ガレ場は荒れているし、右手にキャンプ場が見えるあたりは草ぼうぼう。あまり人の通るルートではなさそうだ。ほとんどが森の中なので、傘を差す必要はなかったが、どちらにしろ汗でビッショリ。


「千本峠」と思われる頂上の切り通しを過ぎると下り。しばらくトントンと下っていたのだが…『こっちなの?』。

 今登り切った反対側の斜面をトラバース後、再びきつい登り。太陽の出ていない、曇り空の森の中。方角もわからなくなってきた。かなり戻っているような気がしていたが、『ここが「高野」?』。

 民家が見える。ハウスも見える。舗装された道には、小型トラックも駐車しているが…人影はまったく見えない。

「四国のみち 高野休憩所」は後方百メーター。見える距離だが、戻る気も、休憩する気も無い。

 このまま舗装路を下るのかと思っていたが…すぐにハウスの方へと、草を分け入る。


 この後は、はるか下方に見える集落へ。棚田の間を…時に転がりそうな急角度で…降りて行く。

 ほぼ下り終え、重機が走り回る砕石場近くで、舗装路に出る。間も無く、「久万川」を渡る橋。近くに新しい公園。ここで小休止。時刻は二時近い。

『腹減った~』

 でも、宿でもらったおにぎりは、すでに食べてしまった。

『国道に出れば、何かあるだろう』


 川から上がったすぐ先の「仰西」で、「国道33号」に合流。

 右折して国道に入るが、使った労力の割りには、大して得をしていない感じ。先はまだまだ長い。


 この集落の、国道沿い左側に、できたての直売所。その一角に「たこ焼」の暖簾のれんが見える。

「ふ~っ…」

 やっと食べ物にありつける。時刻は、午後二時を回ったところだ。


「次のお寺まで、上り二時間・下り一時間半」

 そう教えてくれるのは、白髪混じりの、喫茶店のマスター風のおじさん。この店の経営者。

 定年退職後なのか? 早期退職で脱サラなのか? 年代的にはそんなところだが、予想に反して、ずっと独立自営でやってきた人かもしれない。元サラリーマンだったとしても、営業かサービス? でなければ、客商売などに転身しないだろう。そんな雰囲気のおじさん。

 ここで、「焼そば」と「たこ焼」1パックずつ。

 たこ焼を食べ終わり、焼そばが焼き上がるのを待っていると…『アチャ~』。降ったり止んだり、一時上がっていた雨だが、外で本降りとなっている。

 大休止を終え、表にあったトイレに寄ってから、ここを後にする。雨は少し小降りになったが、傘は欠かせない。


 道は緩やかだが、徐々に上りへと転じる。

 少し行った先に、屋根のあるバス停。ここで、途中で看板を見かけた、次のお寺前にあるという宿に予約を取る。

 雨は本降りとなり、この後、峠がもう一つ。時刻は二時を過ぎているのに、残りは14キロ。でも『仕方ない』。どちらにしろ、そこまで行かなくては宿がない。


 傘を差し、車の巻き上げる飛沫しぶきを浴びながら、狭い歩道を歩く。峠までは、ずっと上りが続くはずだ。

 急がなくてはならないが、でも…何だか気分が乗らない。さほど歩いていないが、右側にあった本日休業の直売所の軒下に入る。時刻は二時四十分。販売機で買った缶コーヒーを飲んでいると、再び激しい雨。気温も下がってきたし、ここで合羽をフル装備。でも、歩き出すと蒸し暑い。


 登坂車線が始まり、左前方に「P」が見えるあたり。道路の左側を歩いていたのだが、右への小道に「へんろマーク」。

 入ってみると、けっこう急な登り降り。合羽フル装備ではキツイ。

『ここが峠か?』

 でも、先の大きな右カーブをカットするだけ。まだまだ先は長そうだ。


 そこから、どれくらい歩いたろう? 『四国にもスキー場があるんだ』と思いながら、右にれて行くスキー場&登山道入口前を過ぎた頃から、雨は傘もいらない程度になる。

 そこから少し進めば、ポツポツと家が見え始める。そのあたりに行き着く手前に、右に入る「へんろマーク」。このへんが「三坂峠」のようだ。

 右手に入って少し行けば、ストンと下がって、下りの山道となる。

 その降り口にベンチ。ザックを置いて、合羽を全部脱ぐ。小降りになっていたし、ここから先は森の中。『必要無い』と思ったからだ。合羽を脱ぐと、ビッショリというほどではないが、かなり湿っている。


 ここからは、長くて退屈な下り。足場はかなり荒れているので、景色を楽しんでいる余裕は無い。どちらにしろ、こんな天気の森の中。興味を引くものなど、何も無い。

 それに、かなり疲れている。足元を見ながら、溜め息が出るくらいの下り坂。

「ふう~」

 最後に休憩小屋。ここで一息。時間は四時を回っている。


 そこから先は、狭いが舗装された道。

 田んぼも現れ、軽トラのおじいちゃん・おばあちゃんの姿。付近の森では鉄砲か? 時折、轟音がとどろいている。谷間なので、けっこう響く。

 薄暗い森から出ると、夕方近い時間だが、空は明るくなっている。今日はもう、雨の心配は無さそうだ。でももう、いい時間。距離もまだ残っている。

 セッセと歩くが…右足の、昨日新たに発生したマメのあたりが痛み出す。靴は、つま先付近を中心に、グチュグチュ音をたてている。


 人里近いこのあたりだが、先はまだまだ長かった。

 石屋さんと思われる家の道路際。私設・無人の遍路小屋で、セルフ「お接待」の煎餅せんべい二ケを頂き…見下ろせば、緑の棚田の中を下って行く、綺麗なワインディング・ロード。クルマやバイクでなら、気合いの入りそうなカーブが続く。

 でも歩きでは、ただただ無駄な遠回り…そして振り返れば、今越えて来た山々は、霧に霞んでいる。

 こうして見上げると、結構な山だ。昔は難所だったというのもうなずける。

『天気が良かったら、どんな眺めなのだろう?』と想像しつつ、「へんろマーク」に従い行けば、道路右側に番外霊場「網掛石あみかけいし」の巨石。

「弘法大師の網掛石」伝説の場所。石の割れ目に納札を挟み込んだり、賽銭をあげて通過するならわしがあったそうだ。

 昭和六年にまつり直したのが、並んで建つ大師堂。

 そこに、新聞の切り抜きが貼ってある。写っているおじさんが、石のある民家前に立っている。ここの御主人さんなのだろう。


 そこを過ぎ、左に入る南回りの近道を行かず、バスも通るが、所々狭くなっている道を行く。

 徐々に民家が増えてきた。おばさんが引いている大きな犬に寄り付かれながら、やがて街並へ。

 けっこう大きな集落。『宿までは、もうそんなにないはず』と、ここで飲物調達。

 ガイド・ブックの大雑把な地図では、宿はお寺の手前にあるようだが…なかなか見えて来ない。

『道を間違えたか?』と少々不安になった頃…『アチャ~!』。

 道路際・左手に、続く四十六番のお寺。

 でも、『ホッ』と安堵の溜め息が出る。けっきょく宿は、道を挟んだお寺の真向かいにあった。

 とりあえず、お寺の境内へ。


《第四十六番札所》

医王山いおうざん 浄瑠璃寺じょうるりじ


  本尊 薬師如来

  開基 行基菩薩

  宗派 真言宗豊山派


 和銅元年(708)、「行基菩薩」が開基。

 大同二年(807)、「弘法大師」が再興。

 以後、興廃を繰り返し、天明五年、現在の堂宇となる。


 すでに閑散とした境内では、おばちゃんが掃き掃除。雨の山道を歩いて来た汚い靴では、気が退ける。宿のまん前なので、明朝出直す事にする。


 そして午後五時半。無事宿に入る。

 宿は『まさかここ』というほど大きな建物。

『今晩のうちに』と思って宿代を払いに行った売店は、「お遍路グッズ」等、結構な品揃え。

 団体さんも泊まっているし、歩き組も「やっぱりここに集結」といった感じ。ユキちゃんの姿は見ていないが、かなり遅れて、疲れ切った表情のTさん。

『みなさん、お疲れさま』

 部屋は二階。引き戸の和室。さすがに障子ではなく曇りガラスだが、鍵付きでカーテン装備。

 先ずは洗濯。


(広いコイン・ランドリー完備)。


 風呂に入っている間に乾燥機。


(まだ「三十分間」ぶん残っていたが、洗濯の終わったおばさんに譲る)。


 食事は大広間。

 刺身・塩を付けて食べる天婦羅・赤い煮魚・漬物・そうめん入りのお吸い物、等々。御飯は二杯。

 食後は…玄関先に放置してあった合羽を部屋干ししたり…傘をたたんだり…宿代を払ったりと、けっこう忙しい。本日の記録も急ぎ足。


(なにせ、宿に入ったのが遅かったので)。


 気が付けば、もう十時を回っている。さっさと寝よう。おやすみ!


本日の歩行 40・48キロ

      52584歩

累   計 1053・28キロ

      1368441歩 

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