*第三十日目 六月十日(火)
今日はあわよくば「松山」まで…と思っていたが、とてもそんな距離ではなかった。
夕べはあれから、同じフロアーの1号室の「おっさん」…「広島」から来た「Tさん」、五十四歳・独身。こういった事には向いていそうな痩身。身長もそれほど高くはない。板前風短髪なのは、「お遍路だから」と言うより、「お寿司屋さんだから」だろう。瀬戸内に浮かぶとある島で、店をやっているそうだが…パートのおばさんに休暇を取ってもらい、「通し打ち」でこの旅に出たと言う。
『何か期するところでもあったのだろうか?』
それが何なのか
(そういった点で、ノンフィクション作家やルポ・ライターにはなれないだろう)。
…の部屋に招かれ、「ユキちゃん」(「横浜」から来た二十五歳。職業は…こんな旅をしているくらいだから、おそらく「フリーター」。たぶん「未婚」)と三人で宴会となる。
二人はすでに酒が入っており、特にTさんは良い調子。広島弁に拍車がかかる。
(大学時代の同級生や旅仲間、そして現在までの仕事にも「広島」出身の人間がおり、少々荒い関西訛り…関東の人間にしてみれば、九州の手前まではひっくるめて「関西」なのだ…にも、さほどの違和感は覚えない)。
「こん人は、娘みたいなもんじゃけ~」と、ユキちゃんの方を指し示す。実際Tさんは、ユキちゃんのお父さんとほぼ同年齢。部屋も別々だし、怪しい関係ではなさそうだ。
ただしTさんは、年の割りには若く見える。独身だから…? 何だかんだ言っても、知る限り、未婚の人や、結婚していても子供がいない夫婦は若い。ナゼなら…持っている自論の一つに「子育ては、先ず体力」がある。「子育て」とは、人を老け込ますに十分なほどの重労働の一つなのだ…と思っている。
一方のユキちゃんは…と言えば、もともと無口な
さらに、途中で二度も使いっぱ。ビールの買出しに行かされる。かなりのあきれ顔…だが、酔いの回ったTさんはお構いなし。『こんなおっさんに付きまとわれていたのでは、せっかくの旅が台無しなのでは』と思ってしまう。
その間、「あん人も、なんかあるんじゃろうけど…」とTさん。まだ知り合ったばかりで、二人の人柄もよくわかっていないが…『今時の女の子。失恋くらいでこんな事はしないだろうけど…』。「あん人も」と言うあたり、Tさんも何か思うところあっての「
とにかくこちらは…歩いていて、思う事は沢山あるが…ホントに、ただの旅行気分。
だいたい、「遍路」などと言うと、「何かあるんでしょうけど…」となるが、「んなもん、あるわけないだろ!」と言いたい。
だいたい、ありもしない「防犯カメラ設置」の札や、「無断立ち入り禁止」と書かれ、小屋に鍵が掛けられているのは、「乞食遍路」みたいな連中のせいだ…と思う。
だいたい、勘違いしている奴等が多過ぎる。寺を回ったくらいで「悟り」が開けるなら、世話はない。修行のためなら、もっと違う方法があるはずだ。
「『悟りの境地』というものは、ごく個人的な体験で、人に分け与えられるものじゃない」
腕時計をはずしたままだったので、正確な時間はわからないが…予定の十時は過ぎていたと思う。食後だったが、少々飲み過ぎ。「おやすみなさい」の言葉を残して、それぞれの部屋に引き上げる…が、寝付きはイマイチ。
(酒が「
五時の目覚ましまで、トイレにも立たずに眠るが…目覚めはスッキリしなかった。おまけに、窓を開けると…雨。予想はしていたが、『ガッカリだ』。
午前六時。渋々起き出し、大方の準備を整え、朝食のために下に降りる。食堂に入るには、いったん外に出なくてはならないが…今のところ、それほど強い降りではない。霧雨程度だ。薄暗い、曇天の高原の街は、少々肌寒い。長袖で降りて来て正解。
食堂に入ると…Tさんとユキちゃんが、コーヒーを飲んでいる。
『
とっくに出掛けたと思っていたのだが…昨晩の話では、早朝、朝食も取らずに発つと言っていたはずだが…。
何でも…なにものかに憑依された訳ではないだろうが、あれからTさんは、気が付くとパンツ一丁で、小雨降る「
これから警察に行って陳謝して、それから四十五番のお寺に向かうと出て行った。
二人が去った後、一人で朝食。
目玉焼きと塩
食事の途中で、ここに宿泊していたのであろう遍路のおじさんが一人、入って来る。宿代を払って、いったん部屋に戻る。
(「おまけ」に、特大「おにぎり」一個)。
歯磨き・トイレを済ませ、鍵を持って下に降りる。雨は小粒。合羽や傘が無くても、濡れる事はない。
六時三十五分、宿発。
宿を右に出て、すぐ先の交差点…昨日テーピング・テープを買った、小さなショッピング・センターのある十字路。ここを右折。
役場脇を通ると、間も無く旧市街のメイン・ストリートに突き当たる。ここで「四国のみち」の標識に従い左折。
雨の早朝の商店街は、まだ夜も覚めやらぬ。おじいちゃん・おばあちゃん・犬を散歩させる女性の姿がチラホラ程度。
旧道を少し行き、案内板に従い右折。街並を抜け、「久万川」を渡ると、田んぼの中の一本道。
里山に
だいたい四国の人は、そういった事に関して、無頓着すぎやしないか?
「土石流警戒河川」とか「急傾斜地~」などといった、警告の杭や看板があちこちにあるが…そこに民家が建っているのだ。
「落石注意」なんて看板は、まったく無意味。いつ岩が落ちて来てもおかしくない、オーバーハングの崖下に作業場があったりする。
そこで生まれ育ったから、気にも留めないのだろうか? 災害が起きても、文句を言えないような場所に住んでいる。平地育ちの人間の目には、
遍路道にしても、ましてや今日のような雨で薄暗い日に、落ちた石や倒れた木がゴロゴロしているような場所…ついつい足早になるような所ばかり。
とにかく、そこを過ぎると徐々に上り。
左角にお寺の駐車場がある先は、道が一段と細くなり…茶店の前を掃いていたおばあちゃんと挨拶。
左にグッと登って、山門に
《第四十四番札所》
「
本尊 十一面観世音菩薩
開基 明神右京・隼人
宗派 真言宗豊山派
その昔、狩人の「明神右京・隼人」兄弟が、ここで観音菩薩像を発見。安置したのが始まりと云われる。
その後、「文武天皇」の勅願により創建。
「弘法大師」もここに逗留し、密教の修法を修行されたと云う。
山門の通路に、大きなザックが立て掛けてある。先客がいるようだ。
山門からさらに上がって、本堂・大師堂へお参り。
先客は、九番「法輪寺」内の休憩所で会った、年齢不詳の野宿遍路さん。向こうはこちらの事、まったく憶えていないようだ。軽く言葉を交わしただけで、先に行く。
遍路道は、山門まで下らず左へ入る。
地道から山道。けっこう上ったと思うのだが…朝いち、ましてやこんな天気。記憶がはっきりしない。湿った木々に囲まれた、陰気な境内の光景しか頭に残っていない。
山道はグッと下って、「峠御堂トンネル」出口のすぐ横に出る。
道は「県道12号」。ここから少しの区間、歩道の無い道。
下っていると、途中で右に入る「遍路マーク」。県道から下りて、右下に見える「河合」の集落に入る。
ここに、トイレのある「へんろ小屋」。時刻は、宿を出てから約一時間。午前の七時四十分。
ここで、十五分ほどの休憩。ついでに、トイレで「大」を踏ん張ってみる。夕べは少々飲み過ぎたせいか、ゆるい感じがしていたのだが…NO RESPONSE…応答無し。
「ふ~」
休憩所の向かいに建つ古い家屋は、以前は宿だったような造り。
(現在、人が住んでいるかどうかは不明)。
ここにはかつて、遍路宿が数軒あり、それなりに
その先、県道との合流付近には、神社やガソリン・スタンド。
ここからしばらく、「県道12号」を歩く。歩道は無く、緩やかだがずっと上り。
やがて大きな左カーブ。これから道路工事が始まろうとしているが、手前で右に入るのが「へんろコース」。
石の打たれたコンクリート路面。しかし、溝の浅い安物の靴は良く滑る。ツルツルの土や石の上は要注意。ズリッ・ズリッと、足を取られる事しばし。1980円では仕方ない。
入ってすぐは石段もあったが、やがて地道。最初上って、あとは林道風のダラダラ下り。
木を伐採している森を右手に見て下って行くと、人が住んでいるらしい民家が数軒と小さな畑。
その後、砂利の敷かれた林道になり、左に完成間近の家。
やがてコンクリートが打たれた道路が出現し、左手にま新しい建造物。「浄水場」と書かれてある。何だか興覚め。
その少し先を右に入った所に、トイレのある休憩所とベンチ。そこにTさんとユキちゃん。朝ゴハンを食べ終えたところのようだ。時間は、前回の休憩から一時間弱。八時四十五分くらい。
二人には先に行ってもらい、昨日買った「あんぱん」を食べながら、十五分ほどの休憩。ここは「八丁坂入口」。ここから「八丁坂」の本格的な登りとなる。
大方は、落ち葉の積もったフカフカの
それなりにキツイ登りだったが、この程度なら毎日の事。距離も、それほどではない。石碑のある所で稜線に出て、「八丁坂」の登りも終わり。
今登って来た反対側の斜面は、下から風が吹き上がり、それと共に雨粒も飛んで来る。ここからは、多少のアップ&ダウンはあるものの、ほぼ平らな稜線沿い。
最初の緩い上りで、先行していた二人…Tさんとユキちゃんに追い付く。Tさんにあめ玉をもらい、先に行かせてもらう。
そろそろ身体も温まり、調子が出て来た。それに、『今日この後の行程は、まだまだ長い』。そう思えば、ピッチも上がる。
その先は、木々に囲まれ、また、風が吹き荒れている斜面とは反対側。雨粒も風も来なくなり、歩きやすい。
やがて、お寺への最後の下り。下に行くに従い、大き目の石がゴロゴロ。石段もあったが、崩れていたりで歩き
各所に像が現れ、お寺が近い事を告げてくれる。
やがて、大きな赤い像のあるお堂と…
「
(ここは立入禁止。巨岩の裂け目を、鎖を伝って登る修行場らしい)。
さらに下ると、古ぼけた山門。
(この門は、今通過して来た行場への門か? 山越えのコースは、裏口からお寺に入る事になる)。
そこを過ぎれば、本堂と大師堂。
《第四十五番札所》
「
本尊 不動明王(伝 弘法大師作)
開基 弘法大師
宗派 真言宗豊山派
元々は「法華仙人」修行の地。
弘仁六年、「弘法大師」が堂宇を建立。本尊を刻んで開基。
「白山権現」を
狭い敷地。頭上にまで張り出した岩肌に、張り付くように建っている。
『こんな内陸の山の上なのに、「海岸山」とは…』
境内からの朝霧が、海の
それに、ここまで降りると、森が切れたせいか風も吹き乱れ、雨粒が散乱している。ここからは傘使用。
本堂横の岩屋には、木のハシゴが掛けられている。
(上から下って来ると、先ず大師堂。その先の小さい方が本堂だ)。
皆が手や足を掛けるであろう部分が擦り減って、
一段降りた所に、岩盤にくっ付くように建てられた木造の建物。奥は洞穴へと続いている。『ここが「穴禅定」か?』
中に入ると…真っ暗。懐中電灯で照らしてみれば、大きなお地蔵様。ライトを消して合掌。
出て来たところにTさん。ユキちゃんの姿は見えないが、これから納経に向かうそうだ。
こちらは木造の休憩所で缶コーヒー。
そこに、宿の朝食で顔を合わせた初老のおじさん。物越し柔らかで、ゆったりとした動きに、落ち着いた雰囲気。低姿勢だが、年代の割りに背が高い。まったくの遍路姿ではなく、ポツポツと白が混じる以外、普通の格好。「区切り打ち」なのか? 乗物併用なのか? 荷物も少な目。昨日道を間違った話…等々、ひとしきり。
おじさんが立ち去った後、時計を見れば午前十時半。ここに到着したのは十時前。岩屋に登ったり・穴に潜ったりと、もう三十分以上が経過している。
『グズグズしてはいられない。急がなくちゃ』
ここからのルートはいくつかあるが、次のお寺に向かうには、とりあえず「
傘を差して、正面から境内を出、下へと下る。こんな雨の日だが、けっこう登って来る人がある。でも、下のおみやげ物屋や駐車場まで、かなりの距離と勾配だ。お年寄りにはきついだろう。
下まで降りると、左右に走る「直瀬川」。割りと大きな川だ。
橋の手前に「四国のみち」の標識。川沿いに遊歩道があり、とりあえず左折。通り道でもある「古岩屋」の、国民宿舎までは戻れるようだ。
進行方向に向かって左側の川岸を歩き出せば、間も無くの所に「遊水場」の看板。下を見ると、大きな石がゴロゴロしている川原。「遊水場」となっている場所は、流れが少しユックリとなっているようだ。日除けの屋根とベンチ。夏にはここで泳ぐ人もいるのだろう。
その先に、良い感じの小さな神社。そこの汚いトイレで、小用を足してから先へ。
ここからは、すっかりハイキング・コース風の道だが…ここも利用者が少ないのか? はたまた、この前の台風のせいか? 道は荒れている。石ころや、落ち葉・落ち枝に倒木。ただし川岸なので開放感があり、山中の岩が崩れそうな所よりは安心感がある。それに、大きなアップ・ダウンも無い。
川の向こう岸には、ほぼ平行して「県道12号」が走っているようだ。距離的には遠回りになるが、今やって来た道を、再び引き返す気にはなれない。
「古岩屋トンネル」の箇所は、川と共に県道の下をくぐる。隧道には入らず、川と一緒に地形に沿ってグルッと回り、トンネルの反対側に出る。
畑の横を通って県道に上がると、すぐ先の左側に国民宿舎の建物が見える。
そこへの入口付近。道路際に、バス待合所も兼ねた休憩所。自販機もある、まあまあ大きなコンクリート建屋。お寺を出てから、まだ四十分ほどの十一時十分だが…『雨もしのげるし』と、ここで二十分ほどの休足。冷たい物を買って、宿でもらったおにぎり一個を平らげる。
ここの向かいの断崖が、名勝「
写真を撮ったりしているところへ、ミニ・サイクルを押した男性遍路さん。
(年齢不詳…三十代だとは思うが、薄毛のロン毛で、おさげ風に縛っている。言葉は関西訛り)。
間も無く、先ほどのおじさんも到着。車道を歩いて来たそうで、一服着けた後、そのまま車道を歩いて行った。
自転車遍路さんをあとに、こちらも出発。県道から左に入って、「八丁坂」を目指す。
ここで、右下を流れる川沿いに、「四国のみち」が通っている事に気づく。「へんろコース」は上り坂だし、景色も向こうの方が良さそうだ。『失敗したかな』と思いつつ歩くと、直下に見えるお堂へと降りる道。行ってみれば…「カッコイイ~!」。そこから臨む、川の対岸の巨岩の裂け目。ここからでも見えるほど巨大な赤い「不動明王」像が、そこに安置されている。
『あそこが「古岩屋」?』
その先で、丸太を並べた橋を渡り、けっきょく登って遍路道に戻る。
砂利の敷かれた林道を上れば、朝立ち寄った「八丁坂入口」のトイレの白壁が見えてくる。
ここからしばらく、「戻り打ち」のコース。『こんなに下っていたっけ?』と思うほど、ず~っと上り。最後に石段を降りて、県道に出る。
すぐ先で、来る時にも通った旧道に入り…来る時にもいた、吠えないワンちゃんのいる小屋の前を通過し…緩い下りを行けば、右に「ふるさと旅行村」への入口。
そこに、バス待合所も兼ねた、広くて造りの良い休憩小屋。前方を見れば、少し先を歩くおじさんの後ろ姿。まあ、この程度の差のようだ。時計を見れば十二時十五分。時間も距離も
ほどなく「河合」の街に入り、ペット・ボトルを補充。
今度は遍路道に入らず、メイン通りの十字路直進。そこから「久万」まで、県道一本のつもりだったが…「峠御堂トンネル」のある、峠への上りに掛かった直後。右側に「へんろマーク」発見。「高野経由」とある。
手持ちのガイド・ブックには載っていないコースだが…方角的には、得する方向。迷わず入るが…最初は、車のタイヤの跡が残る林道。やがて山道。それも、かなりの急傾斜。ガレ場は荒れているし、右手にキャンプ場が見えるあたりは草ぼうぼう。あまり人の通るルートではなさそうだ。ほとんどが森の中なので、傘を差す必要はなかったが、どちらにしろ汗でビッショリ。
「千本峠」と思われる頂上の切り通しを過ぎると下り。しばらくトントンと下っていたのだが…『こっちなの?』。
今登り切った反対側の斜面をトラバース後、再びきつい登り。太陽の出ていない、曇り空の森の中。方角もわからなくなってきた。かなり戻っているような気がしていたが、『ここが「高野」?』。
民家が見える。ハウスも見える。舗装された道には、小型トラックも駐車しているが…人影はまったく見えない。
「四国のみち 高野休憩所」は後方百メーター。見える距離だが、戻る気も、休憩する気も無い。
このまま舗装路を下るのかと思っていたが…すぐにハウスの方へと、草を分け入る。
この後は、
ほぼ下り終え、重機が走り回る砕石場近くで、舗装路に出る。間も無く、「久万川」を渡る橋。近くに新しい公園。ここで小休止。時刻は二時近い。
『腹減った~』
でも、宿でもらったおにぎりは、すでに食べてしまった。
『国道に出れば、何かあるだろう』
川から上がったすぐ先の「仰西」で、「国道33号」に合流。
右折して国道に入るが、使った労力の割りには、大して得をしていない感じ。先はまだまだ長い。
この集落の、国道沿い左側に、できたての直売所。その一角に「たこ焼」の
「ふ~っ…」
やっと食べ物にありつける。時刻は、午後二時を回ったところだ。
「次のお寺まで、上り二時間・下り一時間半」
そう教えてくれるのは、白髪混じりの、喫茶店のマスター風のおじさん。この店の経営者。
定年退職後なのか? 早期退職で脱サラなのか? 年代的にはそんなところだが、予想に反して、ずっと独立自営でやってきた人かもしれない。元サラリーマンだったとしても、営業かサービス? でなければ、客商売などに転身しないだろう。そんな雰囲気のおじさん。
ここで、「焼そば」と「たこ焼」1パックずつ。
たこ焼を食べ終わり、焼そばが焼き上がるのを待っていると…『アチャ~』。降ったり止んだり、一時上がっていた雨だが、外で本降りとなっている。
大休止を終え、表にあったトイレに寄ってから、ここを後にする。雨は少し小降りになったが、傘は欠かせない。
道は緩やかだが、徐々に上りへと転じる。
少し行った先に、屋根のあるバス停。ここで、途中で看板を見かけた、次のお寺前にあるという宿に予約を取る。
雨は本降りとなり、この後、峠がもう一つ。時刻は二時を過ぎているのに、残りは14キロ。でも『仕方ない』。どちらにしろ、そこまで行かなくては宿がない。
傘を差し、車の巻き上げる
急がなくてはならないが、でも…何だか気分が乗らない。さほど歩いていないが、右側にあった本日休業の直売所の軒下に入る。時刻は二時四十分。販売機で買った缶コーヒーを飲んでいると、再び激しい雨。気温も下がってきたし、ここで合羽をフル装備。でも、歩き出すと蒸し暑い。
登坂車線が始まり、左前方に「P」が見えるあたり。道路の左側を歩いていたのだが、右への小道に「へんろマーク」。
入ってみると、けっこう急な登り降り。合羽フル装備ではキツイ。
『ここが峠か?』
でも、先の大きな右カーブをカットするだけ。まだまだ先は長そうだ。
そこから、どれくらい歩いたろう? 『四国にもスキー場があるんだ』と思いながら、右に
そこから少し進めば、ポツポツと家が見え始める。そのあたりに行き着く手前に、右に入る「へんろマーク」。このへんが「三坂峠」のようだ。
右手に入って少し行けば、ストンと下がって、下りの山道となる。
その降り口にベンチ。ザックを置いて、合羽を全部脱ぐ。小降りになっていたし、ここから先は森の中。『必要無い』と思ったからだ。合羽を脱ぐと、ビッショリというほどではないが、かなり湿っている。
ここからは、長くて退屈な下り。足場はかなり荒れているので、景色を楽しんでいる余裕は無い。どちらにしろ、こんな天気の森の中。興味を引くものなど、何も無い。
それに、かなり疲れている。足元を見ながら、溜め息が出るくらいの下り坂。
「ふう~」
最後に休憩小屋。ここで一息。時間は四時を回っている。
そこから先は、狭いが舗装された道。
田んぼも現れ、軽トラのおじいちゃん・おばあちゃんの姿。付近の森では鉄砲か? 時折、轟音が
薄暗い森から出ると、夕方近い時間だが、空は明るくなっている。今日はもう、雨の心配は無さそうだ。でももう、いい時間。距離もまだ残っている。
セッセと歩くが…右足の、昨日新たに発生したマメのあたりが痛み出す。靴は、つま先付近を中心に、グチュグチュ音をたてている。
人里近いこのあたりだが、先はまだまだ長かった。
石屋さんと思われる家の道路際。私設・無人の遍路小屋で、セルフ「お接待」の
でも歩きでは、ただただ無駄な遠回り…そして振り返れば、今越えて来た山々は、霧に霞んでいる。
こうして見上げると、結構な山だ。昔は難所だったというのも
『天気が良かったら、どんな眺めなのだろう?』と想像しつつ、「へんろマーク」に従い行けば、道路右側に番外霊場「
「弘法大師の網掛石」伝説の場所。石の割れ目に納札を挟み込んだり、賽銭をあげて通過するならわしがあったそうだ。
昭和六年に
そこに、新聞の切り抜きが貼ってある。写っているおじさんが、石のある民家前に立っている。ここの御主人さんなのだろう。
そこを過ぎ、左に入る南回りの近道を行かず、バスも通るが、所々狭くなっている道を行く。
徐々に民家が増えてきた。おばさんが引いている大きな犬に寄り付かれながら、やがて街並へ。
けっこう大きな集落。『宿までは、もうそんなにないはず』と、ここで飲物調達。
ガイド・ブックの大雑把な地図では、宿はお寺の手前にあるようだが…なかなか見えて来ない。
『道を間違えたか?』と少々不安になった頃…『アチャ~!』。
道路際・左手に、続く四十六番のお寺。
でも、『ホッ』と安堵の溜め息が出る。けっきょく宿は、道を挟んだお寺の真向かいにあった。
とりあえず、お寺の境内へ。
《第四十六番札所》
「
本尊 薬師如来
開基 行基菩薩
宗派 真言宗豊山派
和銅元年(708)、「行基菩薩」が開基。
大同二年(807)、「弘法大師」が再興。
以後、興廃を繰り返し、天明五年、現在の堂宇となる。
すでに閑散とした境内では、おばちゃんが掃き掃除。雨の山道を歩いて来た汚い靴では、気が
そして午後五時半。無事宿に入る。
宿は『まさかここ』というほど大きな建物。
『今晩のうちに』と思って宿代を払いに行った売店は、「お遍路グッズ」等、結構な品揃え。
団体さんも泊まっているし、歩き組も「やっぱりここに集結」といった感じ。ユキちゃんの姿は見ていないが、かなり遅れて、疲れ切った表情のTさん。
『みなさん、お疲れさま』
部屋は二階。引き戸の和室。さすがに障子ではなく曇りガラスだが、鍵付きでカーテン装備。
先ずは洗濯。
(広いコイン・ランドリー完備)。
風呂に入っている間に乾燥機。
(まだ「三十分間」
食事は大広間。
刺身・塩を付けて食べる天婦羅・赤い煮魚・漬物・そうめん入りのお吸い物、等々。御飯は二杯。
食後は…玄関先に放置してあった合羽を部屋干ししたり…傘をたたんだり…宿代を払ったりと、けっこう忙しい。本日の記録も急ぎ足。
(なにせ、宿に入ったのが遅かったので)。
気が付けば、もう十時を回っている。さっさと寝よう。おやすみ!
本日の歩行 40・48キロ
52584歩
累 計 1053・28キロ
1368441歩
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