*第二十四日目 六月四日(水)

 四国には太った人が少ない中、ちょっと太目のおばちゃん。

 学生の頃に亡くなった祖母を思い出させる体形と歩き方。

 そんなおばちゃんが一人でやっている宿の方が、印象に残るものだ。


 昨晩は…足が痛むせいか? はたまた暑くて寝苦しかったせいか?


(窓一枚、開け放しておいたのだが)。


 変な夢を見てしまったり…内容はまったく憶えていないのだが…それで夜中に一度、トイレに立つ。


(もちろん、共同トイレ)。


 けっこう広い宿なのに、『おばちゃんと二人きり』だと思うと、ちょっと薄気味悪くて…トイレは廊下の正反対、一番奥の突き当たり。

 おまけにおもてでは、パラパラと雨が降っている気配。


 五時の目覚ましで起床。テーピングを済ませ、六時に下へ降りる。

 朝食は…生卵・ジャコ入り大根おろし・めざし(?…だと思う)・味噌汁。そしてゴハンを軽く二杯とお茶。

 宿代を払い、歯磨き&トイレ。

 宿の前の自販機で飲み物を仕入れ、おばちゃんに見送られて出発。時刻は六時三十五分。雨は上がっているが、重苦しい曇り空。


 先ずは宿前の細い道を先へと進み、間も無く「国道321号」に合流。

 曇りの日の朝は、いまいち目覚めが悪い。まぶたが重く、目がしょぼしょぼ。焦点が定まらない。

『Tシャツでは寒いか』と思っていたが、歩くほどに『これで良かった』といった感じ。しばらく、左手に海を見ながら歩く。


 2キロも歩いたろうか? 左に小さな漁港のある「下川口」の街の入口に、目指す「県道28号」。「宿毛すくも」方面の標識あり。右から突き当たっているT字路を右折。内陸へと向かう。

 本日の宿泊予定地「宿毛」までは28キロとある。国道で外回りだと36とあった。この先にポツンとある番外霊場に用が無いなら、内陸コースは8キロほどの短縮となる。だから、地元の人達にとっても便利な道なのだろう。それに「下川口」の集落は、このあたりにしては大きな街。七~八時の時間帯は、けっこう車も通る。

 宿のおばちゃんの言葉通り、少し行った右手に商店。七時を少し回った頃だが、入口の戸は開いている。ここをのがしたら、この先のアテはない。なにしろ本日のコースは、遍路道かられるばかりでなく、人里からもはずれた田舎道。

 中をのぞくと…店のおじさんがガサゴソと、朝の開店準備中。「大丈夫ですか?」と声を掛けると、「大丈夫」との事。ここでパンを買う。「宿毛に出るのかい?」とおじさん。「はい」と答えて店を出る。


 今買った缶コーヒーを一気にあおり、歩き出す。

 そこから先は…時に道は平坦になりながらも、おおむね緩やかな上り。

「下川口」の中学校を過ぎたあたりから、ポツポツと来た。それほど強い降りではないが、傘を差した方がよいくらい。これ以降は、降ったり止んだりの一日となる。

 そして…靴も、いよいよダメだ。靴底に穴が開いた模様。路面が濡れる程度の雨なのに、中までみ込んで来た。

 やがて次の集落手前。手に持っていたパンにつられたのか、犬が着いて来るが…下腹部にグッと来た。

『ヤバイ!』

 犬を振り切り、道路右側、コンクリート壁の切れた所から林にもぐり込み、用を足す。

「ホッ!」

 ひと安心。小降りの雨は、一時上がっている。時刻は七時四十分。ここで、本日一発目の休憩。うっすら濡れた歩道に、地図を敷いて座り込む。

 もし今休んでいるここが峠なら、おばさんの言葉通り「峠って言ったって、大した峠じゃないから」となるが…『そんなわけないよな』。先は、まだまだ長かった。

 そこからも見える「宗呂」の集落に入り、飲み干したペットと入れ替えに一本購入。


 その後、砂防ダム工事をしている所を何箇所か過ぎ、やがて午前九時。道路右脇の駐車帯。張り出した木々が雨けになっている場所で、二度目の休憩。

 ここまで、取り立てて述べるような事は何も無い。濃い灰色の雲の下、単調な道が続く。

 ここで、Tシャツの上に白衣びゃくえを羽織る。冬場のマラソン同様、腹部が冷えてきたからだ。

 本日は朝方より、雨が降り出してからの方が気温が下がった感じ。一瞬薄日が差した時は暑くもなったが、汗ばみ、高度も上がった現在では、長袖でも良いくらいだ。そこで…

『毎日毎日、そんな仕事を一生懸命やっていられるアンタらの方が、ずっとエライよ!』

 唐突に、そう思った。

『本当に楽しい思いをしたことがないから、続けていられるんだ』

 特に、最近までの業界に入ってから、そんな思いがいっそう強くなった。

『仕事も遊びも、面白い事ばかりやってきた』

 そう思っている。


(ただし、ここで言うのは「楽な」という意味ではない)。


『これがフツーの暮らしか』

 それが悪いとは言わない。「並の生活」では、満足できない人間になってしまっただけなのだ。

「ふ~」

 落ちて来る雨を見ていると、幼い日、窓ガラスに流れた雨雫を眺めていた自分を思い出す事がしばしばある。

 幼稚園生の頃にはすでに…雨粒の滴りを見て・風に舞い上げられる砂塵を見て・路傍の石を見て…すべてを知る事など・すべてを統制する事など、到底無理な話。そんな事に気づき、人間のちっぽけさ・人生の無常さを感じる…そんな子供だった。そんな自分が、とても『かわいそう』だと思っていた。感受性が豊かだなんて、ただ生きていくだけなら、むしろ無用な事だ。後年、哲学者だったか芸術家だったか、同様の事を書いているのを見て『似たような人もいるんだな』と思ったものだ。本当は…朝起きて、メシ食って、仕事して、余計な事でイライラ・クヨクヨせず、それで満足して一日が終わる。そんな人生が一番幸せなのかもしれない。だが仕方ない。あいにく、こんな人間に生まれてしまったのだ。

『どうして、こんな物質世界に生まれてきてしまったのか…』


「ふ~」

 そこを発つと間もなく、「出合橋」を渡って、右からの道が合流するT字路。ここは道なり左。下から10キロ弱。峠までは、あと3キロほどの地点。

 峠とは、大体どこでもそうなのだが、頭の上が開け、周りの景色が絞り込まれてくる感じになり、峠が近い事を教えてくれる。


(天気が良い日なら、空の青が濃さを増す)。


 道も一段と細くなり、クネクネとしたカーブが増えてきた。勾配も、グッときつくなる。

「ふ~」

 しかし、少々退屈だ。景色も見通しが利かない山の中。せめて天気が良ければ、山の緑が綺麗なのだろうが…こんな曇り空の日。

 唯一ゆいいつなぐさめは、道に沿って、ずっと左を流れる「宗呂川」の清流。なるべく左側を歩き、川面かわもを眺める。歩道の無い道だが、整備されており、通る車もほとんど無い。

 やがて…『ここが坂井峠?』。開けた場所に出る。すごいイナカだが、こんな所にも(失礼)民家が数軒。廃屋もあるが、人が住んでいる所もある。集落と呼べる程の数ではないが、『ここが「坂井」?』。

 左に入った少し先に、森に囲まれた小さな神社が見える。木の鳥居をくぐって上がってみるが…かなり痛んだ木造神社。

 あたりは雨で湿っぽく、休憩できるような場所ではない。

 さらに進んで、頭上に掛かる「宿毛すくも市」の看板を過ぎる。


(ここが峠か?)。


 その先左、広い路肩の木の陰で、路面が濡れていな所に地図を敷き、腰を降ろす。時刻は十時三十五分。

 ここに三十分ほど。下りに備え足を休め、パンを食べたり大休止。


 この後は…と言うより、この後も、山・山・山で、ホント、何も無い。

 今度は下りなので、これから向かうふもと方面は見下ろせるが…厚い雲に覆われ、遠望は利かない。淡々と、田舎道を下るのみ。

 どんどん下り、道も平坦になってきた所で川を渡る。

 先ほどの峠が分水嶺ぶんすいれいなのだろう。こちら側は「福良川」。

「石原橋」とあるから、地図上で「石原」とある地区だと思われる。もしそうなら、「国道321号」まではあと2~3キロのはずだ。

 でも、穴の開くほどに擦り減った靴。それに濡れた足では、非常に疲れる。時刻は十二時十分。田畑に囲まれた道端で、二十分ほど休憩。

「宿毛」に着いたら、絶対に靴を買わなくては…。

『しかし、まったく今日は…』

 一日中雨。天気予報は大はずれ。メインは曇りのはずだったのに…。

 台風の時に較べれば、大した事はないが…気が滅入る。まあ、国道に出てからは、景色に変化があるので、雨粒さえ落ちて来なければ、ちょっと物悲しいような風景も、それはそれで趣きがあり、嫌いではないのだが…あれから…前回の休憩から淡々と歩き、「国道321号」に合流。

 国道に出た「小筑紫」の街で、電話ボックスに入る。電話帳をるが、結局ガイド・ブックに載っていた宿に、ケータイで予約を取る。電話ボックスに入ったのは、むしろ寒さしのぎのため。

 このあたりは、通行量が多いのに歩道が無く、歩きにくい。

 店々が両側に建ち並ぶ場所を過ぎ、小さな上り坂に掛かる所からは歩道が現れる。

 その街を抜けるあたりの右側に、まだ花輪の上がる新装開店の惣菜屋さん。ここで、おにぎり二個入りのパックを買う。

 買ったはいいがこの天気。食べる場所を探しつつ、けっきょく前回の休憩から一時間以上が過ぎてしまう。

 やがて内陸から海の見える場所に出る。

 左に「湊浦」の漁港。小降りだった雨が、再び強くなってきた。

 ちょうど道路の右側に、小さなお堂。そのひさしの下に座り込む。

 靴の中はグチョグチョ。時刻は一時五十分…なのに、あたりは薄暗い。

 ここでおにぎりをパクついたり、四十分ほどの休憩。

 小さな里山が迫ったお堂の裏に、小用を足しに入ると…ここの守り神か? 沢ガニが数匹、顔を出す。

「東京都小笠原村」同様、ここ四国でも、山中で沢ガニを目撃する事がある。もちろん彼等をよけて、用を済ませる。

 そのうち雨が小降りになったところで、お堂で手を合わせ出発。「宿毛」市内までは、あと5~6キロのはずだ。


 そこを出てから1・5キロほどの所に、「道の駅 すくも」がある。でも、たった今休憩を終わらせたところ。ここは素通り。

 このあたりから後は、雨も上がる。でも、曇り空は相変わらず。手に傘を持ち、左に海を見ながら歩けば、やがて湾の向こうに広がる「宿毛」の街が見えてくる。

「松田川大橋」で、海に注ぐ幅広の「松田川」を渡り、「宿毛」の市街地に入る。宿は、「土佐くろしお鉄道」の終点、「宿毛駅」方面。

 河口付近から内陸へと向かう事になるが、思っていたより距離がある。両側は山に挟まれているが、海に流れ込む直前の川に沿った街。きっと地形に合わせ、細長い形をしているのだろう。

 本日の宿は駅の近くだが、駅前ではない。駅周辺は、新しく開発された新興地のようだ。空き地は多いが、道が変に入り組んでいて、そこに見えるのに到着しない…といった感じ。

 時刻は三時を回ったところだ。『まだ早いし、靴を買わなくては』と、遠巻きに宿の場所を確認し、スーパーなどのある通りを進む。

 先ずはホーム・センター。ここで日用品などを買うが、靴は置いてないとの事。店員さんの話では、戻った方角に靴屋があると言うが…引き返す気にはなれない。

 そこで、さらに先へ行ってみると…『この街で一番大きいのでは?』と思われる大規模店舗。なんといっても、エスカレーターがある。

 その一階、食品売り場と同じフロア。靴が並んでいる一角がある。のぞいてみるが…大した靴はない。やはり「高知市」あたりで、手間・暇を惜しまず見つけておくべきだったのだ。でも仕方ない。『穴が開いている靴よりはマシだろう』と、陳列棚を物色。「幅広・軽量」で、「歩行性を重視」したといううたい文句の黒い靴。


(同種の物で「白」もあった。『お遍路だから…』とも思ったが、やはり汚れの目立たない「黒」にする)。


 サイズぴったりの物を購入。おもてのベンチに腰を降ろし、靴と靴下を脱ぐ。

 ベロベロになったテーピングをがし、靴下を履き替え、足を入れてみる。かかとの部分が浅いし、ソールが変に硬いが…まあ仕方ない。本物のジョギング・シューズやウォーキング・シューズとくらべれば、超格安のお値段。お金の節約にはなった。

 ここまで頑張ってくれたシューズとは、これでお別れだ。名残り惜しいが…『有難う』と、ゴミ箱に入って頂く。

「合掌!」


 ここで夜間の飲み物も仕入れ、宿に向かう。今頃になって、日が差して来た。明日は良くなるだろう。


 街並をグルッと回って午後四時半、宿に到着。本日はビジネス・ホテルだ。

 宿のあたりは旧市街。少々古い建物だが、値段が安いので、これも「よし」としよう。

 部屋は何階だったか? 変形三角形の狭い部屋。とにかくユニット・バスに入って、ついでに洗濯。足踏み脱水まで終了すればひと段落。


 頃合いを見計らって、1Fのレストランへ。店の造りは凝っているが、ホテル同様、内装に少し古さを感じさせる。

 中では…出張風の二人組みが弁当定食を食べており…店の女の子は、バイトの女子高生(?)。まだ新人なのか、店のおばさんにあれこれ指導を受けている。

 テーブル席に着き、『今日こそはステーキでも』と思っていたので…そう高くない「サイコロ・ステーキ」をオーダー。でも本日は「無し」。そこで今度は、思い切って倍近い値段の特製ステーキを頼んだが…これも「無し」。結局、「焼肉ランチ」に落ち着く。


(夜なのに、「ランチ」がある。それに、ライスのお代わりは無料)。


 仕方ない。まあ、またまたお金の節約にはなった。


 その後は部屋に戻り、テレビをつけながら本日の記録。

 今日はお寺も無いし、天気も悪いし、取り立てて書く事もない、パッとしない一日でした。おしまい。



本日の歩行   35・89キロ

       46611歩


累   計  822・79キロ

       1069066歩

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