*第二十五日目 六月五日(木)

『なんだよ! あいつら』


 お寺に向かう手前でスレ違った二人組。

 何かを唱えながら、颯爽さっそうと前を行くのは…年の頃は、こちらと同じくらいか? 頭に白い物を巻き、白衣びゃくえに身を包んだ中肉中背の男。手には錫杖しゃくじょう(長くて、上に鈴やリングのついた杖)を持ち、背中に背負せおった荷物には、何かの模様が入った、絨毯のようなカバーを垂らしている。そこここに錫杖を向け、ブツブツと唱えながら何かをはらうような仕草で歩いて来る。映画『陰陽師おんみょうじ』の「安部清明あべのせいめい」師のように、経文か呪文でも唱えているのだろう。

 後ろに続くのは…年の頃は二十代前半。パッと見、「モサ~」っとした感じの青年。しょうしょう太目。白いTシャツに、頭に白い手拭いを巻いている。片手に、太くて重そうな、杖と言うより木の棒。もう片方の手には、多分食料の入ったコンビニ袋。すでに『もう限界』といった感じで、口を開け、荒い息をしている。


『何だアレ?』


導師どうし」と「弟子でし」。振り返れば、「弟子」君は、右足を引きずるように、右にかしいで着いて行く。背負ったザックが、右側にズリ落ちそうだ。


『ハテ?』


 どんな間柄なのか? 修行の目的は何なのか? スレ違っただけでは知るよしもないが…変わった人達もいるものだ。


(朝一番、次のお寺へ向かう道中にて)。



 朝はいったん五時に目覚めるが、凄く眠くて、六時にセットし直して二度寝。何か夢を見ていたのだが、憶えていない。

 しかし五時四十分、自然発生的に目が覚める。


 あれこれ準備し、一時間後の六時四十分、宿を出る。

 今日は朝から良い天気。まだ昨日の湿気が残っているせいか、日陰はひんやり。白衣びゃくえを羽織って歩き出すが、日向ひなたを歩いていればちょうど良い。

 歩き出してすぐ先のコンビニで、朝食用のおにぎり、焼きそばを買う。

 早朝の「宿毛すくも」の街を抜け、「宿毛大橋」を渡る。


(旧道に架かる、まあ普通の橋。かつては「大」だったのだろうが、今となっては古い橋)。


 その先で「国道56号」に合流。左折し、東へ。正面に太陽があるのでまぶしい。

 靴の方は…まだ馴染んでいないが、穴の開いた地下足袋のような靴よりは、はるかにマシ。

 この時間、国道は大そうな通行量。でも、歩道があるから安心だ。自転車通学の小学生(確かに、小学生なのだ!)とスレ違いながら、お寺を目指す。次のお寺まで、通常とは逆方向となる。「宿毛」の街からお寺まで、片道約7キロ。この区間は往復しなくてはならない。

 だから、そちら方面からのお遍路さん達も多い。「足摺」近辺で一緒だった「侍おじさん」・細くて背の高い、菅笠を被った女の子は…確か二十一番「太龍寺」の納経所にいた子だ。先にげた「ヘンな二人連れ」も、お寺のすぐ手前で出会った。これから向かうお寺の周辺には、何軒か遍路宿があるせいだろう。

 ノン・ストップで八時十分、目指すお寺に到着。


《第三十九番札所》

赤亀山しゃっきざん 延光寺えんこうじ



  本尊 薬師如来(伝 行基菩薩作)

  開基 行基菩薩

  宗派 真言宗智山派


 神亀元年(724)、「聖武天皇」の勅願寺として、「行基菩薩」が開基。

 延暦十四年(795)、「弘法大師」が再興。日光・月光の両菩薩を刻んで安置。

「目洗い井戸」の伝説のある井戸は、本堂横にある。


 人気ひとけの無い、日当たりの良い境内。昨日は一日中、降ったり止んだりの天気だったのでホッとする。

 お寺の手前から、メス犬が着いて来る。


(どこかに子犬でもいるのだろうか? 垂れ下がった乳房。その姿でメスだとわかった訳だ)。


 手に持っている物がお目当てなのだろうが…お参りをしている間、遠巻きにこちらを眺めていたが、やがてあきらめて、いずこへと去って行く。

 その後、裏口から出た所にある小川の砂防ダムの上で、買ってきた朝食を済ませる。

 この後ひとまず、「宿毛」まで戻らなくてはならない。セッセと来た道を引き返す。行きは緩やかな上りだったが、帰りはその反対、緩やかな下り。


 やがて、バイパスと、朝やって来た旧道との分かれ道。なるべく同じ道は通らない主義。帰りは『バイパスを』と思っていたのだが…例のヘンな二人組。まだグズグズと、こんな所を歩いている。

「弟子」君は、かなり遅れ気味。前を行く「導師」は、バイパスへと直進。

『さて…どうしよう?』

「弟子」君のあのペースでは、すぐに追い付いてしまう。

『仕方ない』

 あまりかかわりを持ちたくなかったので、来る時も通った旧道へと右斜め方向。再び工事中の「宿毛大橋」を渡る。

 橋のたもとの信号は赤。そこで立ち止まった瞬間、ピンと来た。ここを右折する。

 間もなくの左側に、「宿毛歴史館」の看板のある、いかにも公共の建物。そこの前には、一本の木を取り囲むように作られた丸い長ベンチ。日陰にもなるし、風通しも良いので、ここで買い置きのお茶で休憩。時刻は気温が上がり始めた十時十分。ガイド・ブックを引っ張り出してみると、やはりここがコースになっている。


 休憩後は、そこの少し先を左折。朝通った一本北側の道で、旧市街を抜ける。

 気が付けばこの道は、昨日靴を買ったスーパーがある通り。新興のこのあたり、ガイド・ブックとは少々違っている。「国道56号」は、右に大きくカーブしてれて行く。

 ひとまずは、まっすぐ進んで「土佐くろしお鉄道」の終点「宿毛駅」前へ。この後は、峠越えが待っているはず。コンビニで食料を仕入れておく。

 このまま進んでは、港の方へ行ってしまうが…右一本北側の「県道7号」がルートのよう。その道に入って、「宿毛」の街から出る。

 景色はやがて田園風景。昼が近くなった時間。太陽は、ほぼ真上から照りつける。海は近いが、少し内陸。風の通りは良くない。


 ガイド・ブックにある「錦」の地名が出て来るが、「へんろマーク」や「四国のみち」の標識は…?

 少々不安になってきた頃、遠くに看板が…近づくと、「四国のみち」の道標。

 水田の中、右からの道が突き当たるT字路だったか? 角付近に、建物があったような…とにかく、そこを右折。右側に見えていた山並に向かう。


 集落を抜け、田んぼの中、右を流れる小川に沿った道を行く。

 山のふもとに見える集落の手前。小川をはさんだ向こう側に、「四国のみち」の道しるべ。橋になっていたのか? 良く憶えていないが、そちら側に小高い丘があり、地道の道も続いている。『まさか、ここじゃないよな』と思いつつ、確認のためにそちらへ。ついでに、藪の陰で小用を足していると…先の田んぼにいた農家のおじおさんが、そこまで来ている。

『ヤベ~』

 あわててチャックを上げていると…こちらの姿を見つけたおじさんは、「こっちだよ! こっち」と、今まで歩いて来た道を指差す。そして「一番向こうに見える…」と言って、先に見える集落の、一番山沿いの家を示す。そこの左が登り口だそうだ。

「あの看板みたいの…」と、そこから上を指差す。県道からも見えていた、銀色に光を反射しているソーラー・パネルのような物。


(何かの反射板で、以前どこかで用途を耳にした事があったが…最近では、よほど印象の強いものでないと、鮮明に記憶に残らなくなってきた。「不要なものを忘れないと、新しいものが入らない」と言うが、そろそろ脳の許容量キャパシティーも限界に近づいてきたようだ)。


「あっちの方に登って行くんだよ」と教えてくれる。

 街を離れここまで来ると、木陰や小川のせせらぎはさわやかだが…風はほとんど感じられない。

 集落を抜け、登山口に取り付く。下から見た限りでは、距離は大した事はなさそうだが…「松尾峠 1・7キロ」とある。登りの「1・7キロ」は、結構ある。それに、かなりの急坂。おまけに、先日の台風のせいだろうか? 石がゴロゴロ・木がザクザク。


(登りの途中にあるとされる「石畳跡」。沢山の小枝や葉に覆われてしまったのか、わからなかった)。


 道を横切るように倒れている竹。大小二匹のヘビも目撃。ポタポタと汗をしたたらせ、登って行く。

 足の方は…まあ良い感じ。安物でも、靴底がある分まだマシだ。かかとの深さも気にならない。この登りで大丈夫なのだから、この後も問題無いだろう。


 休みもせずに、一気に頂上を目指す。Tシャツは、すでにビショビショ。

 やがて、峠の手前で鳴り響く「正午のチャイム」。ふもとの方から聞こえて来る。『峠でお昼』と思っていたので、ほぼ予定通り。

 登り切ったあたりに「茶屋跡」のベンチ。すぐ先に、トイレ・大師堂と続き(ここが番外霊場「松尾大師跡」なのだろう)、「愛媛」との県境けんざかいの碑。ここから先は「菩提ぼだいの道場」…「伊予の国・愛媛県」だ。


 その先に、木々で日差しのさえぎられた休憩小屋。

「純友城跡 百メーター」の分かれ道もあったが、そちらは無視。

 景色も良く、日当たりの良い「茶屋跡」まで戻り、木の影が落ちているベンチで、お昼のサンドイッチ。

 ビショビショのTシャツを、T字型の看板に掛け、白衣びゃくえを着る。ザックも背負う側をおもてにして日干し。

 時刻は十二時十分。

 でも、グズグズはしていられない。この時間にここにいられれば、次のお寺まで行けそうだ。それに、今日中にそこまで行っておかないと、明日の行程が中途半端になってしまう。

 三十分ほどで歩き出す。昼食の量は控え目だったので、すぐに歩き出しても問題無い。

 それより…問題は靴の方。右足の外側、小指の付け根の当たりに、チクチクと刺すような痛み。元々、きつ目の靴を履くと、決まって右足だけ、同じ部分に痛みが出る事があった。たぶん、利き足である右の方が幅が広いのだろう。

 今日はこの後、ここの痛みに悩まされる事になる。もう少し馴染めば治るだろうか? 


「愛媛県」側は…道に沿って「転落防止用」(?)の柵が作られてあったり、路面も整備されている。勾配も登り側ほどではなく、スタスタと降りて行ける。

 やがて舗装してある林道。間もなく町道と思われる規模の道。民家が数軒の小さな集落を抜け、「へんろマーク」と「四国のみち」の道標に従い、上ったり・下ったり・右にカーブ・左にカーブ。

 それにしても、「ふ~! 暑い」。強い日差し。空気は動かない。暑い日の山里の中は、何だか時間が止まったよう。通る車は一台もないし、見掛ける人も…最初の集落で一輪車ネコを押していたおじいちゃん・途中にあった右上の民家に、赤カブで登って行った郵便屋さん。上からは、ひっきりなしに話すおばちゃんの声が届いていたが、声はすれども姿は見えず。

 道路は、綺麗に作り直された部分もある。でも旧道のままの箇所には、歩くにはいたって無駄な、情け容赦ないつづら折れのヘアピン・カーブが続いていたり…その間を、直線的に抜けるような道を建設中だったりするが、どこも休工中。照り返しのきついアスファルトの道が続き、人の気配はどこにも無い。

 ただしこのあたり、距離が示された「四国のみち」の標識が頻繁にあり、良い目安。『気のせいか?』、距離の減りが早いように感じる。このペースなら、次のお寺まで、思っていたより早く着けるかもしれない。


 そうこうしているうちに、グッと下がって「一本松」の街。

「一本松町」の中心部。「国道56号」も抜けているので、そこそこ大きな街だ。

 その街並を抜け、国道を横断した先。民家脇の自販機横に腰を下ろす。ちょうど良い日陰。500mlサイズの炭酸飲料を飲む。時刻は午後一時三十分。

 ここで二十分ほど休憩する間に、ケータイで宿の確保。食事は無いと言われたが、とにかく屋根・壁・布団は確保。残り10~11キロ。次のお寺の近くだ。


 そこからは、そのまま「県道299号」。かなり単調な道。通りはほとんど無いが、狭い田舎道。多少のアップダウンはあるが、大きな山は無い。「台地」といった感じの地形。内陸に入ったせいか、風は動かないし、吹いても「熱風」とまではいかないが、清涼感の無い風。おまけに日当たり良好で、下からの照り返しがきつい。

「満倉」の集落近辺は、直線部分も多く…先が見えないと「不安」や「焦り」が出る時があるが、『あそこまで行くのか』…先が見え過ぎると、今度は退屈だ。

 道端にあった自販機で缶ジュースを飲みつつ…棚田になった水田地帯で台地を下れば、視界が開け、前方に大きな街並が見えてきた。「城辺じょうへん町」の中心部だろう。

 もっと小さな街を想像していたのだが…その辺縁部。古い街並に突き当たって左折。すぐ先を、「僧都川」が左右に走る。この先数キロほどで「御荘みしょう湾」に注ぐ川。この川沿いがルート。

 すぐ先で右に入り、土手の上。サイクリング・ロード風の道に上がる。中規模の川。進行方向は、川の流れと同じ南西方向。

 山も下りたし、時間も距離も歩いた。『そろそろ休憩を…』と思いつつ、左のオカ側の草地につながれた大きな牛を見ながら歩いていると…後方から自転車でやって来た、労務者風ヒゲヅラの中年男性。すぐ後ろで、ゴソゴソと何かやっている…と思ったら、真横に自転車を停め、あめ玉を二つ、差し出してくれる。お接待だ!

「ありがとうございます」

 お礼を言って、白衣びゃくえのポケットに。


 その直後に、水辺の緑地へ降りるための石段。そのてっぺんに腰を下ろし、靴まで脱いでリラックス。時間は三時を少し回ったところ。次のお寺までは、あと3~4キロ。宿はその近く。時間はじゅうぶん。

 日陰ではないが、川面かわもを風が吹き抜けており良い気分。手押し車のおばあちゃん…犬の散歩の老夫婦…と挨拶を交わして、三十分ほどリフレッシュ。

 最後に白衣びゃくえから、多少ベタつき気味ではあるが、ザックに挟んでおいたTシャツに着替えて出発。


 一日の最後は、足の平が…何と表現したらよいのだろう? この感覚。重いとか・ダルイとか・痛いといったたぐいのものとは違う。「むくんでいる」とは正反対。足の平の肉がげ落ちて、骨と皮の間が一~二枚薄くなったような感触。

 この旅が終わるまでに、ピッタリの表現が見つかるだろうか?


 休憩した少し先からは、川岸はどんどん整備された公園となり、川幅も広がっていく。

 この「城辺町」と、お寺のある「御荘みしょう」の市街地は、「僧都川」をはさんで続きの町といった感じのようだ。ただしどちらも、土手の上から景色を眺めただけ。お寺は「御荘」の繁華街を抜けた先なのだ。

 このルートは、川の対岸からお寺に向かう事になる。そろそろなのだが…『ここか?』『この橋か?』『通り過ぎちゃったんじゃないか?』…などと不安になり始めた頃、右手に、目指すお寺とおぼしき屋根が見える。

 それが正面に見える道に右折し、赤い橋を渡って、真正面の、少し小高い場所に建つお寺に向かって、ズンズンと進む。


(本日の右スネ。「れ」は残っているが、「痛み」は問題無い)。


 今日の行程も、残りわずかだ。

 橋を渡り切った少し先に交差点。「御荘」の街中を抜ける旧国道だろう。そこを渡った先が、山門までの短い参道。ここの左側に今晩の宿がある。他にも数軒の遍路宿やおみやげもの屋。並びにはナゼか、婦人服屋さんもあったり…イナカに行くとよくある、『これだけで食べていけるの?』といった店構え。

 短い石段を登って山門をくぐれば、境内には大きなミカンを売っている露店もある。

『ふ~! 到着だ』。


《第四十番札所》

平城山へいじょうざん 観自在寺かんじざいじ



   本尊 薬師如来(伝 弘法大師作)

   開基 弘法大師

   宗派 真言宗大覚寺派


 大同二年(807)、「平城天皇」の勅願寺として「弘法大師」が開基。

 昭和三十四年に本堂が焼失するも、同三十九年に復旧される。


『おっと』

 団体さんがやって来た。あわててお参り。

 お寺を出て、宿の前を素通り。今晩の宿、先にも書いた通り素泊まりなのだ。宿に入る前に食料を調達しておかなくては…。

 下の交差点で、左右をキョロキョロ。旧道沿いに広がる旧市街。色々な店が並んでいるが…右に左にと行ってみるが、弁当などを売っている店は無い。あまり深入りし過ぎても、旧道沿いでは期待薄。

『仕方ない』

 渡って来た橋に戻り、さらに先へ行ってみると…「国道56号」のバイパスが走っている。

 そこまで出て、あたりを見回せば…道路手前の右少し先に、コンビニの看板が見える。そこに向かい、今晩のお弁当と飲物を買い込む。『明日の朝もどうせここを通る』と、朝食分は買わなかったのだが…宿からなら、旧道を行った方が早い事には後で気づく。

 戻り道は路地に入って、土手に上がる。橋からここまでは、通りの多い狭い道。わざわざ嫌な思いをする事もない。

「ふ~!」

 これで今日も、やっとひと段落。


 四国の洗濯機って、どうしてみんな二槽式なのだろう? 今日の宿で借りている物もそう。

 五時きっかりに宿に入る。ちっちゃなおばあちゃんに案内されて(建物の方も「昔サイズ」。天井がとても低い)、二階の参道に面した部屋へ。

 他には奥の部屋に、少し年配の女性が二人。歩き遍路さんのようだ。二人とも、すでにお風呂も洗濯も済んだ模様。


(食事は外へ出たようだ)。


 こちらも、お風呂に入って洗濯。テレビを見ながら、「冷やし中華」に「おにぎり弁当」を済ませる。

 そして、時刻はただ今八時半を回ったところ。そろそろ今日の分も書き終える。

 明日まで天気は良いらしい。ガンバって今日と同じくらい歩き、「宇和島」入りしようと思っている。

 さて、テレビを見ながら、足のマッサージでもしようか。



 本日の歩行  41・47km

       53862歩


 累   計  864・26km

       1122928歩

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