第12話 彼女と破局

「やめてくれ」

「じゃあ土下座ね」

 莉子とモブは私を見下している。

 私はその場で土下座をする。

「じゃあ、幽王君を誘惑してごめんなさいって言いな」

 莉子はそう思っていたんだね。

 誘惑なんてしていないのに。

「……」

「ほら言いな」

 夏音ちゃんの首に手を回す莉子。

「言わなくていいから!」

 夏音ちゃんは屈する私をみたくないらしい。

「幽王くんを、誘惑してごめんなさい」

「言えるじゃん」

 莉子は夏音ちゃんを離すと、その背中を蹴る。

「これはなんだ?」

 そこに現れた幽王くん。

「幽王君。遊んでいただけだよ?」

「本当か? 乃々葉ちゃん」

「……まあ」

 ここで逆らえば頭に血ののぼった莉子が何をするか、分かったものじゃない。

 私は肯定するしかなかった。

 地獄の体育が終わり、私と夏音ちゃんは解放された。

「絶対、莉子がストーカーだって」

 夏音ちゃんが腫れた頬に氷水を当てて言う。

「そうかな?」

 莉子ならもっと直接的に攻撃するんじゃないかな?

 なんだかねっとりとした視線を感じる。それはあの莉子ではない気がする。

 でも莉子が夏音ちゃんにまで手を出すなら、私はどうすればいいのかな。

「雪菜ちゃん?」

「ん?」

「むずかしい顔しているよ」

「ちょっと考えごと」

 莉子とのこと、少し考えるべきだろうね。

「明日も頑張ろうね」

「……うん」


 家に帰り、着替えるとあざが目立つ。

 これあとに残らないといいのだけど。

 母はいない。

 唯一の肉親、父が帰ってきたらイヤなので早めに家事をこなし、勉強をして、眠る。

 疲れた。

 明日もいじめられるのかな。

 ツーッと涙がほおを伝う。


「乃々葉、どうしてジャージなんだ?」

 怪訝な顔を向けてくる先生。

「制服がよごれて……」

 実際には莉子が水をかぶせてきたのだ。

 私に逃げ場なんてない。

 安らげる場所なんてない。

 その事実が私の心をかき乱す。

 何が悲しくてこんな目に遭わなくちゃいけないの。

 私が何をしたっていうの。

 分からない。

 分かりたくない。

 苦しむだけの人生に何の意味があるのよ。

 莉子の下卑た笑い声が耳をつんざく。

「そうだ、あんた渡良瀬と離れなよ。そしたらあいつには手を出さないからさ!」

 青天の霹靂だった。

 もう終わらせよう。

「分かった」

 私は強く肯定する。

「ははは。こいつ、あたしの言いなりじゃない!」

 何がそんなに嬉しいのか、高笑いをする莉子。

 モブファイブとモブ子も笑う。

 その日の帰り道、監視の目がある中、私は夏音ちゃんに告げる。

「私たち、別れよう」

「え。なんで……」

 じわっと涙が浮ぶ。

「もう、夏音ちゃんのこと……好きじゃない」

「なにを言っているの? 今、支えが必要な時じゃない」

「私、もう決めたから」

「だからわたしを捨てるってこと? そんなの!」

「ごめんなさい」

 私が深々と頭を下げると、信じられないものでも見たかのような夏音ちゃんが恐怖で怯えている。

 ああ。私何やっているんだろうな。

 走り去っていく夏音ちゃん。

 その背中を追いかけたい。

 でもそれでは意味がない。

 彼女を守るためなんだから。

「アハハハ! 傑作だね。あの顔見た?」

 莉子とその取り巻きは腹を抱えて笑っていた。

 なにがそんなに楽しいのか、私には理解できなかった。

「これで約束通りでしょ」

「分かった。渡良瀬をいじるのはやめるよ」

 いじる。いじめの間違いじゃなくて?

 いいや、それも生ぬるいか。

 犯罪だよ。それは。

「今日は満足したから、解放してあげる」

 莉子はそう言い、私から離れていく。

 一人帰り道を歩いていると、また視線を感じる。

 まだ莉子がいるのだろうか?

 それとも別の誰かかな。

 もう捨てるものもない私にはすべてがどうでも良かった。

 家に着くとベッドに身を預ける。

 静かに泣く。

 私は弱くて愚かで、そして卑怯だ。

 それを実感すると寒気を感じた。

 心が冷えていく。

 こんなにも私は冷たい女だった。

 一度口にした言葉は呑み込めない。

 だから、彼女を傷つけた言葉は引っ込むことはない。

 いくら冗談と言ったところで、いくら彼女が許しても、晴れることはないのだろう。


 翌日になり、気持ち悪い汗をシャワーで流すと、制服に着替える。

 曇天の下、トボトボと歩いていると前方に茶色い髪を見つける。

 一緒明るい気持ちになるが、襲ってくる罪悪感に潰れそうになる。

 怪しい視線を感じ振り返る。

 人影が一つ。

 何やら不審感を感じる。

「なにしているの? 奴隷」

 莉子が背中を蹴ってくる。

「莉子」

「は? てめーのご主人様だろうが!」

 腹を蹴られる。

 鈍痛が走り、胃が収縮する。

「ほら、言ってみろ! ご主人様って!」

「ご主人様……」

 痛みが治まるように腹を抱えて立ち上がる。

「じゃあ。かつサンドね」

「……え?」

「買ってこいよ、奴隷」

「はい……」

 お金を落とす莉子。

「拾え、拾えって言ってんだよ!」

「……分かりました」

 五百円玉一つ拾う。

 惨めな思いを抱きつつも命令に従う。

 それは莉子が怖いからだ。

 得体のしれない恐怖に突き動かされ、私は従う。

 コンビニでかつサンドを買うと、遅刻した学校で莉子に届ける。

「買い物もできないのかよ」

 莉子は見下し、モブはゲラゲラと下卑た笑い声をあげる。

 そのあともいじめは続いた。

 筆箱を捨てられたり、制服を汚されたりした。


 そんな日々が続き三日後。

 先生のホームルームが終わろうとしていた。

「乃々葉、ちょっといいか?」

「え? 私?」

「ああ。生徒指導室に来てくれ」

「……はい」

 私は頷くしかなかった。

「やば、何ヤッたの? 奴隷」

「私は、別に……」

 思い当たるのは遅刻や早退などの出席関連だろうか。

 それもすべて莉子からのいじめが原因なのだが、先生には関係ない話でもある。

 気乗りしない足取りで生徒指導室に向かう。

「きたか。座ってくれ」

 生徒指導室の中は長机が四つ、囲うように置かれていた。

 そこに椅子が六つほどある。

 すぐに出られる入り口付近で座る。

 先生はなにやら資料を見ている。

「まあ、緊張するな」

 先生はニコッと笑う。

「最近、出席率が悪いな。どうした?」

「…………」

永瀬ながせ莉子となにかあったか?」

 びくっと身体が震える。

「何かあったんだな」

 小さく頷く。

 どう言葉にしていいのか、たっぷり悩んだ先生はやがてため息を吐く。

「教えてはくれないのか?」

 悲しげに眉根を寄せる。

「すみません」

 私は立ち去ろうと立ち上がる。

「待て。何かあれば相談にのる。いつでも話してくれ」

 その言葉を聞き、私は生徒指導室から出ていく。

「やあ、乃々葉ちゃん」

「幽王くん……」

 あなたが原因で私はいじめられている。

 そんなことを言う権利もない。

「最近、顔色悪いね。どうしたのさ?」

「幽王くんには関係ない。私に関わらないで」

 その場から逃げようとするが、腕をつかまれる。

「何?」

「あ、いや。悩んでいるなら、俺が聞く。一緒に乗り越える。だから、話してくらないか?」

 必死そうに尋ねてくる。

 いろんな人に心配させている。

 分かっている。

 どうにかして解決しなきゃ。

 でもどうやって?

 少なくとも目の前の幽王くんじゃない。

「話さないよ。私は一人で解決する」

「強がるなよ!」

「あなたには関係ないって言っているでしょ?」

 とんっと幽王くんの頭を小突く先生。

「幽王、今は引け」

「でも!」

「分からないか? 引け。相手の気持ちも考えろ」

「……分かりました」

 しくじたる思いで引く幽王くん。

 先生が幽王くんの背中を押す。

「幽王の言葉も正しいかもしれない。でも一番大事なのは心だ。折れるなよ」

 私と幽王くん、同時に話している気がした。

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