第13話 彼女、強姦

 廊下を歩いているとふと屋上に足が進む。

 腫れた手が痛むなか、屋上のドアを開く。

 空からふわりと降りてくる新雪。

 今日は雪か。

 私はその場でうずくまる。

 なんで私、こうなったんだっけ。

 渡良瀬夏音ちゃんと出会って、一ヶ月。

 冷徹女と呼ばれた私に、新しい夢を、楽しい思い出を残すことができた。

 だから夏音ちゃんには感謝している。

 色あせた世界に彩りを与えてくれたのは紛れもない夏音ちゃんのお陰だ。

 私に居場所を作ってくれた。

 そんな気がする。

 でも、今はそう思えない。

 莉子の脅威に毎日怯えている。

 こんなんだったら、夏音ちゃんと会わずに、一人で生きてきた方が良かった。

 人と関わればこんな嫌なこともある。

 私は学んだ。

 やっぱり人は孤独なのだ。

 一人で生きていくしかないのだ。

 母も、父も。

 孤独だった。

 私には生きていく価値なんてないのかもしれない。

 生きている意味がないなら、死んでもいいのかな。

 ねぇ。お母さん。

 そっちは楽しい?


「雪菜、ちゃん……」

 雪かぶり姫。

 雪の中、うずくまっていた私に話しかけてきたのは、夏音ちゃんだった。

「大丈夫!?」

 駆け寄ってくる夏音ちゃんを制し、私は立ち上がる。

 積もった雪の山が崩れ落ちる。

「大丈夫。平気だから」

 近寄る気もなく、私は屋上から立ち去る。

 はて。夏音ちゃんはなんで屋上に来ていたのだろう。

 予鈴を聞き、サボってしまいたい気持ちを抑えて、私は教室に向かう。

 教室にくれば落ち着くかもしれない。

 でも、自席にはらくがきがされていた。

 惨めだ。

 ここまでするのか。

 莉子は。

 ひどい。

 ひどいよ。

 なんでこんなにされなくちゃいけないわけ。

 私、頑張ったよ。

 頑張って生きたよ。

 なのに、なんでこんな仕打ちをされなくちゃいけないのさ。

 私はただ一人にしてほしいだけなのに。

 出る杭は打たれるなんていうけど、どうしてそんなにやっかむのさ。

 それに私は勉強ができるだけのクズなのに……。


 授業が始まりぼーっとする時間が増えた。

「おい。乃々葉、この問題解いてみろ」

「……徳川家光」

「違う。徳川秀光だ。どうした。最近間違えやぼーっとしていることが増えているぞ」

 周囲の同級生もザワザワとざわめきだす。

 唯一驚かないのは莉子だけ。

 嫌らしい笑みを浮かべている。

 学校が終わり、私は一人で帰路につく。

 その道中、積もった雪で濡れた靴を不愉快に感じる。

 背中に視線を感じ、振り返る。

「あー。だめじゃない」

 そこには幽王くんがいた。

「幽王、くん……?」

 ここ最近、感じていたねっとりとした視線。

 それを彼は向けてきた。

「さ。俺のものになれ」

 手をつかんで、押し倒してくる幽王くん。

「いや! やめて!!」

 路地裏につれていかれ、私は自尊心を守るため、必死で抵抗する。

「いいじゃないか。俺、こう見えてもモテるんだぜ?」

 モテるのは知っている。

 莉子が好いている人だもの。

「あんたには莉子がいるでしょ!?」

 乾いた唇が震える。

「だめだめ。あいつ、全然やらせてくれないんだ」

 何を、言っているの?

「ガードが堅くてさ。まるで保守的な人間なんだよね。俺とやれるって幸せなことなのにさ!」

 幽王くんはケラケラと笑いながら、不潔なことを言う。

 私は耳を塞ぎたくなるような卑猥な話を持ち出す。

「元気な赤ちゃん、産んでね。俺のハニー」

 気持ち悪いことを言う幽王。

「この前から感じていた視線はあんたのもの?」

「そうだよ。俺、キミのことが好きなのに、無視してばかりでさ」

 怒りを滲ませている幽王。

「だから、さ。俺のものになれよ。ええ?」

 私の衣服を喜色満面でやぶく幽王。

 私、どうしたらいいの。

 男の子ってこんなに力あるんだ。

 嫌だな。

「助けて……」

「あん?」

「助けて! 夏音ちゃん!!」

 真っ先に思い浮かべた顔は夏音ちゃんだった。

 ここで私が犯されるのは嫌だ。

 初めては彼女がいい。

 私はひどく醜い女だけど、夏音ちゃんだけが純粋で優しい言葉をかけてくれた。

 もう一度、会いたい。

 彼女に会って感謝と懺悔を伝えたい。

 だからここで幽王に犯されるくらいなら――。

「やめろ!」

 私は幽王の目をつつく

「痛い! やめろ!」

 きんてきをし、その場から離れる。

 やぶれた衣服が走る邪魔をする。

 逃げた。

 逃げるしかできない。

 後ろから追いかけてくる幽王。

「まて。まだ最中だろ。お前は俺のものになるんだよ」

 幽王はドスドスと音を鳴らし、積雪の中突き進んでくる。

 性欲モンスターと化した彼は止められない。

 雪のせいか、人もいない。

 誰かに助けを求めることもできない。

 誰か、誰か……助けて!

 私は必死に叫ぶ。

 言葉にならないような叫びが辺りに木霊する。

 ずるずるとずり落ちてくるスカート。

 やぶれた衣服が肌寒さをもたらす。

 いやだ。

 いやだ!

 こんなところで犯されてたまるか。

 狂った幽王はまだ追ってくる。

 体力には自信があるけど。

 でも男子とは比べたことがなかった。

 彼の足の速さに、そう簡単には逃げられないと悟る。

 とりあえず、人混みの多そうな方向へ足を運ぶ。

 他の大人たちが助けてくれることを祈って。


「誰か。助けて――っ!!」

 声の限り叫ぶ。

 近くのコンビニにたどりつくと店内に入る。

「助けてください!!」

 私の身なりを見てただ事じゃないと感じた店員は慌てて駆け寄ってくる。

 さすがの性欲モンスターも、店内には入ってこない。

 現行犯逮捕されるのを恐れているのかもしれない。

「どうしたね?」

「強姦されそうになりました」

「分かった。すぐに警察を呼ぼう」

 警察。

 そうなったらどうなるのだろう。

 不安と焦燥感にかられる。

 110番する店員さん。

 それを止めようとする。

「キミ、冷静な判断ができていないでしょう?」

 コンビニ店員さんはそう告げると、再度連絡をとる。

 いやだ。

 ここで警察なんて呼ばれたら幽王が退学になる。

 そうすれば、また莉子からのいじめがひどくなる。

 彼らはそうするだろう。

 だから、私は止めなくちゃならない。

「キミ、落ち着きなさい」

 奥から出てきたコンビニ店員女子さんが私をハグする。

「落ち着いて。落ち着きなさい」

 暖かな気持ちがこみ上げてくる。

「大丈夫。大丈夫だから」

「でも、私、大事にしてほしくなくて」

「あなたは被害者だ。周りが助けるのは当たり前なの、分かる?」

 たすける?

 ずっと一人で生きてきた。

 助けるってどうすればいいの?

 私には分からない。

「そのキズ、学校で何か遭ったのでしょう?」

 衣服がやぶけ、その下にあったいじめのキズを見られた。

「これは」

 すぐにキズを隠す私。

 こんなの惨めだ。

 見ないで欲しい。

 私の素肌は見せていいものじゃない。

「それとも家族かな。どちらにせよ、キミにはまっとうな日常を過ごす権利がある。奥で話を聞くよ」

 コンビニの奥にある事務所らしき場所に移動する。

 もう、幽王の陰は見えなくなっていた。

 暖かいコーヒーとジャンパーを貸してくれた。

 瞳から零れ落ちてくる涙の数々。

 私はまた弱気になっている。

 なんでこうも私はもろいのか。

 強くなりたいのに。

 なんで。

 なんで泣いてしまうのだろう。

 私は店員さんと少し話した。

 私の過去も、現在の状況も。

 それで何か変わる訳じゃないのだろうけど。

 でも話さずにはいられなかった。

 本当、弱いな。私。

 店員さんは口を覆うように話を聞いてくれた。

 優しい人だった。

 心が解けていくような――。

 自身の震える身体を抱いて、泣きじゃくる。

 もう誰にも関わりたくないと感じていた私。

 こんなにも会話をしたいと思ったのは、夏音ちゃんとの出会いが大きいのかもしれない。

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