第2話 彼女を誘う義務
渡良瀬
転入して二日で授業をサボり始め、一週間は経つ。
私は半ば押し付けられた学級員である。
模範的な生徒として彼女を出席させる義務がある。
そう義務だ。
自分に言い聞かせ、あの痺れるような感覚を押し殺す。
怖い。また同じ感覚になるのが。
なぜ怖いのか、自分でもよく分からない。
本能的な恐怖なのかも知れない。
それでも彼女に会わなくちゃいけない。
自分にできるのはそれくらいだから。
「今日は居るといいのだけど……」
思わず口ずさんだ声は思いのほか綺麗だった。
キィと金属が軋む音と共に屋上のドアが開く。
「あ! やっと来た!」
どうやら渡良瀬さんは私が来るのを待っていたらしい。
どういうこと?
訝しげな視線に気がついたのか、得意げな顔をする。
「ふふーん。この数日、あなたが来るのを待っていたんだよ! 乃々葉ちゃん」
頭が痛くなるような思いがした。
「いや、どうしてそんなことを?」
「うーん。なんとなく?」
「質問を質問で返すな」
カサカサと枯れ葉が一斉に舞う。
曇天の空に。
その瞬間、彼女が微笑んだ。
ただそれだけなのに、私の心はどうしてカサカサと揺れ動くの?
瞳孔が開いた気がする。
そんな自分を抑え込む。
「授業にでなよ」
「うん。分かった」
あまりにも呆気らかんとした言動に私は立ちすくむ。
「どうしたの? 行こ?」
不思議そうに後ろから声がかかる。
見惚れていた――なんて言えない。
「あなた、どういうつもり?」
ジト目を向けても態度を崩さず、そればかりか楽しそうにする。
「どうって?」
ニコニコと微笑む。
まるで会話を楽しんでいるような気がした。
「学校は勉強する場所よ、勉強こそ学生の本分。分かっているの?」
「それって一般論だよね? あなたの声が聞きたいな♪」
「えと」
言葉に出したはいいが、答えが見つからない。
「焦ってもいいことないよ」
クスクスと笑う彼女に圧巻された。
芯を持っている。私とは違う。
鐘の音が鳴る。
「あ。授業始まるよ、急ごう」
渡良瀬さんは言うと小走りに廊下を駆けていく。
「廊下は走らない!」
焦るな、と言っておきながら。
彼女の言葉に意味なんてないのかもしれない。
そんな不思議な彼女と出会って私の何かが変わった気がする。
☆★☆
塾の帰りに私はチョコフェアのやっているコンビニに立ち寄る。
ちょっと味にはうるさい私だ。
いい加減なチョコをだしていたらSNSで晒してやる……なんて度胸はないけどね。
さて。チョコフェア、どれほどのものか見せてもらおうか。
チョコロール、チョコブラウン、チョコケーキ。
どれも私の好みだと思う。
コンビニに入ると、店員さんが挨拶をする。
「いらっしゃ……」
固まった店員さんを見て、ハッとする。
見慣れた顔がそこにはあった。
「渡良瀬さん?」
「ヒト違い、デスよ」
渡良瀬さんはぎこちない笑みを浮かべて私から視線を逸らす。
そっちの方向に何かあるのか、と視線を彷徨わせる。
でも壁があるだけだ。
彼女にはなにか見えてはいけないものが見えているのかもしれない。
その境遇に少しばかりの同情を禁じ得ない。
「いや、はい。渡良瀬です」
やっと向き合う気になったのか、こちらに向き直る渡良瀬さん。
「バイト?」
「そう。わたしの家、貧乏だから……」
確かうちの高校は理由がなければバイトは禁止のはず。
学費のため、と言えば通るのだろう。
得心いった私はにこやかに言う。
「お疲れ様」
「……何も聞かないの?」
「聞いてほしいの?」
ふるふると力なく首を振る渡良瀬さん。
どうやら触れて欲しくないらしい。
それを理解すると、足早にチョコフェアの商品を手に取る。
「これ、お会計」
私はそう言って彼女のレジに持っていく。
「ありがとうございます」
ペコリと頭を下げて会計を済ませる渡良瀬さん。
ちゃんと働いているみたい。
ああいうところは真面目なんだね。
私はなんだか心がざわめく。
渡良瀬さんは家計のために頑張って働いていた。
私にはできない。
それまでして高校に行きたいとは思わない。
でもうちは大学にまでつれていくと父が言っている。
片親でも私は恵まれているのかもしれない。
あんなふわふわな性格の渡良瀬さんが、きっぱりと仕事をしていた。
そのことが衝撃的すぎて、混乱していた。
私もバイト、しようかな。
そう思い帰路につく。
家に帰ると、コンビニの袋を一階にあるリビングの机にのせる。
そして手を洗いうがいをする。
私は落ち着くと、胸の辺りに手をのせる。
とくとくと脈打つ心臓。
少しばかり鼓動が早い気がする。
それにしても立派だった。
彼女の手際は良く、すごく丁寧に感じた。
渡良瀬さんはいつも授業をサボったり、寝ていたりと、やりたい放題しているから心配していたけど、私よりも仕事ができるかもしれない。
そんなことを考えながらチョコケーキの袋を開けて、勉強を始める。
私が優等生でいるための儀式だ。
勉強なんて本当はしたくもない。
でも、それでもやらなくちゃいけない。
親を安心させるために。
勉強が学生の本分と言い聞かせて。
彼女の否定の声が耳に残る。
本当に勉強が全てなのだろうか?
一般論ではなく、自分の言葉で語れない私は不出来なのかもしれない。
なんて言えば正解だったのだろう。
私はまだ答えなんて見えていない。
彼女には何が見えているのだろう。
私とは違う景色、未来が見えているのだろうか。
それも良さそうだ。
隣の芝生は青いとはよく言ったもの。
なら私のこれもやっぱり青春なのかもしれない。
勉強漬けの毎日でも振り返り見てみれば、それは私の青春になっているのだろうか。
私はため息を吐き、一時勉強を中断する。
くぅうう~と鳴る腹の虫。
台所に立つと、私は冷蔵庫から幾つかの食材を出し、調理を始める。
今夜はインスタントの回鍋肉だ。
幾つかの食材とタレを絡めるだけの簡単なやつ。
簡単に作れるから、不器用な私でも失敗しない。
こういったものがあると重宝する。
鼻歌交じりに調理をしていると、スマホが振動する。
友達の
『元気かい? うちは元気だよ』
ラインを見て苦笑する。
『元気だよ。秋保ちゃん、久しぶり』
中学生以来の友達で、唯一自分の本音を話せる相手だ。
彼女と同じ高校に行けなかったのは、私のレベルが高すぎたから。
勉強なんてできても、友達と一緒にいられない。
そんな無意味なこと、しなければ良かった。
でも彼女も夢がある。
デザイン系に興味のある秋保ちゃん。
一方でなんの夢もない、泥水のような茶色い青春を送る私。
『転校生がきたのだよね?』
『そうだよ』
返信をすぐに返すと、既読がすぐにつく。
そしてしばらくしてポップが出る。
『かわいい子?』
『まあ、可愛いね』
少しためらいながらも返す。
『浮気すんなよ』
『どういう意味なの?笑』
苦笑しつつ、やっぱりこの会話が好きだなと感じる。
私は恵まれている。
学校でも後ろ指を指されているけど、それくらいしか不満点はない。
きっと明日もまた噂が聞こえてくるのだろうけど。
まあ、しかたないか。
私には父に楽をさせてやりたいと思っているのだから。
勉強くらいはやらなくちゃ。
今、私にできることだから。
でも――。
「バイトかー。その手もあったね」
父を楽にさせるのはアルバイトという手もあるのだ。
彼女のようにバイトをしていれば、父も喜ぶだろうに。
そのためには父に相談しなくちゃいけないね。
『ところで、冬休みはどうするのかい?』
秋保ちゃんはローテンションで返しているのだろうな。と想像しつつ苦笑する。
ちらりと渡良瀬さんの顔がちらつく。
振り落とすように首を振る。
チョコケーキは少し苦かった。
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