第3話 彼女は雨模様の顔
渡良瀬さんが来てから二週間がすぎた。
私はいつものようにサボっている彼女を屋上から連れ出していた。
授業には参加するようにはなったものの、授業中は居眠りが多く先生も困ったようにしている。
噂話は、というと……渡良瀬さんと私の会話を聞き、少し沈静化に向かっていた。
とはいえ、決して消えることはない。
私の悩みの種は薄まったけど……。
「やっぱり、あの二人って付き合っているんじゃね?」
「ああ。自己紹介でも男に興味ないって」
「でも同性で?」
私と渡良瀬さんの関係を疑う声が上がっていた。
それが少し気がかりだけど、そう思われても不思議と怒りや悲しみは湧いてこない。。
本当に不思議な話だけどね。
私は勉強に集中できるからいいけどさ。
渡良瀬さんはどう思っているのだろう?
こんな噂されたら普通は嫌だよね。
心労をかけるくらいなら、離れた方がいいのかな。
色々と考え、結局は勉強に集中できない乃々葉であった。
でも。
私はいつも通り先生の問いに答え、完璧な姿を見せていた。
それを見ていた渡良瀬さんはオーと歓声を上げて拍手していた。
「そういう渡良瀬はこの問題分かるか?」
先生は化学式を見せる。
「ええっと……。分かりません!!」
きっぱりと言った。
まるで自分に落ち度がないかのような発言にめまいを覚える。
これで同じ学校の生徒なのだ。
比較するのもままならない。
偏差値は70あるだろうけど。
苦笑する同級生だが、少しも迷惑に感じていないようだった。
正解した私には目障りそうな目をするのに、渡良瀬さんのときは違う。
ちょっと嫉妬した。
私が弱いからか、それとも否定されたからか。
雨雲が雫を落とす。
それは不吉なことが起きる前触れのようだった。
私は一日の授業を終えて、下駄箱に向かう。
雨がバケツをひっくり返すように降っていた。
今日に限って折りたたみ傘を忘れた。
このまま待っていれば、私は家事ができない。
夕食も時間通りに作れない。
焦り勇気のいる一歩を踏み出す。
「待った」
声が聞こえる。
いや私を引き留めたと腕にかかるベクトルで理解する。
「渡良瀬さん」
彼女が私を引き留めた。
何か言いたげな顔をしている。
いつものふんわりと優しい笑みをしている。
「私に用?」
ふいに出た言葉。言うべきではなかったという後悔が押し寄せる。
だが彼女がなぜ引き留めたのかも分からない。
仏頂面の私を悲哀の顔で見る渡良瀬さん。
だがすぐにいつもの笑みを見せる。
「傘、一緒に入ってこ?」
そう言って女子高生に不釣り合いな大きめの傘をさす渡良瀬さん。
その気遣いも笑みも、余裕ぶっている顔も、何もかもが嫌いだった。
「入らない」
そうだよ。
渡良瀬さんは慣れているのかもしれない。
友達も多そうだ。
顔も可愛い。
男子からの人気も高い。
初日に男子に興味ない発言をしたからか、あるいは彼女の行動がそうだからか、告白されたことはないらしい。
自分は何となく小耳に挟んだ情報を、心の中にしまい込んで、勝手に安心している。
誰とも付き合っていない。
私はそれだけで嬉しい。満足している。
人の幸せを否定しているにも関わらず、私は嬉しい。
そんな身勝手な私をどうか消して。
良い子でいたい。
優等生でいなくちゃいけない。
でも、なんでこんなにも
理屈というのは感情から湧いた行動を
そんな話を聞いたことがある。
じゃあ私の理屈も何かの感情を後付したもの?
「でも、雨に濡れちゃうよ?」
こてりと首を傾げる渡良瀬さん。
「いい。家近いから」
そう言って私はその場の感情を置いて走り出していた。
怖かった。
何が怖いのかも分からずに。
ただ走って逃げた。
冷たい雨の中、自宅へ向かう。
足がもつれ、水たまりに顔から浴びる。
寒い。
自分の中の何かが壊れる。
嫌だ。怖い。
あの子は危険だ。
私の何かを壊す。
泥だらけになっても走り出す。
傷だらけの身で振り返ってみれば、私は何を怖がっていたのか。
ふと訪れる静寂さが涙をにじませる。
私はなにを思い、なにを感じていたのか。
言葉にならない感情が決壊したダムのように溢れてくる。
本当はあの手を、あの傘を手にとりたかった。
こんなことを思ってももう二度と同じ日は来ないというのに。
「ただいま」
力なく振り絞る言葉が一階のリビングにいる父に届く。
「おかえりなさい。
ドアを開けた父は顔色を変える。
「雪菜! 風邪ひくぞ! お風呂で温まりなさい。今沸かすから」
血相を変えるとはこういった事を言うのだろう。
小さくため息を吐き、肌につく制服を脱ぐ。
ベチョベチョで気持ち悪い。
不快感を感じつつ、お風呂が沸くまで身体の水を拭き取る。
ジャージで待つこと数分、お風呂に湯が張った。
私はゆっくりとその熱い湯船に浸かる。
渡良瀬さんは私をどう思っているのだろう?
そんな疑問すらもバカバカしい。
私は他人とは線引しているし、友達になる人は厳しい目で見ている。
その私があんなサボり魔にほだされる?
身の毛がよだつ。
ゾワゾワした感覚は私がまだ正気でいる証か。それとも風邪を引いたからか。
お風呂から上がるとお気に入りの下着を履き、ジャージに身を包む。
明日の勉強しなくちゃ。
眠たい眼をこすり机に向き合う。
誰にもバカにされないように私は勉強する。
バカは笑われるから。
私はあんな連中にはならない。
総理大臣や医者、研究者にはなれないと知っていても。
それでも勉強する。
学生の本分だから。
本当にそう?
私はまた理屈という蓋で本音を閉じているのか?
不安と錯覚からか、私はめまいを覚えた。
机に突っ伏すこと数分。
寝よう。
ふらつく足取りでベッドにダイブする。
言うことの聞かない身体はそのまま眠りについた。
「ひどい熱」
父の声がした。
遠く膜の張った先の声に聞こえた。
私はぼーっとする頭を起こす。
「まだ寝ていなさい」
そう制する父。
「学校に行かなくちゃ」
「もう十時だ。寝ていなさい」
「遅刻だよ。最悪……」
今まで無遅刻無欠席無早退だったのに。
鼻水も咳も止まってはくれない。
明らかに身体が不調を訴えている。
父が持ってきた小粥と風邪薬を飲み下すと、再び眠りにつく。
これもあの時、手を取らなかった報いなのかもしれない。
胸が苦しい。
ギュッと締まる思いがした。
私のこの気持ちはなんだろう。
経験のない思いに戸惑い、私は胸の辺りに手を添える。
「父さん、仕事行ってくるからな。一人で大丈夫だよな?」
「大丈夫だよ。もう大人だから」
「何言っているんだ。高校生はまだまだ子どもだよ。失敗が許されるなんて父さん羨ましいぞ」
冗談めいた言葉に空気が弛緩する。
父さんなりの気遣いだろう。
それが心地よい。
「行ってきます」
「行ってらしゃい」
久々に言った。
父さんのすっかりなくなった髪の毛が寂しい。
「父さんも寂しいよね」
母さんを亡くしてから男で一人で育ててくれたのだ。
感謝している。
自分の身に起きた不幸を不幸と思わないようにしている。
あれは事故だったんだ。
悔しい。でもとらわれてはいけない。
私が復讐でもすれば父さんが悲しむ。
父さんは優しいから。
だから父さんを支えなくちゃいけない。
いい大学に入っていい医者になって、そして救うんだ。
でも本当にそれでいいのかな?
熱にうなされているせいなのか、否定的な意見が生まれる。
スーと瞼をしめ思考を閉ざす。
全から切り離された個の私はどうなってしまうのだろう。
時間も、心も一つの層のようにさんざめきひしめき合っている。
ああ。私はなんてちっぽけな存在なんだ。
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