【百合】これは茶色い青春だ。ゆるふわ系なサボタージュ彼女に生真面目で模範的生徒な私の世界は彩られていく。
夕日ゆうや
第1話 彼女との出会い
退屈だ。
私は青空を眺めながら小さくため息を吐く。
幸せが逃げていく、なんて言う人もいるけど、その理屈は理解出来ない。
むしろ気分を変えるにはそういった行動も必要なのだろう。
「
せっかちで木偶の坊な先生が顔を真っ赤にして私に喧嘩越しだ。
もう五十も手前なのに無駄に浪費をしている。
この様子だと明日にはぽっくりじゃない。
私は視線を変えることなく、ため息と一緒に吐き出す。
「5Xπ」
「ぐぬぬぬ。正解だ……」
こんな簡単な問題出さないでよね。
「乃々葉ちゃん、ホント頭いい」
「だけどよ。先生可哀想だぜ?」
「嫌味ったらしよな、実際」
尊敬と妬みの声を、最近よく聞くようになった。
それだけの話。
だから昼休みになるとそこから逃げ出すように私は空を仰ぎ見る。
部室棟の屋上。
そこは誰にも邪魔されない聖地だ。
私だけの居場所。
父の作ってくれた弁当を片手に屋上のドアを開く。
給水塔の上に誰がいる。
ふわふわの茶髪。同じく茶の瞳。
男子受けしそうな明るい笑み。
風になびいた顔にかかる髪をそっとなおす少女。
いや童顔だけど私と同い年か。
他校の制服を着ている。
茶のカーディガンに上から三つボタンを外した白いブラウス、校則よりだいぶ短い濃いめの赤いプリッツスカート。黒い線が走っている。少し冷える季節だが、ニーソクッスやタイツは履いていない。
生足だ。
かわいい。
ドクンと心臓が一つ高鳴る。
「ごめんなさい」
愛くるしい声が耳朶を打つ。
何がごめんなさいなのか、理解できない。
圧倒的なオーラを持つ彼女に私は戸惑いの言葉が漏れる。
「え?」
「だってあなたお弁当を食べに来たのでしょう?」
「なんで分かったの?」
私は今さっき会話をしたばかりの彼女が名探偵ではないか、と怪しむ。
そもそも謝った理由にならない。
「それ」
彼女は私の弁当箱を指さす。
天才と言われた私はそんな初歩的なことで当てられるとは思わずに恥ずかしくなる。
すると、彼女の顔が少し変わった。
「わたし、
突き抜けた雲一つない青空のような笑み。
一陣の風が通り抜けていく。
なびいた髪を受け止めるように手のひらで押さえる。
「私は
「雪菜ちゃんか、よろしくねっ!」
「え。あ、うん」
戸惑いがちに答えると、渡良瀬さんは給水塔から降りる。
「わたし、転入生なの。あなたと同じクラスがいいなー」
「あはは。どうだろうね?」
初対面にしては距離が近い気がする。
「じゃあね」
そう言って手を振る渡良瀬さん。
その姿が見えなくなるまで、なんとなく手を振った。
寒空の下、少し風が落ち着いた屋上で私はひとりお昼を食べた。
父の作った少し焦げた卵焼きを頬張る。
私は父の応援を受けて勉強している。
いい大学に行って、いい就職先を見つけて、そしていい生活を送るんだ。
そうでなければ、私――。
そっと風が吹く。
「うう。寒い」
今年の11月の寒さは異常かもしれない。
食べ終えるとそそくさと教室に戻る。
青春は、青い春と書く。
みなはその青い春を楽しんでいるが、
みんな噂話や色恋を話のネタにするけど、私にはそれが茶色い世界に見える。
くすんだ、泥水のような世界。
吐き捨てるほどの無自覚で身勝手な妄想。
あの人とあいつが付き合っている。もうヤッたんでしょ?
そんな猥談が彼ら彼女らの好物だ。
茶色の青春を噂話で塗り固めていく。
私に恋人なんていないし、処女だし。
噂通りじゃなくてごめんね。
どうせ一人を納得させたところで全員を説得できるわけじゃない。
根も葉もない噂だ。
噂は一人歩きする。
私とは関係のないところで彼らはわめく。
くだらない。
青春の正体なんてこの程度だ。
泥色の、人を貶めるだけの行為。
それが青春の真理だ。
青春ってなんだろう?
彼女なら知っているのかな?
ふと彼女の顔が浮ぶ。
「えへへへ。わたし渡良瀬夏音です。よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げる渡良瀬。
驚いた。
本当に同じクラスになるとは。
彼女は予言者かな。
「わたし、女子にしか興味ないので」
色恋でざわつく男子に一喝入れる渡良瀬さん。
その瞬間、別のざわめきが教室を支配する。
身を縮める女子ら。
渡良瀬が横を通り過ぎるとき、彼女は発した。
「よろしくね」
なんとなく嬉しかった。
感情の高ぶりを感じ落ち着けるために、外に視線を投げかける。
何度も見たはずの景色が色を持った気がする。
こんなに綺麗だったかな。
彩りを持った草木は喜ぶように風で揺れる。
茶色のグランドには砂がまるでダンサーかと見間違うくらいに舞い踊る。
飛ぶおにぎりのパッケージすらもが、景色に色を与えていた。
最高の瞬間を目にした気がする。
私は初めて生きている、を実感した。
優しい音色が耳朶を打つ。
それもこれも葉擦れの音らしい。
こんなにも暖かい景色はそうそうない。
私は景色を手で四角く切り取る。
最高だ。
こんな景色を待っていた。
「乃々葉! 聞け!」
叱咤する先生の声さえも聞き流せる。
優等生らしいかはさておいて、私は勉強ができるし、スポーツもそこそこできる。
なんでもそつなくこなす。
勉強に関しては得意で、学年一位をキープしている。
でも退屈だった。
先生の授業も、同級生との会話も。
自分で理解しているのかも怪しい学業を教えている先生にも。適当な噂話で盛り上がる同級生とも。
わかりあえない。
どこまで行っても、私は孤独だった。
私は私で、どこまで行っても私でしかなかった。
変わりたいという気持ちもあるが、冷めた目では景色なんて変わらない。
何も変わらなかったのだ。
現実を知った。
夢なんて安っぽい言葉を呑み込んで、硬く口を閉ざす。
私にできるのは何もない。
そう言われている気がした。
あの匂いも、吐き気がするほどのめまいも。
傷を隠すようになった父も。
みんな私の心をかき乱す。
何も分かっていない。
その言葉が脳裏に焼き付いて離れない。
私の気持ちなんてそのへんの茶色の泥水と同じなのかもしれない。
人から嫌われ、吐き捨てるように溜め込んだ。
いずれ地上から消えていくだけの存在。
いる意味なんてない。
でも泥水だって濾過されて天然水になれるのかもしれない。
渡良瀬さん。
私は小さく呟いた。
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