第二十九話 贖罪

翌朝、僕と総一は朝早くからそれぞれ車とバイクで桟橋へと向かった。


水瀬は朝と夕方に、重行さんに食料を渡すためにプレハブ小屋へ来ると聞いたので、その時に水瀬を捕まえて話をするためである。


桟橋から少し離れた場所で水瀬がやってくるのを待った。


やがて黒い軽自動車が桟橋近くの山道脇に泊まり、中から水瀬が降りてきた。


水瀬が桟橋へ向かうのを見て、僕と総一はすぐに後を追った。


僕と総一は、桟橋の先端でボートの出発の準備をしている水瀬の元に駆け寄る。

その音を聞いて、水瀬がこちらを向いた。


「おや、珍しいところでお会いしますね。」

水瀬は少し驚いたような顔をして、僕に話しかけてきた。


「あれ? そちらの方は・・・確か沢でお会いした方ですね。」

水瀬が僕の後ろにいる総一に気づいて言葉を続けた。


「お二人は、お知り合いだったんですか。」

「ええ、同じ事務所で働いています。」

「同じ事務所ということは、探偵さんですか。」

「そうですね。」

「その探偵さんが、こんな朝早くから、こんなところに何か御用ですか?」

水瀬はまさか自分に用事があるとは思ってもいない様子である。


「ええ、水瀬さんにちょっとした用事がありまして。」

「僕に用事ですか? 水死体を引き上げたときの話なら、先日お話した以上のことは何もないと思いますが?」

「いえ、今日伺ったのは、中野重行さんの件です。」

水瀬がピクリと反応する。


「中野重行さん? 誰ですかそれは?」

水瀬はあくまでしらを切るつもりらしい。


「ご存じありませんか? この方なんですが。」

そういって、俊弥はスマートフォンに写った中野さんの写真を見せる。


水瀬はその写真をチラッと見た。


「お会いしたことはありませんね。この方が何か?」

「実は中野さんは何者かに拉致されて、現在行方が分からないんです。僕たちは彼を探して、現在調査中なんです。」

「そうなんですか。それは大変そうですね。」

「ちなみに、水瀬さんはこれからどちらへ? ボートでどこかへ行かれるご予定でも?」

「え、あ、いや。次に登る渓流の下見にでも行こうかと思いまして。」

「こんな朝早くからですか。僕はてっきりその食料を誰かに届けに行くのかと思いました。」

水瀬が手に持っていたコンビニの袋をチラッと見て、俊弥が話を振った。


「これは自分で食べるために買ったものです。」

水瀬が少し気色ばむ。


「そうでしたか。これは失礼しました。それでは、このダイビングナイフに見覚えはありますか?」

僕はポケットに入れていたダイビングナイフを取り出して、水瀬に見せた。


「昨日水瀬さんが捨てておいて欲しいと言われたダイビングナイフケースに収納したところ、ピッタリと収まったので、おそらく正しい組み合わせだとは思うのですが。」

僕はナイフを水瀬に渡した。


「確かにこれは、僕のナイフのようですね。どこでこれを?」

「佐々木さんの遺体が引き上げられた岸に落ちていました。」

「なるほど、僕が佐々木さんを岸に引き上げた時に、ナイフを落としていたようですね。」

「それは、少し違います。」

「違う? どういう意味でしょうか。」

「そのナイフを拾ったのは、佐々木さんの遺体が引き上げられる前なんです。」

僕の言葉に、水瀬の表情が少し曇る。


「あなたは佐々木さんの遺体を引き上げる前に、あのプレハブ小屋のそばに行かれてますよね?」

「ダイビングナイフはいつ落としたかわからないので、誰かが拾って、あのプレハブ小屋へ持っていった可能性もあるんじゃないですか?」

「なるほど、では、このフィンに関して見覚えはございますか?」

僕はスマートフォンの写真を水瀬に見せた。


「もし何でしたら、実物も僕の車に積んであります。」

「これは、僕が先日廃棄したフィンだと思います。」

「そうですね。一応ダム湖の定期検査に加わっている他の潜水士の方からも、これがあなたのものだったと確認できております。それで、このフィンはいつお捨てになったか覚えてらっしゃいますか?」

「はっきりとは覚えてませんが、4~5日ぐらい前だったと思います。それが何か?」

「このフィンの形が、実は中野さんが拉致された場所・・・崖の上にあるプレハブ小屋に残されたフィンの足跡と一致してるんです。」

水瀬の表情に焦りの色が見え始める。


「普通水面から出ると、多くのダイバーはフィンを外すと聞きました。しかし、なぜかプレハブ小屋に行った人物は、フィンを履いたままでした。それはなぜか?」

僕はフィンの写真を拡大してみせた。


「それは、フィンの留め具が壊れていて、フィンを外せなかったからだったんです。そして、あなたが捨てたフィンの留め具は、破損していて、留め具としての機能を失っていました。おそらく、フィンを外す際に、無理やり留め具を外したから、壊れてしまったんでしょう。」

「確かにフィンを捨てる前に僕は留め具を壊しました。でも、フィンは捨てたんです。その捨てたフィンを拾った人物が、崖の上のプレハブに行ったのではないですか?」

水瀬がさらに言い訳を述べた。

どうしても認めるつもりはないらしい。


「そうですか。わかりました。」

僕はこのまま話をしても埒が明かないと考え、本題に切り込むことにした。


「実は昨晩、僕たちはもう中野さんを保護しております。」

「そんなバカな。どうやって。」

「昨日の夕方、あなたは中野さんに食料を届けに行きましたよね。その時に、あなたを尾行させていただきました。」

水瀬の表情に険しさが増す。


「そして、中野さんを拉致した人間の名前も聞き出しております。」

水瀬は狼狽の色を隠せない。


「そう、中野さんを拉致して、プレハブ小屋に監禁していたのは、水瀬さんあなたです。」

「ぐっ。」

水瀬は苦悶の表情を浮かべている。


「それだけではありません。佐々木さんを水中に引きずり込んで殺害したのも、あなたですね。」

「何を証拠に・・・さっきも言ったが、ナイフがあの場所に落ちていたからと言って、僕が犯人とは限らない。」

「あなたが殺害したという証言は馬淵から得ています。」

「馬淵だって!」

馬淵の名前を聞いて、水瀬の表情が怒りに変わった。


「あいつは今どこに!」

今にもとびかかりそうな剣幕で僕たちの方を見る水瀬。


「それは言えません。そして一昨日の地頭じとう殺害についても、あなたの犯行だと推測できます。」

「どういう理由で僕が犯人だと推測できるんですか。」

「それは、あなたが佐々木さんを殺害した時の目撃者が中野さんであると知っていたにも拘わらず、地頭じとうと馬淵にそれを伝えていませんでした。この時点で、あなたと他の二人が仲たがいしていると推測できます。」

「仲たがいしたからと言って、僕が彼らを殺すとは限らないじゃないですか。」

「確かに、今回の佐々木さん殺害の件だけであれば、あなたが彼らを殺す動機にはなりません。しかし、20年前のダム湖であなたの元恋人の佐々木綾乃さんが殺された件で、あなたはあの二人に恨みを持っていた。」

水瀬の表情が驚きに変わる。


「そして、地頭じとうの命令で自分がそうと気づかずに手にかけたのが、元恋人の父親の佐々木浩二さんだった。」

水瀬は何も語らず、僕の話に耳を傾けている。


「犯行の後、おそらく地頭じとうからその名前を聞き、あなたは激しい後悔と怒りの念に駆られた。違いますか?」

水瀬からの反応はない。僕はそのまま言葉を続ける。


「翌日のダムの定期検査のルートの地図を本来のものと違うものに差し替えたのもあなたの仕業でしょう。あなたは元恋人の父親がいつまでも水中に残っているのが嫌だったから、あたかも定期検査で偶然に佐々木さんの死体を発見したかのように見せかけた。」

水瀬だけでなく、総一も僕の推理に聞き入っている。


「その時に、自分達が前日の夜に、目撃者を探しに上陸した岸に残っていた痕跡を消すために、わざわざボートではなく岸に引き上げたんです。」

「なるほど、そういうことだったのか。」

水瀬ではなく、総一が僕の推理を聞いて感心の声を上げる。


「おそらく、佐々木さんを間違って殺害してしまったことがきっかけだったんでしょう。20年ぶりにあなたは地頭じとうと馬淵のことを思い出し、彼らに対して復讐の気持ちを再燃させた。」

「あいつらは、しかるべき報いを受けて当然なんだ。」

水瀬は憎悪の言葉を放った。


「そして、恨みを晴らすべく、あなたは目撃者を装って地頭じとうをダム湖に呼び出した。佐々木さん殺害の目撃者を探していた地頭じとうは、まんまとあなたの誘いに乗ってきた。」

水瀬はすでに恨む気持ちを隠す気はない様子で、僕の言葉に頷いた。


「あなたはダイビング装備を身に着けて、水中から地頭じとうの乗っているボートを転覆させ、地頭じとうを水の中に引きずり込んで佐々木さんの時と同じように殺したんです。」

「その通りだ。20年前、奴らのせいで綾乃は殺された。だからその復讐のために、地頭じとうを殺したんだ。」

ついに水瀬が自身の犯行を認めた。


地頭じとうは20年前、僕と綾乃が暮していた村を、金の力でダムの底に沈めた張本人だ。そんな奴は死んで当然なんだ。」

水瀬が堰を切ったように話し始めた。


「奴が金を村長に渡さなければ、僕たちダム湖の反対派が勝っていたんだ。そして、馬淵が綾乃を殺さなければ、反対派はまだ抵抗できていたんだ。」

「あなたと綾乃さんは、ダム湖の建設に反対していたんですね。」

「そうだ、僕と綾乃は、反対派のリーダー的な存在だった。反対派は一致団結していた。それが、綾乃が殺されたことで、反対派を離脱する人間が徐々に増えて行ったから、工事の邪魔ができなくなったんだ。」

「いくらあなた方が抵抗したところで、すでに土地の買収は完了していた以上、ダム湖になることは決まっていました。」

「そんなことはない。最後まで工事の邪魔ができていれば、ダム湖建設はきっと頓挫していたはずだ。」

水瀬の考え方はあまりにも稚拙すぎる。


おそらく人は感情的になると、論理的な思考ができなくなるのだろう。


「諸悪の根源である地頭じとうは僕がこの手で殺した。あとは綾乃を殺した馬淵を殺せば、僕の復讐は達成される。さぁ、馬淵の行方を教えろ。」

そういって、水瀬は右手を背中に回したかと思うと、その手に黒い物体を握りしめてこちらに向かってきた。


「俊弥、危ない!」

すぐ後ろにいた総一が水瀬の動きに即座に反応して僕の前に走り込み、突進してくる水瀬を横に交わした。

交わしざまに総一が右手で上から水瀬の手を叩きつけた。

その勢いで水瀬は手に持っていたものを地面に落としてしまう。

地面に転がったのは、黒いスタンガンであった。

おそらく重行さんを捕える際にも使われたものだろう。


俊弥は地面に落ちたスタンガンをすぐさま蹴って、湖の中に落とした。

水瀬は痛みにこらえるかのように右手を押さえて、こちらをにらみつけている。


「なんで僕の邪魔をするんだ。どう考えても悪いのは奴らだろう。最後まで僕に復讐を遂げさせてくれよ。」

水瀬は泣きそうな表情で叫んだ。


「確かに、自分の故郷を失ったことには同情します。恋人が亡くなったことが悲しいということも理解できます。」

「だったら・・・」

「だからと言って、誰かを恨んで殺したりするのは、間違っています。そんなことをしたって、故郷が戻ってくるわけでもないし、死んだ人が生き返ったりもしません。」

「それでも、僕のこの気持ちの行き場がないのは、あまりにも辛すぎるだろう。死んだ綾乃が浮かばれないだろう。」

「果たして亡くなった綾乃さんは、本当にそんなことを望んでいたのでしょうか?」

「自分を殺した人間を恨まない人間なんかいるわけがない。きっと誰かにかたきを取ってほしいと思っているに違いない。」

「そんなことはありませんよ。」

僕はそういって、スーツの内ポケットから古い日記帳を取り出して、水瀬に渡した。


「それは、佐々木さんの家にあった、昔の綾乃さんの日記です。最後のページは轢かれて亡くなる前の日のことが書かれています。その一週間前ぐらいからの日記を読んでみてください。」

水瀬は僕が渡した日記に目を通し始めた。


「いつの間にそんなものを手に入れていたんだ?」

総一が僕に問いかけてくる。


「昨日の昼間に最後のかけらを集めるためにいろいろと回っていたんだ。」

「俺がずっと尾行していた時だな。」

「そうだ。綾乃さんの情報を知るために管理人に頼んで佐々木さんの自宅に入らせてもらったら、佐々木さんが大切に保管していた綾乃さんの日記が見つかったから、借りてきたんだ。」

「一体何が書いてあったんだ?」

「綾乃がそんなことを思っていたなんて・・・」

総一が内容を僕に聞いてきたちょうどその時、水瀬が綾乃さんの日記を読み終えていた。


「そうです。綾乃さんは、同郷の人間同士がいがみ合う反対運動に嫌気がさしていたんです。そのうえで、あなたとお父さんの佐々木浩二さんの三人で新天地へ行って、新たな生活をしたいと望んでいたんです。」

「まさかあの轢かれた日に、そのことを僕に打ち明けようとしていたなんて・・・」

「そう、彼女はあなたに、そのことを伝えて、人を恨むような人生を終えようと考えていました。残念ながら、その思いは半ばにして途絶えてしまいましたが・・・ただ、その日記からもわかるように、綾乃さんは人を恨むことを嫌っいたことだけは分かるんじゃないでしょうか。」

「それなのに、僕は気づかなかったとはいえ、佐々木さんを手にかけてしまったなんて・・・僕は綾乃にどうやって謝ればいいんだ。」

「過ぎてしまったことはもう戻せません。大事なのは、これからどう生きていくのかということです。まだ綾乃さんのことを愛しているのであれば、罪を償った上で、どうか彼女の気持ちを尊重して、人を恨まない人生を歩んでください。」

「そうですね。彼女のためにも、そうするのが一番いいんでしょうね。」

水瀬はすっかり毒気が抜けていた。


おそらく、もう馬淵を殺そうなどとは考えないだろう。

後は警察に任せようと思って、水瀬に背を向けた。


「おい、何をしている!」

僕が警戒を解いた瞬間、総一が水瀬に向かって大声で叫んだ。


慌てて水瀬の方を見ると、何かを口に入れて飲み込んでいるところだった。


「一体何を・・・」

「贖罪を・・・彼女の元へ・・・」

言うが速いか、彼はそのまま桟橋の先端へと走っていく。


最後の方は足取りがおぼつかない状態で、そのままバランスを崩すようにして湖へと身を投げた。


「待て!」

僕が駆け出すよりも早く総一が桟橋の先へと向かっていた。


「くそっ!」

一声発した後、総一が湖の中へダイブする。


二人を吸い込んだ湖面はすぐに何もなかったかのように静まっていた。


僕はまさか水瀬が自殺を図るとは、予想していなかった。

復讐を終えたら、最初から自殺を図るつもりで何かの毒薬を持っていたのかもしれない。


しばらくして、水面に総一が浮上してくる。


「ダメだ、湖底まで予想以上に深くて間に合わなかった。」

総一は自身の無力さを嘆くように言葉を発した。


「ここからは警察に任せよう。」

総一を手伝って彼を桟橋に引き上げた後、僕は警察に電話をかけた。


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