第二十五話 正体

俺はまずは事務所に戻ってからバイクで『スナック翠』のママがメモで渡してくれた住所を目指した。


スマートフォンのマップアプリに住所を入力し、現場までのルートを検索し、それに従ってバイクを走らせる。


アプリが目的地として示した場所に到着すると、そこには立派なマンションが立っていた。

12階建てで、壁の色はオフホワイトで、ベランダの感じから1フロアに3部屋ぐらいだろうか。

正面玄関はオートロックになっていて、その横には駐車場への入り口があった。


もしかしたら、『スナック翠』のママの自宅なのかもしれない。


俺はバイクを止めた後、マンションの入り口のインターホンへと向かった。


メモに書かれていた部屋番号、『1102』を押してから呼び出しボタンを押す。

呼び鈴が鳴った後、その場でしばらく相手が出るのを待った。

しかしインターホンの向こう側からの応答はなかった。


一度取り消しボタンを押してキャンセルする。


俺は一旦マンションの玄関から外に出て、外からベランダを観察してみることにした。


部屋番号の『1102』から、おそらく真ん中の部屋なのだろう、11階の真ん中の部屋のベランダを見てみる。

部屋の明かりは少し暗いが、灯っているようであった。


おそらく間接照明か何かで、他の部屋よりは暗めだが、完全に電気が消えている部屋よりはほのかに明るい。


中に人はいるのだと思う。


俺は再び玄関のインターフォンを鳴らして、呼び出してみる。

インターフォンの番号ボタンの上には小さなカメラのレンズがある。

こちらの様子は部屋の中から見えているはず。


となると、やはり俺を見ても、馬淵は出てきてくれないとうことなのか。

先ほどと同じぐらいの時間が経ったが、やはり反応はない。


こんなことなら『スナック翠』のママから鍵を借りる交渉をしておけばよかったと少し後悔する。

もう一度戻って、改めて鍵を借りに行こうかを思ったその時、インターホンの向こうから反応があった。


「はい。何の御用でしょうか。」

インターホン越しの声ではあったが、その声は馬淵の声で間違いはなかった。


「俺です。九十九です。中野さんの件でお話を伺っていた・・・」

「中野さんの話は、もう十分にしたと思うのですが。」

「いえ、今度は地頭じとうさんの件で、困ってるんじゃないかと思って、何かお手伝いできないかと思って会いに来たんです。」

周囲に人がいないことを確認してから、俺は要件をピンポイントで伝える。


しばらくの沈黙。

インターフォンの向こうで、馬淵が何かを考えているように思えた。


「あんたは、どこまで知っているんだ?」

「あなたが佐々木さんの件で、地頭じとうさんと、もう一人と一緒に湖にいたことは存じております。そのもう一人のことについて、お話を聞きたいんです。」


再び沈黙が訪れた。

今度はさっきよりも長い沈黙だった。


もしかしたら、やり取りを間違えたかもしれない。

そういう後悔の念が脳裏をよぎり始めたとき、突然マンションの扉が開いた。


俺は、開いた扉の方をチラッと見たが、そこには誰もいなかった。


「とりあえず、上がってきてもらえますか。部屋は11階の真ん中です。」

「わかりました。」

どうやら馬淵が俺と直接話をする気になって扉を開けてくれたらしい。


俺は入り口から奥へ進み、右手にあったエレベータに乗って11階を目指した。


11階に到着し、エレベーターを降りると、奥に続く廊下があった。

廊下に面した扉は3つあり、一番手前の部屋の扉には『1101』の番号プレートがかかっていた。


俺は真ん中の扉『1102』と書かれた部屋の前に立つと、扉の横にあったインターフォンを鳴らした。


インターフォンの反応を待っていると、突然扉が開いて、中から馬淵が姿を見せた。

昨日はボートの上で座っている姿しか見ていなかったが、数日前にスナックであった時よりも、少しだけ、やつれたような印象を受ける。


「中へ入ってください。」

俺は馬淵に促されるまま、部屋の中へと上がらせてもらった。


玄関には靴が何足か見られたが、どれも女性ものばかり。

玄関から奥へと続く廊下に積まれている箱なども、女性もののブランド品のものが多く、ここに住む住人が女性であることを物語っている。

やはり、この部屋は『スナック翠』のママの自宅と見て間違いないだろう。


馬淵の後ろにしたがって、廊下を奥の部屋へと進む。


馬淵が突き当りの部屋へと入ったので、俺もそれに続いた。

そこは20畳ほどのリビング・ダイニングだった。


廊下の反対側の壁面はカーテンが閉じられているが、全面が窓になっている。

おそらくこの窓からマンションの下から見ていたベランダへ出られるのだろう。


天井には照明器具はあるようだが、それらは点いていない。

窓際付近に床から伸びたアッパーライトから照らされた薄暗い光だけが部屋全体に広がっていた。


部屋の中には大きなテーブルが置かれており、4脚の椅子が備わっている。

3人掛けの大きなソファもそのテーブルの横に置かれていた。


馬淵はテーブルに備わっている椅子に黙ったまま座った。

俺もその向かい側の椅子に座る。


長い沈黙が部屋に広がる。

沈黙に耐えられなくなった俺は、馬淵に声をかけた。


地頭じとうさんの件は、ご存じですよね。」

俺の言葉に、馬淵が黙ってうなずく。


「昨日、俺とダム湖で出会ったときはご一緒でしたよね。その後、今朝亡くなるまでに、一体何があったんですか?」

「俺は何もしていない。」

馬淵は俺の言葉に即座に反応した。


「昨日はあの後、俺は地頭じとうさんとダム湖で別れたんだ。そこからは一切会っていない。」

「別れる前に、何かあったんじゃないですか?」

「それは・・・」

馬淵は再び黙り込んでしまった。


「ここは『スナック翠』のママのご自宅ですよね?」

「ああ、そうだ。」

「ママのところに来たのは、昨晩だと聞いています。その時点であなたは身の危険を感じていたということですよね。」

馬淵は何も反応せずに、俺の言葉を聞いている。


「あなたが何等かの理由で、身の危険を感じて、ママのところに来た・・・それは地頭じとうさんが死亡したことと関係があるんじゃないんですか?」

「いや、そうじゃない。そうじゃないんだが・・・今となっては、そうなのかもしれない。」

「そうじゃないけど、そうかもしれない?」

俺には馬淵の言っている意味が今一つ理解できなかった。


「あんたは、俺と地頭じとうさんのことをどこまで分かってるんだ?」

馬淵はどこまで話していいのかを推し量っているような口ぶりだった。


こちらの持っている情報を開示しない限りは、先に進みそうもない。

俊弥には言うなと言われてはいたが、ここまで来ると、話をするしかなさそうである。


「あなたと地頭じとうさん、それともう一人が佐々木さんの死に関係していることは把握しています。」

馬淵は驚きの表情を浮かべた。


「そして、その時に目撃者がいて、あなたたちがその目撃者を探していたということも。」

「すでにそんなところまでバレていたのか・・・」

馬淵の顔から血の気が引いていくかのように、みるみる顔色が悪くなっていく。


「だとすると、俺が今更隠しても、あまり意味はないかもしれないなぁ。」

馬淵はどうやら観念した様子だった。


「昨日、俺が地頭じとうさんと別れる前に、地頭じとうさんに一本の電話が入ったんだ。」

「誰からの電話ですか?」

地頭じとうさんが言うには、佐々木さんを殺害した場面を見たという目撃者と名乗っていたらしい。」

重行さんが地頭じとうに電話をかけた? そんなこと、まずあり得ないだろう。


重行さんは何者かにとらわれていることはほぼ間違いない。

その重行さんが、地頭じとうに電話をかけることは不可能だ。


そうなると、電話をかけてきたのは、重行さんを拉致した人間ということか?


「それで、その目撃者は電話で何と言っていたんですか?」

「相手からの要求が、口止め料を出せということだった。」

「口止め料・・・」

地頭じとうさん一人で、今日の早朝に、ダム湖へお金を持ってこいと言う話だった。」

「なるほど、それで地頭じとうさんは朝一人でボートに乗ってダム湖にいたんですね。」

「でも、地頭じとうさんは実際にはお金を出すつもりなんかなくて、本当は目撃者を始末するつもりだったんだ。」

やはり地頭じとうは、目撃者を見つけ次第、殺すつもりだったらしい。

重行さんが地頭じとうに見つからなくて良かったと思った。


「でも、なぜ目撃者からの電話があった昨晩の時点で、あなたはママのところへ行ったんですか?」

「それは、目撃者がそのまま警察に駆け込めば、すべてバレると思ったからだ。」

なるほど、馬淵は警察に捕まることを恐れて、隠れる場所を探していたということのようだ。


「結局、地頭じとうさんは、目撃者を殺すつもりが、逆に殺されてしまったということですか。」

「そうだ。なんでこんなことになったんだ。俺は地頭じとうさんに言われて、あの場にただいただけなのに・・・」

馬淵は頭を抱えて、後悔しているようだった。


「あなたはあの場にいただけということは、実際に佐々木さんを水中に沈めたのは、誰だったんですか?」

「一緒にいたダイバーの水瀬という男だ。」

「水瀬!」

俺はその名前を聞いて驚きの声を上げた。

ただ、同じ苗字の別人の可能性もある。


「その、水瀬の下の名前は分かりますか?」

「たしか、水瀬史郎と名乗っていたような気がする。」

どうやら俺が思っていた人物と同一だったようだ。


『水瀬史郎』と言えば、先日、プレハブ小屋を探すために渓流を登っている時に出会った男の名前である。

さらに言えば、ダム湖の検査で、佐々木さんの遺体を発見して、湖底から引き上げたとも言っていた。


ということは、水瀬は佐々木さんを水中に沈めておきながら、翌日にはその死体を何食わぬ顔で第一発見者として引き上げたということになる。

一般的に、殺人犯というのは、死体の発見を恐れるはずである。

いかにして、殺したことをバレないようにするのかに腐心するのだが、彼は一体何のために、殺害した翌日に佐々木さんの遺体を引き上げたのだろうか?

早急に死体を引き上げる必要があったのだろうか?

あまりにも水瀬の行動が不可解すぎる。


「ちなみに、地頭じとうさんがどのように亡くなったのかはご存じですか?」

「いや、詳しくはしらない。」

「佐々木さんとほぼ同じような殺され方です。足にロープが巻かれ、そのロープが湖底の構造物に巻きつけられた状態だったそうです。」

「それは・・・どういうことだ?」

馬淵は混乱している様子だった。


「つまり、佐々木さんを殺した人物が、地頭じとうさんを殺した可能性が高いということです。」

「まさか、水瀬がやったというのか?」

「俺はそうだと思っています。」

「そんな、水瀬が・・・何のためにそんなことを。」

地頭じとうさんと水瀬はどのように知り合ったんですか?」

「俺が聞いたのは、闇バイトを募集したら、応募してきたって聞いた。」

「それまでに面識は?」

「俺はあの日の夜、地頭じとうさんに紹介されたのが初対面だった。地頭じとうさんも、あの日に初めて仕事を出すと言っていたと思う。」

ほぼ初対面の水瀬が、なぜ佐々木さんを殺害した後、依頼主である地頭じとうまで手にかけたのかは分からない。


そして、おそらく重行さんも水瀬によって、捕まっているというのは間違いないだろう。

「とりあえず馬淵さんはしばらく、ここでかくまってもらってください。もしかしたら、水瀬は次にあなたを狙うかもしれません。」

「やっぱり、そうか。」

馬淵はこれまでは『目撃者』という正体の分からない相手に恐れていた。

ところが、相手が水瀬と分かったということで、幾分か落ち着いていた。


「佐々木さん殺害に直接手を下したのが水瀬だったということは、それを知っている地頭じとうを殺し、さらにはあなたを殺すことで、犯行を知っている人間をすべて消そうとしている可能性があります。」

「それは、口封じのためということなのか?」

俺は黙って頷いた。


「何とか水瀬の犯行を止めてみるので、決して無茶なことはしないように。」

「分かった。あんたを信じるよ。」

馬淵が変な行動を取らないように釘を刺したした後、俺はそのままマンションを後にした。


馬淵のおかげで、佐々木さん殺害現場にいた最後の一人が潜水士の水瀬と分かったのが大きな収穫であった。

プレハブ小屋から重行さんを拉致したのも、水瀬でほぼ間違いないと思う。


あとは、どうやって、水瀬から重行さんの居所をつかむのか、俊弥と相談して動き方を考える必要がある。

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