第二十三話 潜水士達

僕はダム湖の管理会社に電話をして、定期検査を担当している潜水士が活動している拠点を聞いた。


すると、ダム湖のそばにある管理会社の事務所を、定期検査の拠点にしていると言われた。


僕は車を走らせて、ダム湖のそばの管理会社の事務所へと向かった。


言われた場所に到着すると、そこには2階建のコンクリート造りの建物が建っていた。

敷地の入り口には『龍哭ダム管理所』という看板が掲げられていた。


建物の敷地内には、人影がいくつか見られる。

服装は皆同じで、青色を基調とした作業着のような服。

おそらくこの事務所の制服なのだろう。


僕は駐車場に車を停めて、建物の入り口へと向かう。

途中ですれ違った職員らしき人に、受付方法などを確認すると、入り口入ってすぐに警備員室があるので、そこで要件を伝えて入館するようにと言われた。


僕は言われたように、入り口から中へ入る。

すると入り口左側に『受付』の札が掲げられた、ガラス窓で区切られた部屋があった。

部屋の中には、警備員らしき服装を着た人が2人いた。


ガラス窓のそばにいた警備員が僕の姿を見つけて近づいてきた。

「どちらにご用でしょうか?」

窓ガラスを開けて、僕に問いかける。


「定期検査を行っている潜水士の方に用があるんですが。」

「定期検査・・・ああ。じゃぁ、これに名前と住所を記入していただけますか。」

そう言うと入退室管理用の紙が挟まっているバインダーをこちらに渡してくる。

僕はそこに必要事項を記入する。


入館証を手渡され、廊下の一番奥の右側の部屋へ進むように言われた。


僕は入館証を受け取ると、首から下げて指示に従って、言われた部屋へと向かう。


扉には『定期検査臨時事務室』と書かれたコピー用紙が貼られていた。


僕は扉の前に立って、ノックする。

「はい。どうぞ。」

部屋の中からすぐに声が聞こえ、僕は扉を開けた。


扉を開くと、周囲に書類棚が並んだ10畳ほどの広さの部屋が広がる。


中央には長机が2つ向かい合って並んでおり、その周囲にパイプ椅子が置かれていた。


部屋の中には男性が3人いたが、服装は全員グレーの作業着であった。

作業着の左胸元には『山岸潜水工業』という刺繍が入っている。

どうやら、ここの職員ではないらしい。

おそらく定期検査はダムの管理会社が外部の会社『山岸潜水工業』に依頼して行っているのだろう。


「なんのご用でしょうか?」

そのうちの一人が、僕に声をかけてきた。

年の頃は30代後半、黒縁の眼鏡をかけた男性である。


「すみません、僕は探偵をしている東雲と言います。」

そう言って、名刺入れを取り出し、中から名刺を1枚取り出してその人に差し出した。

眼鏡の男は少し怪訝そうな顔をしてこちらを見つめる。


「ダム湖で発見された死体について、お話を伺いたいのですが。」

眼鏡の男性は、僕の言葉を聞いて、またかというような表情を浮かべた。


「今日は朝から新聞やテレビの取材があって、いい加減にして欲しいんだが。」

眼鏡の男性は明らかに不満顔である。


後ろにいた男性二人も、同じような反応を示している。

よほど根掘り葉掘り話を聞かれて、辟易しているのだろう。


「ということは、今朝見つかった水死体についても、ここに所属されている潜水士の方が発見されたんですね?」

「その話を聞きにきたんじゃないのかい?」

眼鏡の男は少し意外そうな表情を見せた。


「いえ、その話も聞きたかったことの一つではありますが、それよりも数日前に見つかった佐々木さんの件の方がどちらかといえば聞かせていただきたい話なんです。」

「数日前? ああ、そっちの方か。」

「土屋君の班が検査ルートを間違えて、たまたま見つけた水死体の件ですね。」

奥にいた白髪混じりの男性が話を聞いて、会話に入ってきた。

年は眼鏡の男性よりも少し上で50代前後に見える。


「検査ルートを間違えた?」

「ああ、あの日土屋の班は本来別の箇所の検査を行う予定だったはずが、朝の出発時点で予定とは異なるルート表が配布されていたんだ。」

眼鏡の男性が引き継いで答えてくれた。


「まぁ、いいじゃないっすか。どうせ後日やるルートだったんだし。」

奥から別の若い男が声をかけてきた。

ベージュのスーツを着た20代後半ぐらいの男である。


「黙れ、梅宮。お前がちゃんと工程表を管理してなかったからだろうが。」

「えぇ、オレのせいっすか?」

眼鏡の男性の言葉に、梅宮と呼ばれたベージュスーツの男が不平を言う。


「竹山主任だって、ミーティングでルート表の違いに気づかなかったじゃないっすか。」

「ルートの管理はお前の仕事だろうが。それに、あの日だって結局水死体が上がったせいで本来の工程の半分も進んでないじゃないか。」

竹山主任と呼ばれた眼鏡の男性が、語気を荒げて梅宮に答える。


「最終的な工程管理は竹山主任でしょう。ねぇ、松尾課長。」

梅宮は松尾課長と呼ばれた白髪混じりの男性に助けを求めた。


「まぁ、過ぎてしまったことは仕方がない。竹山君にも責任の一端はあるから、この話はここまでにしましょう。」

松尾課長は場を収めるべく二人をなだめた。


「とりあえず、土屋君ももう戻ってるだろうから、彼らのところに案内してあげなさい。」

「梅宮、お前がこの方を案内しろ。」

「はいはい、わかりましたよ。」

奥にいた梅宮が扉の方へと近づいてくる。


「どうぞ、こっちです。」

梅宮がそのまま僕の横を通り、扉を出て玄関の方へと進んだ。


僕は部屋に残った2人に会釈をして、梅宮の後ろに続く。


「すみませんね。みっともないやりとりをお見せしてしまって。」

梅宮が歩きながら僕に声をかけてきた。


「いえ、大丈夫ですよ。」

3人のやりとりを聞いて、なんとなくの関係性を理解できたので、僕としては良かったと思っている。


「で、今日ではなくて、この間の水死体の件を調べてるって言ってましたよね。」

「はい。」

「あれ? でもそういえば、今日の水死体も、確か土屋さんの班の潜水士が見つけたんじゃなかったかな?」

「それは、本当ですか?」

「んー、確かそうだったと思うんですけど。でも、そうだとしたら、土屋さん、水死体発見のプロって感じで、半端ねぇっすね。」

この梅宮という人物、年齢的には僕と同じぐらいだと思うのだが、妙にノリが軽い。


「とりあえず、今からご案内する実地チームの皆さんに確認してみてください。」

総一の話では、佐々木さんの死体を見つけたのは潜水士の水瀬さんだと聞いている。


土屋さんの班の潜水士が水瀬さんだとすると、今日の地頭じとうの水死体を見つけたのも、もしかして水瀬さんなのか?


「ところで、検査ルートの間違いというのは、しょっちゅう起きるものなんですか?」

僕は疑問に思ったことを梅宮に聞いてみた。


「しょっちゅうはないですけど、たまには発生しますよ。」

梅宮が素直に答えてくれる。


「一応作業する人に配られるルート表には検査日が入ってるんですけど、そこを見落としていたり、コピーする時に汚れていたりすると、たまに発生しますね。」

「ということは、先日の検査ルートの間違いも、そういう状況だったんですか。」

「そうですね。この間のルート表は、日付の部分にちょうど付箋か何かがかかっていて、コピーでは確認できなかったようですね。」

「付箋ですか?」

「大元の資料にはいろんなページに付箋が貼られているんですけど、コピーする人間のミスで、その付箋が貼られた状態でコピーされたりするんですよ。」

「その資料を用意されるのは、どなたのお仕事なんですか?」

「ルート管理しているオレの仕事ですね。」

「ということは、あの日もあなたがルート表をコピーして、配布されたんでしょうか?」

「そうです。実際に作業する前の日に、全員が使用する資料をコピーして作っておくんですけど、なぜ違う日のルート表をコピーしたのが、いまいち覚えてないんですよね。」

「なるほど。ちなみに、前の日に用意された資料は、どこに置かれていたんですか?」

「いつも通りで、朝から作業できるように、さっきの部屋の長机の上に置いてました。」

「別の日の資料を取り間違えるということはないんでしょうか?」

「基本的に長机の上にはその日に行う作業の資料しか置かないので、別の日の資料が混ざることはないです。」

ということが、何ものかによって、前日に資料をすり替えられている可能性も考えられる。


しかし、潜水士の彼らがそんなことをする必要性は感じられない。

梅宮の性格からして、軽いノリでたまたま資料を間違えてコピーしたという可能性の方が高そうに感じられる。


梅宮の案内に従って、玄関から外に出る。

そこから建物の横手を通り過ぎて、玄関とは反対側、建物の裏手に移動した。


そこからゆるやかな下り道を進むと、湖面に突き出た桟橋が見えてきた。

桟橋には、エンジン付きのボートが数台係留されている。


桟橋の入り口付近には、大きな円筒形のビニール製の水槽のようなものがあり、その中に上半身が裸の男性が数人入っていた。

おそらく彼らが潜水士なのだろう。


周囲では作業服を着て、ダイビング用の酸素ボンベを運んだり、機材を片付けている人の姿も見える。

どうやら、作業を終えて、全員で撤収の準備をしているところだった。


「えっと、土屋さんはどこかな・・・」

梅宮が行き来している人間の方を確認している。


「いた、あれっす。」

梅宮が指差した方向を見ると、作業服を着て、酸素ボンベを運んでいる人の姿があった。


「土屋さーん。」

彼らがいる場所までまだかなりの距離があるのに、梅宮は大声で叫んだ。


その声に反応して、その場にいた人たちのうち、数人がこちらに視線を向けた。

呼ばれた土屋本人も、こちらの方を見ている。


僕と梅宮が歩いて近づく間に、こちらに視線を向けていた人たちは興味を失って、それぞれが元やっていたことに戻った。

土屋だけは、僕と梅宮が近づくのを待っている。


「梅宮君、何か用かい?」

近くまで行くと、土屋が声をかけてきた。


「すみません、こちらの方が先日の水死体の話を聞きたいそうです。」

「水死体の話? 今日のじゃなくて?」

「今日の水死体も、見つけたのは土屋さんの斑でしたっけ?」

「そうだよ。もう、俺何か悪いことしたかなぁって、思っちゃうよ。」

土屋がうんざりといった表情を浮かべる。


「それで、こちらの方は?」

「えっと、探偵の・・・」

「東雲と申します。」

梅宮が名前を忘れていそうだったので、僕が後を引き継いだ。


「先ほど伺ったんですが、先日の佐々木さんの水死体と、今日の地頭じとうさんの水死体、ともにあなたの斑が見つけられたと。」

「そうだよ。ほんと、運が悪いよな。おかげで仕事が進まなくって。」

土屋が愚痴っぽく話す。


「同じ斑ということは、水死体を上げた潜水士の方も同じなんでしょうか?」

「いや、引き上げにかかわった潜水士は別だよ。日によって潜水チームのメンバーは変わるから。」

「そうなんですか。ちなみに、その引き上げた潜水士の方というのは?」

「ちょっと待ってな。おーい、進藤君。」

土屋がビニール製の水槽の方に向けて声をかけると、中にいた一人がこちらへ歩いてくる。


「何か御用ですか?」

ウェットスーツを腰までさげて、上半身裸の状態で、進藤と呼ばれた男はやってきた。

年齢的には30代前後に見える。

肌は日焼けしていて、髪の毛は茶色に近い。


「この人が今日の水死体引き上げの話をしてほしいらしい。」

「水死体の話ですか。あんまり気持ちのいいもんじゃないですけど。」

進藤と呼ばれた男は少し不機嫌そうな顔をした。


「すみません、少しだけでかまいませんので。水中で発見された時の様子から教えていただけますか。」

「水中で発見された時と言われても、引き上げた後に警察にも話したけど、スーツ姿で足にロープを巻かれてて、そのロープが湖底に残っている古い家の柱に巻きついてたことぐらいしか言うことはないんだけど。」

「ロープは、どちらの足に巻かれてましたか?」

「確か、右足だったかな。」

「柱に結ばれていたロープは、ナイフか何かで切ったんですか? それともほどいたんですか?」

「もやい結びで結ばれていたから、そのままほどいたよ。」

「死体のどこかに傷などはなかったですか?」

「そこまではちゃんと見ていないから、分からないなぁ。」

「ちなみに、死体は岸に引き上げたんですか?」

「いいや、ボートが近かったから、ボートに上げたけど?」

「なるほど。あと、死体とは関係ありませんが、潜水士というかダイバーの皆さんは、陸上でもフィンを履いていたするんですか?」

「いや、歩きにくくなるから普通は陸に上がるときに脱ぐね。」

「すぐにもう一度潜るという場合でも?」

「どうだろう。僕だったら、地上に出るときは邪魔だから一度は脱ぐけど。」

「なるほど、分かりました。ありがとうございます。」

僕は進藤にお礼を行って、あらためて土屋に向き直った。


「先日の死体を引き上げられた方はいらっしゃいますか?」

「水瀬さんというフリーの潜水士なんですが、今日は非番でお休みしてますね。」

「そうですが。先日のお話も少し伺ってもよろしいですか。」

「まぁ、分かる範囲なら。」

「先日の水死体は、テレビのニュースによれば、そのまま岸に上げたと聞いたのですが、その時はボートが小さかったんですか?」

「いいや、ボート自体は同じものを使っている。」

「それじゃ、発見した場所とボートとの距離があったりしたんですか?」

「いや、距離はこの間も今日もそんなに変わらなかったと思う。」

「では、ボートよりも岸の方が近かったということは?」

「あの時は岸の方がむしろ遠かったような気がするなぁ。」

「水瀬さんはなぜボートではなく、岸に上げたんでしょうか?」

「あの時は全員が死体を見つけて呆気に取られてたから、引き上げた本人は気が動転していて、一刻も早く陸に上がりたかったんじゃないかな。」

「なるほど、そうかもしれませんね。水中での死体の状況などは、やはり水瀬さんに聞かないと分かりませんかね?」

「あの時水中に潜っていたのは水瀬さんだけで、死体の発見状況がわかるのも彼しかいないね。」

「水瀬さんは明日はいらっしゃるんでしょうか?」

「一応、シフトには入っているよ。」

「ではまた明日、水瀬さんのお話を伺いにまいります。」

僕はそう言って土屋に挨拶した後、再び梅宮の案内で事務所へと戻る。


事務所に戻る途中、梅宮は探偵という仕事が珍しいのか、僕にいろいろと探偵の話を聞いてきた。

僕は差し支えのない範囲でそれに答えた。


建物に戻った後、玄関横の受付に入館証を返却し、梅宮にお礼を言って、事務所を後にした。

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