第二十一話 痕跡

事務所で俊弥の帰りを待っている最中に、電話をもらって、俺は再びバイクで湖の桟橋へと向かった。


佐藤から新しいプレハブ小屋の存在を聞いたから、そこへ向かうということだった。


山道を抜けて、さっき後にしたばかりの桟橋へ戻った俺は俊弥が到着するのを待った。


今日だけで、すでに2軒のプレハブ小屋を訪れている。

今らか行くところで3軒目。


これだけ小屋を回っていると、なんだか、自分の住むところを探して不動産屋に物件を案内される気分だ。

かといって、プレハブ小屋に好んで住みたいとは思わないが。


そんなくだらないことを考えて待っていると、黒いクロスカントリーSUV車がやってきて、すぐそばで止まった。

ドアを開けて俊弥が姿を見せた。


「すまない。遅くなった。」

俊弥はそう言いつつ、桟橋の方へと歩き出した。

俺もそれに追従する形で桟橋へと向かう。


「とりあえず、さっきボートの使用許可は取っているから、もう一度借りても大丈夫だろう。」

そういって、俺はさっきまで使っていたボートを指さした。


俊弥が先にボートに乗り込み、俺はその後に続く。


乗り終えてから、ロープを外した。


そのまま俺がボートのオールを持って、漕ぐ位置についく。

二人の仕事の役割分担はすでに決まっているので、打ち合わせの必要もない。

体力仕事は俺の分野だ。

「すまないが、向かってくれ。」

俊弥に言われて、俺はすぐにボートを漕ぎ始めた。


ボートを漕いでいる間に、電話では伝えきれなかった情報をお互いに交換する。


やはり俊弥も俺が地頭じとうと馬淵に見られてしまったのが少し不安要素ではあると言っていた。

本当に彼らをごまかせていれば良いが、もし地頭じとうが頭の切れる男だったら、佐々木さんを殺害した時に、その場にいた目撃者が重行さんだと推理されてしまう。

唯一の救いは、彼らに重行さんが行方不明になっていることを知られていない点。

重行さんを探して、俺が湖に来ていたということがバレていなければ、目撃者とは思われないだろう。


そして、俊弥が佐藤から聞き出した話。

まさか湖に沈んでいないプレハブ小屋がもう一つあったとは、思いもしなかった。

それを教えてくれた佐藤に、証拠資料をすべて渡してしまって大丈夫なのだろうかと少し心配になった。


重行さんが自発的に戻ってくるには、横領事件の濡れ衣を晴らす必要がある。

そのためには、真犯人である佐藤を追い詰める必要があるはず。


今から向かうプレハブ小屋に、重行さんがいなかったときのことを考えて、横領事件を明るみにする証拠は持っておいた方が良かったんじゃないかと聞いたりもした。

しかし、俊弥は『大丈夫だ』と言うだけだった。


何が大丈夫なのだろうか?

今から向かうプレハブ小屋に、重行さんが必ずいると考えているのだろうか?

それとも、佐藤が自ら横領事件を会社に伝えるということなのだろうか?


そうこうしている間に、ボートは進んで、佐藤から聞いたポイントに近づいた。


やがて、周囲に少し高い崖が見え始め、地図で示された入り江の入り口付近まで到着した。

しかし、周囲の崖に阻まれて、入り江の中の様子は見えない。

言われた通り、入り江の中へとボートを進める。


すると、周囲の崖に取り囲まれるかのように、湖の中央付近に小島のように湖面の上に突き出た陸地が見えた。

地図ではその場所は確かに湖となっている。


その小島の上には、木々に邪魔されてはいるが、プレハブ小屋のような建物が見えている。

ただ、こちらからでは、その小島は少し高い崖が邪魔をして、ロープや梯子がなければ上陸できそうにないように見える。


「あれのようだな。こちらからでは、上陸しづらいようだから、回り込んでくれるか。」

俊弥に言われて、俺はボートを一度入り江の奥の崖近くまで進めた。

その後崖側から小島に近づいていくと、他のプレハブ小屋と同様に、昔は道路として使われていたであろうなだらかな斜面が湖の中から島へと続いていた。


俺はその斜面にボートをつけた。

俊弥が先にボートを降りて、ボートのロープを近くの木に縛る。


俺もボートを降りて陸に上がり、周囲の状況を見まわす。


おそらく、湖に沈む前は、結構な高台であっただろう。

正直に言えば、なんでこんな変なところにプレハブ小屋を作ったのか、当時の事情がよくわからない。

工事用の資材を置くためなら、もう少し行きやすい場所に作るものではないのだろうか?


ただ、これが残っていてくれたおかげで、重行さんが見つかるかもしれないことを考えると、ありがたいことではある。


「ここにはすでに人が来ているようだ。」

ロープを結んでいた俊弥が、いつのまにか、地面に座り込んで地面の痕跡を調べていた。

俺も俊弥のそばへ移動して、俊弥が見ている地面を覗き込む。


そこには、普通の足跡と、最初のプレハブ小屋で見かけたときと同様の、河童のような足跡が残っていた。

「先を越されたのか?」

ここまで来て、もし重行さんが殺害されていたら・・・嫌な想像が頭をよぎる。


「まだそうと決まったわけじゃない。とりあえず、プレハブ小屋へ急ごう。」

走り出す俊弥を俺も急いで追いかける。


上陸した地点からカーブしている道路に反って、小島の奥へと進む。


やがて、プレハブ小屋が見えてきた。

こちらから見えるプレハブ小屋の扉は開けっ放しになっていた。


外からでは中の様子は確認はできないが、嫌な想像がますます膨らんでいく。


俺と俊弥は、周囲を警戒しつつ、プレハブ小屋へ近づき、開きっぱなしの扉から中を確認した。


中に人の姿はなかった。

床に誰かが倒れているということもなく、ひとまずは安堵する。


ここにも重行さんはいなかった。

それはすなわち、重行さんの足取りが途絶えたと同じ意味でもあり、捜査の行き詰まりを意味している。



俊弥はすでにプレハブ小屋の中に入って、痕跡探しを始めていた。

俺も、何か痕跡となるようなものがないかを探し始める。


するとすぐに、俊弥が床に落ちている何かを拾い上げた。

気になって近づいてみると、持っていたのは透明のファスナー付きのナイロン袋であった。

ほこりもかぶっておらず、比較的新しいもののように見える。

「これは?」

「誰かが中に何かを入れて、持ち込んだんだと思う。」

「何が入っていたんだろう?」

俊弥は袋を開けて、中の匂いを嗅いでいる。

「特に変わった匂いはしない。これだけでは何が入っていたかは分からないな。」

さすがに匂いがなければ、いくら俊弥でも中に何が入っていたかは分かりようがないだろう。


さらに痕跡がないか、詳しく探していく。


部屋の中央には、パイプ椅子が2脚だけ残っており、机は見当たらない。


周囲の壁にはこれまでと同じように棚が並んでいる。

棚の中身もこれまでと同じように、古い段ボールなどが積まれている。

念のために古い段ボールの中身を確認するが、年季の入った軍手や壊れた工具のパーツなど、ダム工事の際に残された古いもので、重行さんの手がかりになるようなものは見当たらない。


床の上はほこりが積もっているが、その上を踏み歩いた足跡がある。

靴底の形は最初のプレハブ小屋の床で見たものと同じもののように見える。

「重行さんはここに滞在していたということで間違いなさそうだな。」

「うん。それは間違いないと思う。」


足跡自体は最初のプレハブ小屋と同じものが残っている。

しかし、それ以外に違うところもあった。


それは、床の上のほこりの上には、その靴跡とは別に、例の河童のような足跡が残っているという点。

重行さんがわざわざ水泳用のフィンを履いたとは考えにくい。


となると、ここには重行さん以外の人物が、来ていたことになる。


さらに気になるは、床に何か大きな細長いものを置いたような跡が残っていること。

その痕跡は、細い線を描くように、そのままプレハブ小屋の出口まで続いていた。


「何か細長いものがこの上に置かれていたようだが、この大きな跡は?」

俺は浮かんだ疑問をそのまま俊弥に投げた。


「恐らく、人が倒れた痕跡だろう。そして、それを引きずって、入り口まで運んでいるようだ。」

「ということは、倒れたのは重行さんということか?」

「そう見るのが、正しいと思う。倒れた人間を引きずったということは、部屋の中から外へは1人で運んだんだろうね。」

重行さんは、何者かに襲われて、そのままその人物に連れ去れれてしまった。

その人物は、前回のプレハブ小屋と同じく、水泳用のフィンを着用していたのだろう。


「重行さんは、無事なんだろうか? 殺されたりしてないよな? 」

俺は、一番最悪のことを想定して、俊弥に問いかけた。


「このあたりには血痕も残っていないから、ケガなどの外傷はないと思う。さらに、殺したのであれば、ここに遺体を残しておく方が、見つかりにくいと思うから、わざわざ引きずって運んだりはしないだろうと思う。」

たしかに、俺たちも佐藤から話を聞くまでは、ここは湖に沈んでいると思っていた。

そうなると、今後もここにやってくる人間は、ほとんどいないだろう。

だとすれば、死体を放置していても、長い間見つかることはない。


「小島には他にボートが残っていないということは、犯人はおそらくボートを使わずにこの島へやってきたのだろう。」

場所的に、周囲が崖で囲まれている小島である以上、陸側から歩いてここに来ることはできない。


すると、重行さんがここに来るためには、ボートを使う必要がある。

犯人もボートを使ってここに来た場合、ボートが2艘になるが、ボートを漕げるのは犯人だけなので、1艘がここに残っているはずである。


「複数の人間・・・例えば、地頭じとうと馬淵が2人で1艘に乗ってきて、それぞれがボートを漕いで行ったという可能性は?」

「この島に残っている足跡を見る限りは、重行さんのものと、水泳用フィン以外はなかった。それに倒れた人を2人で運ぶだろうから、引きずったような跡は残らないだろう。」

「ボートの後ろにボートを結んで運んだ可能性は?」

「ボートをここから持ち出す必要性はないだろうし、操船も難しくなるだろうから、人を連れ出す時にやるとは思えない。」

「すると、犯人は水泳用のフィンをつけて、泳いでこの島へやってきたということか?」

「僕の考えでは、そうなるね。」

犯人は水泳用のフィンを履いて泳いでやってきた1人。


地頭じとうか馬淵のどちからということか?」

「そこはまだ何とも言えない。最初のプレハブ小屋にも水泳用フィンの足跡は残っていた。そして、地頭じとうも馬淵はあの時は靴で来ていた。」

地頭じとうも靴で来ていたのは間違いないのか?」

「あそこには水泳用フィン以外に、3人分の靴跡があったから、そう考えるのが正しいと思う。」


「だとすると、地頭じとう、馬淵以外に、水泳用のフィンを履いた3人目の人物が存在していて、そいつが重行さんを連れ去ったということか?」

「その可能性の方が高いと僕は思っている。ただ、その第3の男が連れ去ったとしても、3人が共犯の可能性が高い。」

「ということは、重行さんの身柄は地頭じとうに押さえられているということか?」

「現時点での情報からは、そういう結論になるだろうね。」

重行さんはまだ無事ではあるものの、地頭じとうに身柄を拘束されている可能性が高い。


すなわち、目撃者が重行さんだと分かってしまうと、殺されてしまう可能性が高いということになる。


「とりあえず、戻ったらすぐにでも地頭じとうに張り付く必要がありそうだ。」

「そうだな。」

「悪いけど総一は戻ったらすぐに『地頭じとう土地開発』の事務所へ向かって地頭じとうに張り付いてくれるかい。僕は少し準備をして、後から向かうから。」

「分かった。」

俺たちは帰りのボートの上で今後の算段を行った。


そして、桟橋に到着すると、俺は俊弥と別れ、バイクに乗って急いで『地頭じとう土地開発』へと向かった。

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