第二十話 暴露
僕は事務所で資料に目を通していた。
畑山百合子から受け取った紙袋に入った資料は、これまでに佐藤が行ってきた横領に関して、ほぼ全ての情報が入っていた。
取引用の会社を設立したときの資料からはじまり、大島建設から受け取ったお金の流れまで。
最終的には佐藤が作った口座にお金は集約されており、その総額は数億円に達していた。
佐藤を横領事件の犯人として証明するには十分な証拠と言える。
なぜ佐藤がこの資料を畑山百合子に渡していたのか。
これらの資料を廃棄してしまえば、おそらく横領の容疑が佐藤に向くことは難しかっただろう。
にもかかわらず、自身の生命線とも呼べるこれだけの資料を残しておいて、あまつさえ畑山百合子に預けていた理由。
おそらくそれは、畑山百合子に迷惑をかけたくないというわずかに残った良心によるものではないだろうか。
大島建設に残っていた横領事件の資料を読む限りでは、犯行に使われた名前からは佐藤に繋がるような情報はほとんど見つからない。
横領に手を染めてしまった最初の取引にだけ、唯一手掛かりとなる畑山百合子の名前が記載されていた。
佐藤の妻、京子の母親である畑山百合子といういわば身内が、横領という犯罪の資料の中に記載され、残ってしまった。
調査の手はいずれ畑山百合子に行き着いてしまうだろう。
もし資料がなければ、おそらく何度も畑山百合子の元に証拠を求めて会社の人間や警察が訪れることになる。
そうなると、義理の母親に迷惑がかかってしまう・・・それを避けたかったのだろうと思う。
この資料が明るみに出れば、横領事件はほぼ解決する。
重行さんがその身を隠すきっかけについては解決するので、再び娘の美幸さんの元に戻ってこれるようにはなる。
ただ、佐々木さんの殺害現場を目撃していた場合は、そちらの事件も解決しないことには自ら姿を見せることは難しいかもしれない。
実際には、佐々木さんを殺害したであろう
しかし、重行さんは殺人犯に見られたと勘違いしている可能性が高い。
殺人犯が重行さんのことを追っていないということをどうやって伝えるのか。
娘の美幸さんがメッセージを送ったとしても、おそらくスマートフォンを見ることはないだろう。
そうなると、不特定多数の広範囲にそれを知らしめるテレビなどのニュースで、佐々木さん殺害の犯人が捕まったと報道されないと、自ら姿を現すことはないのではないだろうか。
かと言って、こちらから重行さんの行方を探す方法も、ほぼ手詰まりに近い状態だ。
総一からは、結局残りのプレハブ小屋に、重行さんの姿はないという報告を受けている。
重行さんの足取りを追うには、地道な聞き込み捜査を行うしかないが、僕のような個人の探偵が、自ら姿を隠している人を探し出すのは非常に難しい。
警察などの協力を得て、各地の監視カメラの映像を調べれば、もしかしたら見つけることができるかもしれない。
しかし、警察が行方不明者にそこまでの力を割いてくれるとは考えづらい。
いくら考えても現状の手持ちの情報では、妙案が思い浮かばない。
とりあえずは、できることを一つつず解消していくことにする。
まずは横領事件を先に解決しよう。
もしかしたら、佐藤が僕たちの知らないことを重行さんに助言しているかもしれない。
この証拠を見せれば、佐藤もあきらめてそのあたりの話をしてくれるかしれない。
僕はスマートフォンを手に取って、総一が佐藤から受け取った名刺に書かれた携帯電話番号に電話をかける。
数回コール音が鳴った後、電話が取られた。
「はい、佐藤です。」
佐藤が電話に出たのを確認して、僕は話があるので、時間をとってもらえないかとお願いした。
先日の一件以来、僕と総一に対して、若干の不信感を持っていた佐藤は、少し警戒している様子だった。
それでも、救出した事実に対しいては恩を感じてくれているらしく、面会する時間を取ってくれることになった。
場所は大島建設の近くにあるコーヒーチェーン店。
僕は佐藤に指定された時間に、お店へと向かった。
待ち合わせ時間よりも10分ほど早くに僕はお店に到着した。
そこは緑と白で描かれたロゴに、シンボルイラストが目を惹く全国展開されている有名なコーヒーチェーン店。
いつもはほぼ満席状態で、席を確保することが難しいのだが、待ち合わせ時刻が夕方だったおかげなのか、席は空いており、店内にいる客の姿はまばらであった。
店に入る前に空席を見つけることができるようにという店側の配慮か、入り口から全ての席が見渡せるようになっている。
佐藤がすでにきていないかを確認するために、席に座っている客を確認していく。
ノートパソコンを広げて仕事をしているサラリーマンや、会話を楽しんでいるママ友メンバー、イヤホンをして机に顔を伏せている学生らしき人や、スマートフォンの画面に見入っているOLらしき女性。
ざっと見渡したが、佐藤はまだ来てはいなかった。
僕はカウンターへ移動して、ホットコーヒーを注文した。
好きな人は、季節限定の商品が出れば、それをわざわざ飲みに来るらしいのだが、僕はそういうものにあまり興味がない。
注文する時にも、商品名のほかにサイズだったり、オプションだったりを自分の好みに合わせてカスタマイズでき、それを店員に伝えるそうなのだが、馴染みがない僕にはそれができない。
単語の意味を知らずに、初めて聞くと、何を言っているのかわからないと思ってしまう。
本当に飲みたいものがあるなら、その単語を呪文のように覚えておくというのも手だとは思うが、そもそも、僕はコーヒーはブラックしか飲まない。
なので、注文方法についてもわざわざ覚える必要もないので、そのままにしている。
商品受け渡しカウンターでコーヒーを受け取った後、空いている一番奥の席へと移動した。
これから佐藤と話す内容を考えると、周囲に人があまりいない席が良い。
幸い、お店の一番奥の席は空いており、ほかの客とも適度な距離がありそうだった。
僕は席に到着すると、入り口から顔が見えるように奥の方に座った。
そして、佐藤が来るのを待ちながら、コーヒーを口にする。
間髪入れず、僕のスマートフォンが鳴った。
佐藤からの連絡かと思って画面を確認すると、相手は総一だった。
電話に出て、佐藤との面会の約束があるからと手短に報告を受ける。
総一の報告は残りのプレハブ小屋もすべて確認したが、重行さんがいなかったということだった。
ただ、そのうちの1か所に住んでいる男から、重行さんの目撃情報を得たということから、おそらく重行さんは僕の予想通り、新たなプレハブ小屋に隠れるつもりで、探し渡っていたのは間違いないようだ。
そして、湖上で出会った
彼らも未だ重行さんを探していると見て間違いはないだろう。
とりあえず、佐藤との面談が終わり次第、事務所に戻るからその時に詳細情報を共有しようと伝えて電話を切った。
それからすぐに、入り口に佐藤がやってきた。
手にはスマートフォンしか持っていない。
佐藤は入り口から座席を見回し、僕の方に気づいた。
飲み物も注文せずに、そのままこちらへと歩いてくる。
「お待たせしました。」
「いえ、僕も今来たばかりです。」
軽い挨拶をした後、手で座席を指して佐藤に着席を促す。
「それで、今日はどういったご用件で?」
佐藤は社交辞令も一切なく、いきなり本題を問いかけてきた。
僕の方としても、その方がありがたいので、早速本題を伝える。
「もう一度お伺いしますが、重行さんが行方をくらませた理由について、あなたはご存知ないんですよね?」
「ええ。前にもお話ししましたが、全くわかりません。」
佐藤のスタンスを確認するために、念のために聞いたが、やはり前とは変わっていない様子。
「では、大島建設で、横領事件が発生していることはご存知でしょうか?」
その言葉に佐藤がピクリと反応した。
「いえ、それは・・・存じませんが?」
佐藤は少し言い淀んだものの、どうやらあくまでシラを切るつもりのようである。
「そうですか。どうやら重行さんは、その横領事件に絡んで、姿をくらませたようなんです。」
「それは、どういう意味ですか?」
佐藤は、僕の言葉の意図を読み取れていないのか、それとも自分が誘導しようとしたシナリオの方向に向かっているかを確認しようとしているのか、どちらとも取れる当たり障りのない相槌を打った。
「重行さんには、横領事件の犯人としての容疑がかけられていました。」
「そうなんですか?」
佐藤が少し白々しく驚いたようなフリをする。
「横領事件は上層部が極秘に調査を行っている最中で、おそらく、一般の社員で横領事件のことを知っている人はほとんどいません。」
「中野さんはそのことを知っていたということですか?」
「そうですね。ある人物から自身に容疑がかけられているということを聞かされて、知ってしまったというべきでしょうか。」
「もしかして、その横領事件の犯人というのは、実際に中野さんだったから、姿を隠したんでしょうか?」
佐藤は焦っているのか、自身の描いた方向へ誘導しようと、直接自分のシナリオを口にした。
「いいえ、そうではありません。中野さんは、その人物によって、横領事件の犯人に仕立て上げられそうになっていたようです。」
佐藤の表情が少し険しくなった。
「その人物は、おそらく中野さんだけに容疑がかかっていると伝えたのでしょう。そして、自分がその疑いを晴らすから、中野さんはしばらく姿を隠すように助言したのだと思います。」
佐藤は何も言わずに、僕がどこまで知っているのかを測ろうとして、こちらの出方を伺っているようだった。
「そう、佐藤さん。あなたが重行さんに姿を隠すように助言したんです。」
「私が? なんのために?」
佐藤は精一杯の反論を試みようとした。
「あなたは中野さんが姿を隠している間に、中野さんが横領事件の犯人になるようにさまざまな証拠を捏造しようとしていたんでしょう。」
「そんなわけありませんよ。言いがかりもいい加減にしてください。」
佐藤は自身の行動を言い当てられたからか、かなり動揺しているように見える。
「言いがかり・・・ですか。では、質問を変えます。畑山百合子さんをご存知でしょうか?」
佐藤の顔から、一気に生気が失われた。
「僕は今日、彼女に会ってきました。」
その言葉を聞いた瞬間に、佐藤は全てを察したようだった。
もう反論しても無駄だと悟ったのか、そこからは彼は僕の言葉を聞くだけしかできなかった。
僕は順を追って、畑山百合子さんと出会ったこと。そして、大量の資料を受け取ったことなどを伝えていく。
僕の会話に最初は返事をしていた佐藤だったが、会話を進めるに従って、次第に反応が鈍くなっていく。
やがて、僕が一通り状況を説明し終えると、しばらくの沈黙が続いた。
「そう・・・ですか。」
がくりと
「もう一度伺います。佐藤さん、あなたは重行さんの行方をご存知でしたね。」
佐藤は黙って頷いた。
「あのプレハブ小屋に隠れるように助言したのも、あなたですね?」
佐藤は一瞬驚いた顔をした。
「そこまで、ご存知なんですか・・・」
「ええ。あなたを救出できたのも、実はそのおかげなんです。」
僕は佐藤に重行さんがプレハブ小屋を離れた理由と、
「まさか、そんなことになっているなんて・・・」
佐藤は事情を聞いて、自分が想像していた以上に重行さんが危険な状態であることを察したようであった。
「このままだと、先日の佐藤さんの時のように、中野さんが
「私のように・・・」
「佐藤さんの時は、僕たちがたまたま見かけたから助けられましたが、中野さんを誰かが助けてくれるとは限りません。下手をすると殺されてしまうかもしれないんです。」
佐藤が『殺される』という言葉にビクリと反応する。
おそらく重行さんが殺されることは佐藤も望んではいない。
「20年前のダム工事の際に建てられて、ダム湖に沈んでいないプレハブ小屋は4か所全て確認したんですが、中野さんはいませんでした。ほかに何か重行さんに助言をしたことなど、あれば教えていただけませんか。」
「4か所? 5か所ではなく?」
「5か所? 沈んでいないプレハブ小屋は、4か所ではないんですか?」
大島建設のサーバーから探し出したプレハブ小屋と、現在の湖の位置を重ねた結果、沈んでいないプレハブ小屋は4か所しかなかったはず。
僕が見落としたのか、それともデータに記載されていないプレハブ小屋があったのだろうか?
「これまでに調べたプレハブ小屋の位置を教えてもらえますか。」
佐藤に言われて、僕はスマートフォンを取り出し、マップアプリでこれまでに調べたおおよその位置を伝えた。
「この辺にあるプレハブ小屋は調べませんでしたか?」
佐藤が示したマップの位置は、入り江のように周囲を岸で囲まれた湖の中であった。
「ここにプレハブ小屋があったとして、すでに湖の中に沈んでいるのではないんですか?」
佐藤が示した場所は、どう見ても湖の中である。
しかし、佐藤は首を横に振る。
「ここにあるプレハブ小屋は、他よりも高い崖の上にあります。なので、今でもおそらく湖面よりも高い位置に残っているはずです。」
「そんな小屋があったなんて・・・」
「しかもここは、周囲がさらに高い崖で囲まれているので、山道からは見づらい位置にあります。しかし、湖面側のこのあたりからなら、おそらく建物を確認することができると思います。」
佐藤はマップの上の入り江の入り口付近を指で示した。
「なるほど、現地でないと見つけることができない、地図で見る限りでは分からない小屋ですか。」
「もしここにいないとなると、私には部長がどこへ行ったのか、皆目見当がつきません。」
「そうですか。それでは、僕はこれで失礼します。」
今からなら、日が暮れるまでに新しく知ったプレハブ小屋へ向かうことができるかもしれない。
「この資料は、佐藤さんにお返しします。」
僕は畑山百合子から受け取った資料を、佐藤に手渡した。
「いいんですか? この資料があれば、私が横領事件の犯人だと断定できるのに。」
佐藤は少し戸惑いの表情を浮かべている。
「ここからの行動は、佐藤さんを信じてお任せします。」
僕は佐藤が畑山百合子にこの資料を渡した理由を考えれば、間違った選択はしないと考えている。
本来であれば、最初の横領の証拠さえ残していれば、畑山百合子に罪がないことは分かる。
畑山百合子を救うのが目的であれば、それだけで事足りるはずである。
ところが佐藤は、これまでの横領事件の資料を、すべて丁寧に残していた。
それだけ、身内に迷惑がかかることを嫌っている佐藤が、ここで証拠を隠ぺいし、重行さんに罪を着せるような行動を再び取るとは思えない。
「わかりました。」
佐藤は少し葛藤しているようにも見えた。
しかし、今は一刻も早く重行さんがいるかもしれないプレハブ小屋に向かいたい。
「それでは、改めて失礼します。」
僕は佐藤の一礼した後、コーヒーショップを後にした。
コーヒーショップから車へ戻る途中、総一に電話をかけた。
すでに事務所に戻っていた総一に、僕も後から合流するからと、再びボートが係留されている桟橋に向かうように伝えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます