第十九話 遭遇
俺は、20年前のダム工事の際に取り残されたプレハブ小屋の最後の1カ所に向かうのに、どちらのルートを辿るべきか悩んでいた。
山道から下っていくルートか、それともダム湖から上っていくルートか。
地図を見る限りでは、残る最後のプレハブ小屋が位置的に、一番近い山道と、ダム湖の湖岸とん距離がほぼ同じぐらいだからだ。
山道からのルートだと、茂みを切り分けながら、道なき道を進んでいくような形になる。
湖からのルートだと、古い車両通行用の道路があるとは思うが、昨日と同様に途中で通行できない状態になっている可能性もある。
重行さんがもしプレハブ小屋に行くとしたら、どちらを通るだろうかと考えると、おそらく湖からのルートではないだろうか。
ダム工事の際に使ったプレハブ小屋ということは、プレハブ小屋までの道路も何度も通って熟知していると思う。
過去に使っていたプレハブ小屋へ向かうなら、熟知している道路の方の方が、通ったことがない山道からのルート・・・といっても、実際に道が存在するかは不明だが・・・よりも確実だと考えるだろう。
俺はそう考えて、湖からのルートを進むことにした。
先日、佐藤が湖そばのプレハブ小屋へ向かう時に使っていたボートが係留されていた桟橋へ向かう。
たしか、あの桟橋には他にも数艘ボートが係留されていたはず。
そのうちの一艘を一時的に借りても、後で戻しておけば怒られることもないだろうという安易な思いからだ。
俺はバイクを桟橋に近い山道に止め、佐藤と同じルートを通って桟橋へと移動した。
果たしてそこには、ボートが4艘ほど係留されていた。
桟橋の脇には、小さな看板が立っていた。
看板によれば、ここに係留されているボートは、全てレンタルボートらしい。
しかし、管理人は休日ぐらいしか滞在していないようで、利用客のほとんどいない平日には営業していないようだ。
一応、問い合わせ先の電話番号がそこに記載されていので、スマートフォンから電話をかけてみる。
しばらくコール音が鳴った後、担当者らしき男性が電話口に出た。
俺は、ダム湖のボートをすぐに借りたいと男性に告げる。
すると、元に戻してくれるなら、使用しても良いと言ってくれた。
レンタル料について聞いてみると、対応してくれた男性がかなりアバウトな性格なのか、営業日ではないのでタダで良いと言われた。
俺とのやりとりの口ぶりから面倒を嫌がる性格が伺える。
おそらく支払うための手続きなどの手間をかけるのが嫌なのだろう。
一応、万が一のためにこちらの連絡先だけ教えて欲しいと言われたので、伝えておく。
電話を切った後、俺は一番端にあったボートに乗り込み、ロープを外してから、残りのプレハブ小屋の方へと漕ぎ出した。
手漕ぎボートなので、特に操船が難しいということはない。
風もなく湖面も穏やかなので、ほとんどレジャー感覚でボートを漕ぎ進める。
湖面には今日も何艘かのボートが出ており、ダムの検査を行っているようだった。
地図を確認しつつ、最後のプレハブ小屋に近い場所まで漕ぎ進めた。
少し手前の湖上からプレハブ小屋へと続く道がないかと岸を見渡す。
すると、湖面近くまで木々が迫り出して育っている陸地の中に1カ所だけ、木が生えていない場所が見つかる。
その近くへ移動してみると、湖面から陸地に向けて、幅は狭いが緩やかな斜面が奥の方へと続いているのが見える。
おそらくここが、プレハブ小屋へと続いていた道路なのだろう。
俺はボートをその斜面へと移動させ、陸地に上陸した。
すぐそばの木にボートを繋ぐと、元は道路だった斜面を奥へと進んだ。
元道路だった斜面は、枯れ葉などが堆積してはいるものの、比較的歩きやすかった。
しかし、左右には木々がうっそうと茂っており、元道路からその中へ人が入るのを拒んでいるかのようだった。
ダムが建設されてから20年の間、放置されていた歳月を感じさせる。
最初のプレハブ小屋や、沢登りをさせられた時に比べれば、非常に楽な道だと言える。
堆積した枯れ葉をそうじすれば、今でも普通に道路として使えそうだ。
ただ、歩いてプレハブ小屋に近づいてはいるが、直近で人が通ったような形跡は見当たらない。
重行さんは、ここにも来ていないのかもしれない。
そう感じつつも、念の為にプレハブ小屋を確認するため、ひたすら元道路を進んだ。
やがて、眼前にこれまで進んできた元道路よりも少しひらけた場所に出た。
そこには古いプレハブ小屋が建っていた。
周囲に人の気配は全くない。
誰かがそこで生活しているような痕跡も見当たらない。
俺はゆっくりと周囲を見渡しながらプレハブ小屋の扉へと近づく。
取手を回して、扉を開いてみると、中は完全な空っぽであった。
収納の一つすら残ってはいなかった。
これまでは、壁に沿って棚が並んでいたが、ここにはそれすらも見当たらない。
本当に建物だけがそこに残っている状態である。
プレハブ小屋の床を見ても、少し分厚いほこりが堆積しているだけで、ここ数年は人が出入りした痕跡もない。
重行さんはここには来ていないようであった。
どうやら無駄足だったようである。
重行さんの足取りとしては最初のプレハブ小屋を出た後、あの人が住んでいるプレハブ小屋へ流れ付き、その後どこへ行ったのか不明ということになる。
これまでに回ったプレハブ小屋の中で、おそらくここが一番滞在しやすい場所だと思うのだが、重行さんはここを見つけることができなかったようだ。
これ以上ここにいても仕方がないので、俺は元きた道路を引き返すことにした。
来た時と同じように、今度は下りとなった元道路を歩いて進む。
来る時にはそれほど感じなかったが、下りになって気づくのは、落ち葉による路面の滑りやすさ。
油断すると、こけてしまいそうになるのを堪えながら、ボートを係留した場所まで戻った。
ロープを木から外して、ボートに乗りこみ、漕ぐ体制に入ろうとした時だった。
「おい、お前。こんなところで何をしとるんや。」
人を見下すような、威嚇するような声が湖面の方から聞こえた。
後ろを振り返ると、少し離れたところに俺が乗ってきたのと同じような手漕ぎボートが見えた。
ボートの上には2つの人影が見える。
一人は座ったままボートを漕ぐ体制を維持していて、こちらからでは背中しか見えない。
そして、ボートの前方で立ち上がってこちらを見ているのは、少し肥満型のスキンヘッドの男の姿。
この男に、俺は見覚えがあった。
重行さんの情報を聞こうと大島建設を訪問した際、佐藤が来るまでロビーで待っている時に話しかけてきた男である。
一緒にいた人物からはたしか・・・『ジトウさん』と呼ばれていたはず。
そこまで思い出して、俺はハッとなった。
この『ジトウさん』と呼ばれた男、もしかしたら『
だとすれば、彼が俺に声をかけてきたのは、俊弥の推理通りなら佐々木を殺害した時の目撃者を探しているからか?
ボートを借りて湖面に出た人が、わざわざボートを係留してまで陸に上がることはない。
向こうからしたら、俺は目撃者と同じような行動を取る怪しい人物に見えるだろう。
だとすると、佐々木さんを殺害した時の目撃者と疑っている可能性が高い。
ここで
しかし、なんと答えるべきか。
ここは慎重に受け答える必要がある。
「おい、聞こえなかったんか?」
俺が答えを逡巡していると、
普通の人なら気おくれしそうな、ドスの効いた声である。
「今週末に友人と一緒に釣りをしようと思いまして、いいポイントがないか下見をしに来てるだけです。」
「釣りの下見?」
当たり障りのなさそうな答えを言ってみるが、
そのやり取りを聞いたからか、ボートを漕ぐ体制を維持して、背中を向けていたもう一人の男が、急に振り返った。
その顔を見て俺は驚いた。
ボートに乗っていた人物、それは馬淵であった。
それは、期せずして俊弥の推理の裏付けを得たともいえる。
しかし、それと同時に、馬淵に俺の素性を明かされると、いろいろとまずいことになるかもしれない。
俺が重行さんのことを調べていたのが
「おや、あんたは。」
俺の焦りとは裏腹に、馬淵は俺を見て反応した。
「なんや、知り合いなんか?」
そして、二人でこちらからは聞こえない声で何やら話し込んでいた。
これは、かなりマズイ流れになるかもしれない。
これまで以上に早く、重行さんを見つけないといけない流れだが、肝心の重行さんの行方を調べる方法がさっき消滅したところである。
俺の中では八方ふさがりに近い状況になってしまった。
緊張しながら、相手の出方を伺う。
しばらくして、二人の会話が終わったらしく、
「あんた、なんや人の浮気調査しとったらしいな。それはもう終わったんか?」
どうやら馬淵は俺が重行さんの浮気調査をしていたと勘違いしたらしい。
おそらく『スナック翠』のママの入れ知恵だろう。
これは、もしかしたら助かったかもしれない。
「ええ、まぁ。本当はクライアントの手前、漏らしてはいけないんですけどね。」
俺はその流れに乗ることにした。
「また、人の荒さがしばっかりする、しょうもない仕事しとるなぁ。」
「ちゅうことは、一仕事終わったから友達といっしょに釣りを楽しもうと言うわけやな?」
「まぁ、そんなところです。」
「しかし、気ぃ付けや兄ちゃん。そんな仕事ばっかりしとったら、ロクな死に方でけへんで。」
佐々木さんを殺害した人間には言われたくない言葉である。
「まぁ、せいぜい友達と釣りを楽しんでおくれ。」
そういって、
去り際に、馬淵が頭を下げて軽く会釈して行くのが見えた。
俺は、緊張感と焦燥感が一気に消えた安堵感から、一気に疲れを感じた。
そして、しばらくはボートの上に座り込んだまま動けなかった。
かろうじて、何とかごまかせたのではないだろうか。
ただ、重行さんの行方は完全に分からなくなってしまった。
次にどうすればいいのか、俺には全く分からない。
果たして俊弥には次の一手が見えているのだろうか?
そんなことを考えながら、俺はようやく手を動かしてボートを漕ぎだし、桟橋へと向かった。
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