第十八話 覚悟

アパートを訪ねた翌日、僕は朝から車を飛ばして、畑山百合子が今も住んでいると思われる住所へと向かった。


これまでの佐藤の行動をみる限りでは、かなり小心者の印象を受ける。

畑山百合子が佐藤の義理の母親であることがわかっている以上、そこを押していけば彼が横領事件の犯人であることを突きつけることはできるかもしれない。


しかし、現時点での状況推理だけでは、土壇場で覆される可能性もあり得る。

もう少し佐藤が確実に罪を認めるような証拠や証言がある方が間違いないと考えたからである。


畑山百合子の口から、横領に関する何らかの証言が得られれば、それが佐藤への切り札となり得る。


そんなことを考えながら車を走らせて、年賀状に記載されていた住所に到着したのはお昼前であった。


ナビが指示する目的地の周辺に到着すると、そこは一軒家が多く立ち並ぶ閑静な住宅街だった。

周辺の住戸が全体的に似たような作りであることから、同じ建設会社が新興住宅地として売り出した街だと推測できる。


やがて、住所が指し示す目的地に到着して僕は車を降りた。


目の前には作りとしては周辺の家と同じだが、土地の広さで言えば倍近くの広さがある一軒家があった。

ガレージも3台は優に止めれそうな広さで、ガレージの奥には手入れの行き届いた広めの庭が広がっていた。


これだけ大きな家なら、住人はさぞ良い暮らしをしているのだろうと考えるのだが、ガレージに止まっているのはおおよそ家の広さにはそぐわない軽自動車が一台だけけだった。


他の車が出払っているのかとも思ったが、軽自動車以外に車が出入りをしているような痕跡は見当たらない。


この住宅街に来る途中に大きなショッピングモールを見かけたが、ここからだと車なしではそこへ行くのも難しそうだ。

それ以外に徒歩で買い物に行けそうなお店は見当たらない。


ということは、ここに住んでいるのは、普段の生活の足として軽自動車が1台で済む人数・・・おそらく1人かせいぜい2人ぐらいまでだろう。


門柱に掲げられた表札には『畑山』の文字が確認できる。

目的の家はここで間違いないらしい。


僕はアプローチを通って玄関前まで進み、扉の横のインターホンを押した。


しばらくするとインターホンの向こう側から女性の声が聞こえた。

「はい。どちら様でしょうか。」

声はどことなく品の良さを感じさせる、物腰が柔らかそうな話し方である。


「大島建設の・・・佐藤太市さんの件でお話を伺いたくてまいりました。」

僕は包み隠さず、訪問の目的を伝えた。


インターホンの向こうでしばらくの沈黙が流れる。


「わかりました。少しお待ちください。」

そういって、インターホンは切れた。


そこからかなり長く感じられる時間が経過する。

インターホンから玄関まで来るには少々長すぎるぐらいの時間。


もしかしたら、違う出口から出て行かれてしまったのではないかと疑いたくなるほどの時間が経ったころ、ようやく玄関の扉が開いた。


姿を見せたのはロマンスグレーのショートヘアで、たたずまいからも気品が感じられる老婦人だった。

手には何か大きな手提げの紙袋を持っている。


「畑山百合子さんですね。」

「はい。そうです。」

その女性、畑山百合子はうなずいた。


「大島建設の方ですね。太市さんから話は聞いております。」

話とは一体何のことだろう? と思っていると、彼女は持っていた紙袋を僕に差し出した。


その紙袋が何なのか、僕には全く見当がつかない。


僕が対応に困っていると、彼女がさらに言葉を続けた。


「大島建設の方が来られたら、これをお渡しするようにと太市さんが・・・」

「なるほど、とりあえずお預かりします。」

僕はその紙袋を受け取った。


中にはいくつかの茶封筒が入っていて、その茶封筒の中には何かの書類が入っているように見受けられた。

その茶封筒には『一ノいちのせ建材株式会社』の文字が印刷されたものもあった。


「もしかしてこれは・・・」

そう言いかけた僕に、彼女は黙って首を振る。


「ごめんなさい。中身が何かまでは、私も存じておりませんの。」

その言葉に嘘はなさそうに思えた。


「ただ、太市さんから、もし自分以外の大島建設の人間が訪ねてきたら、その時はこの紙袋を渡してほしいと言われているだけなんです。」

そういう彼女の表情は、どこか物憂ものうげだった。


この書類の束はおそらく横領に関する証拠なのだろう。

佐藤はもし横領の調査の手が彼女にまで伸びれば、もう逃げることはできないと覚悟していたのかもしれない。

そして、そのことで彼女に迷惑がかからないように、大島建設の人間が来たら書類を渡すようにと依頼していたのだろう。


ただ、佐藤は彼女に横領の書類のことを伝えてはいないのだと思う。

それでも、この書類を彼女に託した時の佐藤の雰囲気を察して、この書類がどういうものか、ここに大島建設の人間が来たら、どうなるのかは理解しているのかもしれない。


「太市さんは、お元気なのかしら。」

「そうですね。元気です。」

「娘の京子も元気にしてるのかしら。」

「すみません、それは僕には分かりかねます。」

「それもそうね。」

彼女は少しだけ笑顔を作った。しかし、それはカラ元気のように思えた。


「太市さんは京子にはもったいないぐらいのいい人なの。私にもこんな立派なお家を建ててくれて・・・」

そういいながら彼女は少し涙ぐんでいた。


「こんな無理をしなくても良かったのに。私は前の古いアパートに住んでいるだけで、十分だったのに。」

「その古いアパートで、田中美千代さんにお会いしましたよ。」

「美千代さんに!」

彼女の顔が少しだけ明るくなった。


「ええ、田中美千代さんは元気でやっていると伝えてほしいと言伝ことづてを頼まれました。」

「あぁ、そう。美千代さんは元気なのね。そう・・・良かった。」

彼女は昔を懐かしむように、言葉を紡ぎだした。


「この家には、あなたがお一人で暮されているんですか?」

「ええ、そうよ。」

「太市さんや京子さんとはご一緒じゃないんですか?」

「たまに遊びに来てくれるぐらいね。」

「お寂しくはなかったんですか?」

「さぁ、どうかしらね。よくわからないわね。」

そう答えた彼女は、どう見ても寂しげだった。


「どうも、お邪魔しました。」

僕はいたたまれなくなって、すぐにその場を離れようとした。


「いいえ、来てくださって、うれしかったわ。太市さんに今までありがとうと伝えてくれるかしら。」

「分かりました。伝えておきます。」

僕はそう答えて、玄関から離れた。

アプローチから出る時、再度彼女の方を見てお辞儀をした。


そして、車に戻り、受け取った書類を助手席へ投げ込んだ。

その資料に目を通す気持ちの余裕がなかった。


すぐにエンジンをかけ、事務所へ向けて車を走らせた。


佐藤は義母のことを大切に思って、立派な家を建てて住ませたのだろう。

しかし、それは結局、彼女の反応を見る限りは、彼女の為にもなっていないように思える。


本来彼女は、元のアパートで、隣人と楽しく暮した方が幸せだったのではないだろうか。

知らない土地で、新しい家をもらったとしても、彼女の心がそれで満たされた、幸せになれたとは到底思えない。

せめて一緒に暮すという選択をしていれば・・・


結局、佐藤がやったことは、誰一人として幸せにはできていない。

そんな後味の悪さを感じつつ、僕はひたすら車を走らせた。

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