第六話 プレハブ小屋
翌朝、僕が事務所に到着するとすぐに、十六夜さんと中野さんの二人がやってきた。
昨日調べた最終的な位置情報をPCに表示して、二人に見せた。
それが龍哭ダムのそばの山中ということを知り、美幸さんが青ざめる。
そのそばで、十六夜さんが彼女の肩を抱いて励ましていた。
「念の為にお伺いしますが、重行さんがこの位置に何か用事があるということは?」
モニタを見ていた中野さんは黙って首を横に振った。
「ダム湖に何か用事があるということもありませんか?」
「全く聞いたこともありません・・・ただ、父の仕事・・・建設会社の仕事絡みで、何かあるかもしれませんが・・・」
20年前のダム建設の仕事を大島建設が請け負っていたことは間違いないが、20年経った今となっては関係はないだろう。
もしかしたら、ダムの補修工事などが新たに発生している可能性もあるのかもと一瞬脳裏をよぎった。
しかし、それなら会社のサーバーにアクセスした時点で、それらしい情報が出てくるだろうし、会社の仕事であれば、業務指示なりの痕跡が残っているはずである。
重行さんの業務日報などには、そんな情報は記載されていなかったので、会社の業務関連でダムへ向かったということはないだろう。
「おそらく、会社の仕事関連で、この場所へいったのではないと思います。」
「では、一体何のために、父はこんな山の中へ行ったのでしょうか?」
美幸さんは非常に不安そうな顔で、こちらを見つめた。
「用がないとすれば、お父さん自身がこの場所へ行ったとも言えないかもしれません。」
「それは一体どういう意味でしょうか?」
「あくまで例えばの話ですが、何者かにスマートフォンと一緒に荷物を盗まれて、それを盗んだ犯人が、山中に不要物として廃棄したとか・・・」
「なるほど、そういうこともあり得るんですね。」
美幸さんが少しでも気が休まればということで、可能性としてはかなり低いが、最も安心できそうな推測の一つを伝えた。
「とりあず、僕と総一は一度現場に向かってみようと思います。」
「それなら、私たちもご一緒します。」
美幸さんの気持ちを代弁するかのように、十六夜さんが声を発した。
「いえ、現場は地図を見る限りでは道路からすこし離れた道のない山の中です。女性が行くには厳しい道程だと予想されます。」
「でも、父がいるかもしれないなら、行って理由を聞かせてほしいです。」
今度は美幸さんが悲痛な叫びを上げる。
「申し訳ございませんが、現場にもしお父さんがいなかった場合、わずかな手がかりでもつかみたいのです。そのためには、早急に現場に到着して調べる必要があります。あなた方をお連れすると、その分調査する時間が短くなってしまいます。」
調査時間を少しでも長く取りたいからと丁寧に説明する。
「お父さんが見つかれば、すぐにお電話を差し上げて、お連れしますので、ご自宅でお待ちいただけませんか。」
美幸さんは最後まで同行することを希望した。
しかし、最後は十六夜さんの説得もあって、何とか納得してもらった。
それからほどなくして、事務所にやってきた総一をそのまま捕まえて、僕は現場へと向かった。
もしかしたら、車を止める場所がないかもしれないので、現場近くまでは総一のバイクで向かうことにした。
僕は総一が運転するバイクの後ろに同乗した。
現場は事務所からはバイクで30分ほどの距離だった。
山の中の狭い林道を抜けると、広いダム湖が一望できる道に出る。
山道はそのままダム湖の周囲をぐるりと回るように続いている。
ダム湖の湖面には、数艘のボートが出ているのが見えた。
スマートフォンの位置情報が途切れた場所に一番近い道路脇にバイクを止めた。
「ここからは歩きだな」
かぶっていたフルフェイスのヘルメットを脱ぎながら総一がつぶやいた。
ルートを確認すると、昨晩確認した通りで、山の斜面を降りていく必要がある。
見た感じ人が通れるような通路もないので、ここから下るのはなかなか骨が折れそうだ。
山道から現場までは見た目通りで道らしい道はなかった。
下草や灌木で生い茂った山の中を分け入るようにして進む必要があった。
長い間ここには人が入った形跡はないので、果たして本当にこんなところに重行さんが入り込んだのか確証が持てなかった。
まもなくスマートフォンの信号が最後に発せられた位置というところに到達して、すこし開けたような場所に出ることができた。
さらに、現場へ近づくと、すこし先にプレハブ小屋が見えてくる。
「あんなところに小屋があるぞ。」
総一もプレハブ小屋に気づいて、僕に声をかけた。
「ここからはすこし慎重に進もう。」
もしかしたら、重行さんが何者かにプレハブ小屋で監禁されている可能性も考えられる。
そうなれば、監禁した人物の目的が分からない以上、下手に刺激すると最悪の事態にも発展しかねない。
僕たちはすこし離れた位置に隠れて、プレハブ小屋の様子を伺った。
外観を見る感じでは、立てられてかなり経過しているように見受けられる。
そもそも、何のためにこんな山の中の何もないところにプレハブ小屋が立てられているのか、目的が全くわからない。
木材採集のためであれば、近辺に材木が積み上げられたりして、何等かの痕跡があると思うのだが、それらしいものは見当たらない。
広さとしては、4m×6mぐらいで、窓も各面に備えられている。
ただ、窓はすべて内側から段ボールが張られていて、遠くからでは中の様子は確認できない。
スマートフォンで位置を確認すると、重行さんが最後に消息を取った場所は、あのプレハブ小屋で間違いはなさそうである。
しばらく様子を見ていたが、扉から人が出入りする様子は見られない。
僕と総一は、もう少しプレハブ小屋に近づいてみることにした。
扉の方から近づくと、誰かが出てきた際に鉢合わせになる可能性を考えて、扉のある面とは反対側から近づく。
近づく間も、中から人の気配は感じられない。
プレハブ小屋のすぐそばまで近づいたので、壁にそっと耳を当てて、中の音を聞いてみる。
しかし、耳をそばだてても、中から何の物音も聞こえない。
周囲から聞こえるのは、林の中を飛び回るヒヨドリなどの野鳥の鳴き声ぐらい。
僕たちは再び扉の方へ回り込んだ。
そして、僕が扉に手をかけて、総一がすぐに扉の中へ突入できる体制を取る。
総一が体を緊張させ、僕の合図を待っている。
僕はドアノブをそっと回したあと、一気に扉を引いた。
扉には鍵がかかっておらず、すぐに開いた。
扉が開いた瞬間に、総一はプレハブ小屋の中へと滑り込むようにして、入り込んだ。
僕も総一のすぐ後ろに続く。
しかし、プレハブ小屋の中には、人の姿は全くなかった。
中央にテーブルが1つだけ置かれていて、周囲の壁に沿うようにしてたくさんの棚が並んでいた。
棚にはよれよれになった段ボールや、古いヘルメット、軍手などが放置されていた。
どうやらここは元は物置小屋として使われていたらしい。
ほこりをかぶったヘルメットを手に取って見ると、顎ひもの部分が切れていた。
そいて、ヘルメットには『大島建設』という文字が印刷されている。
プレハブ小屋の劣化具合や、置かれている道具などをいると、このプレハブ小屋はダム工事の際に使われていたもののようだった。
ただ、その小屋の机の上には、いくつかまだ新しいコンビニの袋があり、その袋の中には食べ物のゴミなどが入っていた。
袋のかずが5つ以上あることから、つい最近ここに人が来て、しばらくはここに滞在していた事をうかがわせる。
プレハブ小屋の床面も、ほこりが積もっている場所と、足跡で踏み荒らされた場所が見受けられる。
見た感じ、足跡はすべて同じもののようで1種類しかない。
おそらくここにいたのは1人だけだと推測できた。
さらには、机の上にはゴミの他に、食べかけのお弁当も置かれていた。
どうやらここにいた人物は、なんらかの事情で、食事中に慌ててここを出て行ったと思われる。
僕は机の上に放置されていたゴミが入っていたコンビニの袋を1つを取って中身を確認する。
運が良ければ、アレが見つかるかもと思いつつ、袋の中をガサガサと探す。
すると、底の方に入っていたレシートを見つけることができた。
さらに他の袋も順番に開けて、すべての袋の中からレシートを発見することができた。
レシートの日付を確認してみると、どうやら2日前まではここにいたことが分かった。
レシートの発行店舗はすべてバラバラだったので、毎回違う店で食料を調達していたらしい。
「一足遅かったみたいだな。」
僕が取り出したレシートを確認していた総一がつぶやく。
「ここにいたのは、重行さんかな?」
総一が疑問を口にした。
「この小屋の古さを見る限り、おそらくダム工事の際に使われていたものだろう。そうなれば、ダム工事で現場責任者の一人だった重行さんがこの小屋の存在を知っていた可能性は高いだろう。」
これは、あくまで状況からの推測でしかない。
この小屋の存在を知らない限りは、こんな場所に人が入り込むことはほとんどないと思える。
「とりあえず、このレシートの店舗に行って、聞き込みをすれば、ここにいた人物が重行さんかどうか、判明するだろう。」
「分かった。ここを出たら早速、俺が当たってみよう。」
総一は体力仕事は自分の分野と思ってくれているので、足を使った仕事は積極的に担当してくれるので僕は助かっている。
「もし重行さんだとして、そもそも、なんでこんなところに滞在していたんだろう。」
「おそらく、あまり人目につきたくなかったんだろうとは思う。ただ、その事情については、まだわからないところだが・・・」
もし、いたのが重行さんだとすると、なぜここにずっといたのかが分からない。
逆に、重行さんではない人物がここにいたとしたら、重行さんのスマートフォンをどうやって手に入れたのか。
もしそれが、強硬手段で手に入れられたものだとなれば、今度は重行さんの安否が心配になってくる。
「あと、疑問なのは、なぜ2日前にここを出て行ったのかという点だ。しかも食事の途中で慌てて出て行かなければならなくなった理由。」
「でも、足跡は一人のものだけっぽいから、誰かと争ったというわけでもないんだよな?」
そう、足跡は見た感じ確かに1人だけ。
ここにいた人物が、誰かに襲われたということはなさそうだ。
「会社の横領事件の犯人が重行さんで、バレたと思って、ここに隠れていたとか?」
「もし横領したのが重行さんだとして、ここにいたのも彼だとしたら、おそらくこんなすぐ近くに潜伏したりはしないだろう。」
横領した額を考えれば、この街から脱出して、海外へでも飛ぶ方が安全だ。
「そこは、美幸さんがいるから、一緒に逃げるための機会を伺っていたとか?」
それは確かにないとも言い切れない。
ただ、それなら、もっと迅速に行動を起こすだろう。
失踪してから約1週間もの間、家族に一切連絡しないということは考えにくい。
では、重行さんではなく、スマートフォンを入手した誰かだったとしたら・・・
誰かに追われていて、その追っている人物に見つかりそうになったからここを出たという線が考えられる。
いずれにしても、重行さんのスマートフォンが最後に示した位置がこの小屋である。
重行さんのスマートフォンが見つかれば、その通話記録やメッセージなどから、足取りがつかめる。
その後、二人で手分けして小屋の中を探してみたが、結局スマートフォンは見つからなかった。
やはり、ここに滞在していた人物とともに、スマートフォンは持ち去られたのだろう。
「とりあえず、小屋の中にもう手がかりはなさそうだ。外に出て、周囲をもう少し調べてみよう。」
僕はそう言いながら、小屋の外へと移動する。
外に出ると、さっきは小屋にばかり注意していたせいであまり気にしていなかったが、想像以上にダム湖の湖面まで近いことが分かった。
しかも、小屋のすぐそばから伸びた道路が、なだらかな下り坂に沿って湖の中へとつながっている。
やはりこの小屋はダム湖ができる前、ダム工事の際には現場作業員の詰所も兼ねていたのだろう。
山道からここまでの険しい道に比べ、湖面までの道のりの方がはるかに近い。
もしかしたら、ここにいた人物は、ボートか何かで湖面からこの小屋へやってきたのかもしれない。
そんなことを考えながら、ダム湖を見渡してみると、湖面に何艘かのボートが出ているのが見えた。
確かこのダムはこの町の水源のはずなので、遊覧船などは運航されていないはず。
どの船の上にも4人から5人ぐらいの人が乗っている。
こんなにボートを出して、何をしているのだろうとさらに船をよく見ると、ほとんどの船に、何か機械のようなものを積んでいるのが見えた。
そのうちの一艘に、今まさに機械を使って、湖面にドローンを下ろそうとするところが見えた。
ということは、ドローンを使って、ダム湖の何かを検査しているのかもしれない。
そういえば、ダムにも定期検査が義務付けられていて、数年に一度は、ダムの検査を行わないといけないと聞いたことがある。
ということは、出ているボートは、ダムの検査用のボートということなのだろう。
普段であれば、ボートが湖面に出ていることはほとんどないので、不審なボートがいればすぐに発見される。
しかし、湖面にこれだけの検査用のボートが出ているとなると、検査とは関係のない一般人の乗ったボートがいたとしても、気づかれにくい。
まさに、タイミング的には、この小屋に潜伏するのはうってつけだったということだろう。
「俊弥、ちょっとこっちに来てくれ」
総一に声をかけられて、我に返った僕は、呼ばれた方へと向かった。
僕が近づくと、総一は地面にかがみこんで、何かを確認しているところであった。
「何かあったのか?」
僕が声をかけると、総一がこちらを見て、手で地面をさしている。
僕もすぐ横にしゃがんで、総一が示した地面を確認する。
湖面との境界付近に広がる灰色の泥のような地面に、複数の足跡が見られた。
確認してみると、足跡の種類は3つ以上見られた。
小屋にいた人物以外に、ここに複数の人間が来ていたらしい。
足跡は湖の中にも見られることから、ここに来た人物は、湖の方から上陸してきたと見て良さそうだ。
よく見ると、深い溝のようなものも、湖面からまっすぐにその足跡が集中している付近まで伸びている。
おそらくボートを上陸させた跡だろう。
「どうやらここに、ボートでここに上陸した人間が3人以上いたようだな。」
「ああ、そのようだな。しかもその中には、もしかしたら河童が混ざっていたかもしれないぞ。」
総一が真面目な顔で言うので、何をバカなと思いつつ、総一が示した足跡を見る。
そこには、扇状に広がった3本の深い溝と、その溝の間に水かき状の浅い跡があり、言われてみれば河童の足跡っぽく見えないこともない。
「いや、これはただの水泳用のフィンの跡だろう。」
河童など実在するはずがないので、普通に考えればそうなる。
「そうかなぁ。」
総一は、よほど河童の存在を信じたいらしい。
まぁ、人に害をなさないなら、総一のためにも、河童ぐらいいても面白いかもしれない。
そんなことを考えながら周囲を確認していた時、ぬかるんだ地面の中に何やら金属の塊を発見する。
泥の中に埋もれるように落ちていたそれを、拾い上げてみると、それはナイフであった。
「なんでこんなところにナイフが?」
僕が拾い上げた塊を見て、総一が話しかけてくる。
ついていた泥を湖の水で洗い流してみると、形状が少し特殊であった。
サイズとしては、全長で20センチぐらい、刃渡りは8センチぐらい。
グリップの部分は少し太めで、ブレードの根本近くにラインカッターとしての凹みがある。
ブレードバックにはセレーションが入っている。
「ダイビング用のナイフか?」
「多分、そうだろうね。腐食なども見られないから、おそらくここに来た人物の持ち物だろう。」
グリップの部分には『S.M』という文字が記されていた。
僕はとりあえず証拠品として、回収しておくことにした。
複数の人間の足跡に、水泳用フィンをつけた人物までいる状況。
足跡の重なりがバラバラに交じっている以上、かれらはほぼ同時にここにいたことになる。
彼らは一体ここで何をしていたのだろうか。
もしかしたら、小屋に滞在していた人物は、彼らに連れ去られたのだろうか。
それとも彼らを見て、小屋を去ったのだろうか。
しかし、プレハブ小屋から湖面までの距離を考えると、彼らに気づかれずに湖面へ出ることはできそうにない。
彼らを見て去ったとすれば、山道の方へ行くしかない。
山道からここまで歩いてきたが、最近人が通ったような形跡はなかった。
となると、連れ去られたか、合流したかのどちらかの可能性の方が高そうだ。
多くの疑問は残ったものの、周囲にこれ以上の手がかりはなさそうであった。
僕と総一は、再び元来た道を戻って、事務所へと戻ることにした。
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