第四話 スナック
大島建設を出た後、駅前にある『スナック翠』へと向かったが、昼前ということで店はまだ開いてなかった。
扉は木製で、窓なども見当たらないので、中の様子はうかがえない。
一応、扉をノックしてみたが、中に人の気配はなかった。
まぁ、スナックなので、昼間に開いているとは思えなかったが、念のために立ち寄ったのである。
仕方なく、重行さんの普段の行動や出張から戻ってきてからの足取りを追って、目撃情報を集めるために夜まで奔走したが、結局新しい情報はつかめなかった。
夜になって、再び『スナック翠』へと向かい、看板に明かりが灯っているのを確認して、お店の扉を開いた。
店の照明は暗めで、カウンター席とテーブル席が2つしかない小さなお店だった。
すでに先客がいるようで、カウンターの奥の席に1人、奥のテーブル席に3人。
暗いのであまり顔は見れないが、テーブル席の3人はどうやらサラリーマンのようで、店の中でそこだけがすこし騒がしい。
カウンターの中には女性が一人立っていて、どうやら1人でお店を切り盛りしているらしい。
「いらっしゃいませ。」
カウンターの中から艶やかな声が聞こえた。
俺は一番手前の席に座った。
「お兄さん、初めてのお顔ね。何飲みます?」
注文をとりに来た女性を見ると、年の頃は30代後半から40代ぐらいに見えた。
少し暗めの店内で、化粧も濃い目だったので、もしかしたら年齢を読み間違えている可能性は高い。
髪を頭の上の方でお団子状に一つに束ねており、体中から妖艶な雰囲気を醸し出す。
「ジンかウォッカは置いてますか。あれば、それをロックでお願いします。」
ウィスキーやバーボンあたりが定番なのだが、俺はどうもその辺のアルコールの香りが苦手だったりする。
「ジンでいいかしら。」
そう言って、カウンターの奥に向かっていく。
しばらくして、大きめの丸い氷と透明な液体が入ったグラスを手に戻ってきた。
「どうぞ。」
俺の前にグラスを置き、こちらを値踏みするかのようにじっと顔を見つめてくる。
「ちょっと聞きたいんですが。」
ちょうどいいタイミングを見計らって、女性に声をかけた。
「何かしら。」
「あなたがこのスナックのママということでいいのかな?」
「ええ、そうだけど?」
「この男性に見覚えは?」
そう言って、スマートフォンを取り出して重行さんの写真を表示し、机の上に置いた。
「んー。何度か来てくれてるお客さんね。」
「名前を覚えてたりはるか?」
「たしか、ナカなんとかさん。中村・・・、中山・・・」
写真を見ながら、名前を思い出そうとしている。
演技しているようには見えないので、あまり面識がないのかもしれない。
「この人は中野さんと言うんです。」
時間がかかりそうだったので、助け舟を出す。
「ああ、確かに。中野さんて呼ばれてたような気がするわ。」
ようやく名前がしっくり来て、彼女の表情が少し和らいだ。
「何よ。知ってるなら、先に教えてくれてもいいじゃない。」
彼女は少し拗ねたような表情を見せた。
コロコロと変わる表情が、俺との歳の差はかなりあると思うが、チャーミングに思えて見ていて飽きない。
「この人のことを少し聞きたいんですが。」
「あなた、刑事さんか何か?」
少し訝しそうな顔をして、こちらの出方を伺っている。
「いや、警察関係ではないけど、この人のことを調べる依頼があって。」
「こんなところにくるということは、浮気調査か何かかしら?」
「そう言うわけでもないんですが・・・」
俺は、 行方不明になっていることを伝えるべきかどうか迷っていた。
「まぁ、いいわ。何か事情があるんでしょうから、詳しくは聞かないでおくわ。」
俺が少し困っている様子を察知して、彼女が助け舟を出してくれた。
「でも、何度か来てもらってるのは覚えてるけど、名前もうろ覚えだから、知りたいお話ができるかは分からないけど・・・」
彼女が演技をしていない限りは、重行さんの名前を思い出すのもおぼつかない状態だった。
となると、彼女との交際関係の線はなさそうだ。
「最後に来たのは、いつ頃か覚えてますか?」
「どうかしらねぇ。1ヶ月以上は経ってるんじゃないかしら。」
「来た時には、一人だった?」
「いいえ。この方はいつも数人で来られていて、一人で来たことは一度もなかったと思うわ。直近できた時は、確かお連れさんが一人だけだったかしら。」
「その時に一緒だった人の風貌を教えてもらえませんか。」
「そうねぇ、メガネをかけていて、スーツ姿・・・といっても、この方もいつもスーツ姿しか見たことがないわね。」
記憶の糸を手繰り寄せつつ、彼女がその時の様子を思い出そうとしている。
メガネ姿ということは、もしかしたら先ほど会社で話を聞かせてくれた佐藤かもしれないと思い、彼の見た目の特徴を伝えてみた。
「そうそう、そんな感じの人だったわ。確か、同じ会社に勤めているとか言ってたような気がするわ。」
となると、重行さんは佐藤と一緒にここへ来たのが最後ということになる。
失踪当日には、ここには来ていないようだ。
「その時にどんな話しをしていたかとか、分かりませんか?」
「そう言われてもねぇ・・・」
彼女なりに思い出そうとしてくれているのだが、やはりそこまで記憶にないようだった。
「そうだわ。ちょっと常連さんに聞いてみるわ。スマホ、ちょっと借りるわね。」
そう言うと、俺のスマホを持って、カウンターの一番奥に座っていた人のところへと持っていった。
そして、しばらく奥で会話していた後、彼女が再び戻ってきた。
「おまたせ。奥にいる常連さん・・・マーさんって言うんだけど、あの人が覚えてくれていたわ。なんでも、20年前にお仕事を少しご一緒したって。」
20年来の知り合いとなれば、それはぜひ話を聞いておきたい。
「席を移って、少し話を聞きにいってもいいですか?」
「ええ、どうぞ。」
彼女の許可を得て、俺はカウンターの奥へと移動し、『マーさん』と呼ばれた男の隣に座った。
『マーさん』は少し煩わしそうな顔をして、俺の方を見た。
「こんばんは。少しお話いいですか。」
「さっき見せられた写真、中野さんの件だろ。ママのお願いだから聞いてやるよ。」
話を聞かせてもらえる許可をとった後、俺はママに頼んで『マーさん』の空になっているグラスにお代わりを注文した。
「早速ですが、20年前にお仕事をご一緒したと伺ったんですが?」
「ああ、この町にあるダムの工事の時に、何度か見かけたなぁ。」
この町には大きな貯水用のダムがあるが、おそらくそのことだろう。
建設現場の施工管理部門で働いている重行さんなら、たしかに工事現場にいてもおかしくはない。
「失礼ですが、お仕事は何を?」
「ダンプの運転手だよ。」
ママがグラスに琥珀色の液体を注いで、持ってくるとそっと『マーさん』の前に置いた。
「では、その時以来のお知り合いということですね?」
「まぁ、知り合いちゃぁそうだけど、その工事が終わってからは、20年近く一度も見てなかったからなぁ。」
どうやら、そこまで深い知り合いというわけではなさそうだ。
「お見せした写真は、結構最近のものだったかと思うのですが、20年以上お会いしてないのに、なぜ中野さんだとわかったんですか?」
何度か現場で出会った程度の知り合いを、20年も経った写真で果たしてわかるものだろうか?
「ああ、ひと月ほど前に、この店で会って少しだけ話をしたからなぁ。」
ひと月ほど前というと、さっきママと話をしていた佐藤と一緒に来た日のことだろうか?
「ちなみに、その時にはどんなお話を?」
「俺も中野さんのことをあんまり覚えてなかったんだが、中野さんが一緒に来てた奴と、たまたま20年前のダム工事の話をしているのが聞こえてな。」
「ついつい気になっちまって、俺もダムの工事現場で働いてたって話しかけたんだよ。」
この『マーさん』という男、どうやら社交的というか、人懐っこい性格のようだ。
「そしたらよぉ、中野さんがあの工事の現場指揮を担当してたって聞いて、ああ、そういえば何度か見たことがあるなぁっていう話になったんだ。」
「で、懐かしいからって、当時の思い出話で少し盛り上がってさぁ。」
こちらが促す必要もなく、次々と話をしてくれた。
「当時は忙しかったからか、現場で指示を出して偉そうに見えたんだが、話せばなかなかいい人でさ、最後には酒も何杯か奢ってもらったんだよ。」
なるほど、20年前の話に花が咲いて、さらにお酒を奢ってもらったとなれば、覚えているのは当然だ。
「で、中野さんに何かあったのかい?」
ひとしきり話終えた後、こちらの様子を探るように聞いてきた。
「いえ、ちょっと依頼があって、彼の人となりを調査しているんです。」
さすがに、行方不明になっているとは言わない方が良さそうだ。
「そうかい。なら、あの人はいい人だって、書いといてくれや。この
おそらくかなり酔いが回ってきているのか、『マーさん』は聞いてもいないのに、自分の名前を名乗った。
その後も何杯かお酒をおごりつつ、他に何か手がかりになるようなものはないかと話しを聞き続けていた。
しかし、酔いが回ってきているのか、徐々に呂律が回らなくなってきているのが見て取れる。
「ただよぅ、20年前の俺がやっちまったことは、悪かったと思ってるんだ・・・中野さんにも迷惑かけたかもしんねぇ。」
「工事現場で、何かあったんですか?」
「ほんとうに、すまなかったよぅ・・・」
そう言って、馬淵は酔い潰れてしまい、カウンターに突っ伏した。
「あらあらマーさん、また寝ちゃったのね。」
ママがやってきて、いつものこととなれた手つきで
小柄な馬淵の体を支えて、空いているテーブル席のソファへと連れて行く。
「ごめんなさいねぇ。この人お酒あまり強くないみたいで、酔っ払うと必ず寝ちゃうのよ。それで、寝ると朝まで起きないの。」
どうやら、ママにとっては、日常茶飯事のようである。
「スナックのママさんも、大変ですねぇ。朝まで付き合って待ってるんですか?」
「最初の頃はそうしてたんだけどね。最近では合鍵を置いて、先に帰るようにしているわ。」
どうやら馬淵はママにかなり信頼されているらしい。
「それで、マーさんから聞きたい話は、一通り聞けたのかしら?」
「まぁ、一応は・・・」
重行さんの話は、とりあえず聞けたが、手掛かりになるようなものはなさそうに思える。
ただ、彼が寝る直前に話したことが少し引っかかたので、ママに聴いてみる。
「さっき聴いたんですが、20年前の工事現場で、マーさんに何かあったかご存知ですか?」
彼女は少し悩んだ後、口を開いてくれた。
「以前少しだけ聞いた話だと、人を誤って轢いてしまったって。」
「人を? その方は大丈夫だったんですか?」
「いえ、亡くなったそうよ。それで、マーさんしばらく刑務所に入ってたらしいから。」
「どんな経緯でか、ご存知ですか?」
「残念だけど、そこまでは聞いてないわね。」
「そうですか・・・」
馬淵の話しではあるものの、重行さんもいた20年前の現場での事故。
何か些細な手がかりでも見つからないかともう少し詳しく聞きたかったが、当の本人はすでに眠ってしまっている。
「でも、私の勘だけど、多分中野さんの件とは関係ないと思うわ。」
「なぜ、そう思うんですか?」
「だって、マーさんは人を轢いてしまったことを後悔してて、一人で飲んでる時はたまに暗い顔をすることが多いけど、中野さんが来た時にそんな顔は見せてなかったと思うわ。」
「関係があるんだったら、話の最終にも暗い顔を見せていたと思うもの。」
スナックで多くの人と交流して、人間観察に優れているママの言うことなら、おそらくその通りなのかもしれない。
それに、20年前の工事となると、時間が経ち過ぎているので、さすがに今回の失踪とは関係がなさそうに思える。
彼女との交際関係の線もほぼ消えている以上、これ以上は話を聞いても進展はないと考え、俺はスナックを後にした。
「お兄さんいい男だから、今度は仕事抜きでまた来てくれると嬉しいわ。」
一人でスナックを切り盛りしているだけあって、しっかりと次へと続く営業トークは忘れないのがさすがだと感心した。
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