第2話 悪魔の力

 男たちは、それなりに整ったお揃いの装備を着ていた。どこかの組織に所属しているのだろうことが窺えた。


「んだ、てめえは。そのガキを庇い立てるってんなら諸共に殺してやるが?」

「そうだ、死にたくなけりゃそこをどけ」


 その言葉遣いにベルが顔を顰めたのを、彼らは気が付かない。そして、ベルから漏れ出る濃密な殺気にもまた、気が付かない。

 ベルは、ものも言わず、ゆっくりと男たちに歩み寄って、そして…


「『堕落之波気レイジーノヴァ』」


 中央の男に向けて、モヤのような波を打ち出した。それに直撃した男は、まるで糸の切れたマリオネットのようにがくりとその場に崩れ落ち、ぴくりとも動かなくなってしまった。

 その場にいた誰もが、理解の範疇を超える出来事だったためか、少女を含め、残った男もみじろぎひとつしない。


「これは僕の力でね、相手から完全に気力を奪い取るんだ。それこそ、息をするのも億劫に感じるほどにね」


 言うなれば、本能すら麻痺させる恐ろしい力。ベルはこの力を持って無意識領域から完全にを堕落させ、男を廃人にして見せたのである。基本的に精神攻撃や魔法の類に優れる悪魔の攻撃だ。そこらいる木端の人間に抵抗できる道理はなかった。


「あ、あの、殺しちゃったの…?」

「いや、生きてるよ。もう二度と日の目を見ることはないだろうけど」


 実際は、呼吸すら忘れ、弱々しく心臓が微弱に血液を送り出しているだけなので、もう後数十分もしたら死ぬだろうが、それは口にしないベルである。

 なんてことないというふうに、ベルは少女に答える。その態度に、目の前の青年はしっかりと悪魔であることを、少女は改めて認識した。そして、自分の呼び出した者の存在が規格外であることも悟ってしまうのに、そう長く時間は要さなかった。

 けれどもすでに悪魔は顕現を終えてしまったので、後悔しても遅いのだが。


「ひっ!べ、ベルトラム伯爵家の者に手を上げたなっ!これは許されないーー」

「そういうの僕には関係ないかな。はい、『堕落之波気レイジーノヴァ』」


 残った男のうちの一人が、権力を盾に命を乞おうとしたが、生憎と悪魔であるベルには人間の身分などは関係ない。瞬く間にその男も廃人と化した。

 残りの一人も目の前の青年ベルには勝てないとわかったのか、悲鳴を上げながら踵を返して平屋から出ようと試みた。だが、それを許すベルではない。一瞬のうちに入り口まで先回りし、波動を当てて、最後の一人も廃人にしてしまった。


「ふぅ、おしまい。あ、そういえば君さ、この人間たちに追いかけられてたみたいだけど、他にいる?」

「え?あ、い、いないと思います…」


 ベルは少女を振り返り、そう聞く。少女はかなり怯えてしまったようで、声をかすかに震えさせていた。ベルは申し訳なく思い、そっと少女に寄っていって、『ごめんね』と口にした。


「そういえば、君の名前聞いてなかったね。あ、こういうのは僕から名乗ったほうがいいのかな?えっと、僕の名前はベルフェゴール。気軽にベルって呼んでね」

「え…あ、わ、私、ニーナって言います…」


 少女ーニーナは、ベルの名乗りに対してオドオドしつつもちゃんと答えてくれた。というよりも、恐怖でそうしないといけないという強迫観念があったからかもしれない。

 ベルに契約主を害するという考えはないし、むしろ好印象を得ているので、その怯えはあまり意味のあるものではないが、自意識というのは簡単には変わらないから仕方がない。これから、ゆっくりとほぐしていけばいい、ベルはそう思い、ニーナの方に歩み寄っていく。


「ひっ」


 ニーナの元まで行ったベルが手を伸ばしたのを見て、ニーナが短く悲鳴を上げる。


「よく頑張った。ニーナは偉いねぇ」


 伸ばされた手はニーナの頭をゆっくりと撫で、どこまでも優しい声音でベルはニーナを褒めた。前世、精神的に病んでしまった子に対して、ベルはいつもこのようにして落ち着かせていたのだ。まあ、その子が『自分』を裏切ったんだけど、と心の中でつぶやいた。


「ふぇ…」

「よしよし。もう君には僕がついてるから、何も心配しなくていい」

「ベルっ…私、わたしぃ…!」

「今はたくさん泣いて、辛かったこと全部吐き出そう」


 宵も更け、森には梟の鳴き声が響き渡る。少し陰り気味だった月を遮るものは、もう何もなかった。




「もう少しだけ…こうしていたい…」


 空が白んできた頃、あの小屋の中には、もはや心臓すら止まった3人の男と、ベル、そして、ベルにひしと抱きつくニーナの姿があった。

 ニーナは粗方泣き晴らしたあと、今の今までベルにぎゅっと抱きついていた。そこには警戒心などはとうになくなっていて、ただ信頼だけがあった。ベルからすれば結構時間をかけて警戒をほぐそうと考えていたので、嬉しい誤算であると言えた。


「でももう日も昇っちゃったし、新しい追っ手が来たら面倒だよ?」

「…そうだね…じゃあ、帝国までいこう」


 そのあと、ニーナが小声で『そこでもっとベルに撫でてもらおう』と呟いたのを聞き逃すベルではないが、触れないでおく。


「ところで、なんで追っかけられてたの?」


 あまり踏み込んで聞くのはよろしくはないが、そこの情報は共有しておいた方がいいと考えたベルが尋ねる。その質問を受けて、ニーナは少し戸惑う素振りを見せたが、ぽつりぽつりと話し始めた。

 それによると、どうやら、昨日追っ手の男が言っていた、ベルトラン伯爵なる貴族の子息が自身の横領を隠すためにニーナに罪を擦って街を追放したようだ。しかも、ターゲットにされた理由が、その子息が命じた夜伽を断ったからだと言う。


「はあ、人間っていうのはつくづく終わってるねぇ」

「ごめん…」

「ああ、ニーナは違うってわかってるから」


 辛そうな表情を浮かべたニーナを慰めるため、ベルはぎゅっとニーナを抱きしめ、そのあと、頭を撫でくりまわした。

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