あれ

春斗瀬

あれ



「嗚呼、あれが来る……あれが来るんだ! 

 お前も知っているだろう、あれが来るんだ!


 おれはもう、それに抗うことはできない。ただ渓流を流れる落ち葉のように、恙なく進行する完結的な結末に向かって、その身を捧げることしかできない。お前とは違って、運命という気の触れた異端者に反逆することは、もうできないのだ。


 おれがそれに出会ったのは、何の変哲もない商店街の大通りを歩いている時だった……。

 いかにも超然としたその黒い姿が、霹靂とした思考に差す青白い光となって、まるであるべきものがあるべきところへ返還されるような感じで、おれの脳味噌を侵食してきた。

 体は泡立ち、両手足から力が抜け、影の蠢く気配に全神経が警鐘を鳴らしていた。裏路地ともいえるその細く不気味な通路から、それは見ていたのだ!

 視線を受けた私は、居ても立ってもいられなくなって、他の通行人の目など気にする余地もなく、ただ一心不乱に駆け出した。懺悔を求める心が教会の残像を視認させ、気が狂うほどの闇が世界の全てを包み込むように蔓延っていた。逃げられないのだ!


 嗚呼、危うい。危うい!

 それを目にした瞬間、全ての人々は凍り付き、全ての思考を捨て、全ての過去を懺悔するだろう。それは君とて同じことだ。あれを前にして、平然で居られるものがあるだろうか!


 嗚呼、来る、来るぞ!

 その霊妙な手つきで、頸元を掠める冷気を以て、全ての人々の、ありとあらゆる人生を脅かすように……。


 やめてくれ、やめてくれ!

 俺はまだ、あれに捕まるわけにはいかない!


 逃げなくては、逃げなくてはならない!

 すべてを犠牲にしてでも、あの冷ややかで痩せ細った手のひらから!」





 そう言って男は、高さ二十メートルはあるだろう橋の、下に流れる河川へと身を投げた。



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あれ 春斗瀬 @haruse_4090

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