第5話 土曜の夕方
土曜日の夕方。西陽がリビングの窓から差し込み、部屋全体を暖かなオレンジ色に染めていた。七瀬紗月はダイニングテーブルでカフェオレを片手に、ぼんやりと夕陽を眺めている。猫たちはそれぞれ思い思いの場所で過ごしていたが、その中で特に活発だったのがカマだった。
カマはテーブルにひょいと飛び乗り、何かをじっと見つめていた。
「ニャ……?」
彼の視線の先には、紗月が飲みかけていたペットボトルがあった。透明なボトルが西陽を反射し、小さな光の点が壁に映り込んでいる。
「何してるの、カマ?」
紗月が少し笑いながら声をかけると、カマは一瞬彼女を振り返り、「ニャ」と短く返事をして再び光に集中した。
カマはその光に向かって前足を伸ばし、そっとタッチしてみる。だが、壁の光は何事もなかったかのように消えることなくそこにあった。
「不思議だニャ……動かないのに、そこにいるニャ。」
カマは少し首を傾げて考え込む。そして再び前足を大きく振り、壁の光を追いかけるようにピョンと飛び跳ねた。
反射して動く光は、カマの動きに合わせて壁を滑るように移動する。それに気づいたカマは、しっぽを高く掲げながらさらに熱心に光を追いかけ始めた。
「どこに行くのニャ!逃がさないニャ!」
カマの声は少し興奮気味だ。壁に映る光の点は、彼の目にはまるで生き物のように見えるのだろう。
「ふふ、カマったら、ほんとに好奇心旺盛なんだから。」
紗月はテーブルに肘をつきながら、その光景を眺めていた。カマの動きに合わせて光が跳ね、壁際を走り回る彼の姿はどこか滑稽で、思わず笑みがこぼれる。
「もっと追いかけるニャ!」
カマが勢いよく壁に向かって飛びつくたび、小さな音が部屋に響く。その度にペットボトルが少し揺れて、光がまた別の場所へと移動する。
少し離れた場所で寝そべっていたフドは、カマの動きに目を細めていた。
「なんでそんなに元気なんだプゥ……俺なら絶対に疲れるプゥ。」
そうつぶやきながら、彼はまたごろりと体を横たえた。
一方、窓際でくつろいでいたツンは、しっぽをゆっくり揺らしながら言う。
「カマってほんとに子どもっぽいダカラ……でも、まぁ、楽しそうでいいダカラ。」
光が消えたあと、カマが夢中で追いかけていた光は、陽が沈むにつれて徐々に薄れていった。やがて完全に消えると、カマはきょとんとした顔で壁を見つめる。
「消えちゃったニャ……どこに行ったニャ?」
彼はしばらく辺りを探していたが、諦めたようにテーブルの上に丸くなった。
「また日が差したら会えるよ、カマ。」
紗月がそう言ってカマの頭を撫でると、彼は満足そうに目を細め、軽く喉を鳴らした。
夕陽が完全に沈み、部屋が静けさを取り戻す頃。紗月はカマの子どもっぽい仕草に癒された。
紗月は久しぶりに友達との夕食の約束があった。普段は仕事の疲れで休日も家にこもりがちだが、今日は少しだけ外の空気を吸う気分になれた。
クローゼットを開けて服を選びながら、紗月はソファにいる三匹の猫たちに目を向けた。
「フド、カマ、ツン、今日はお留守番お願いね。」
その声に反応して、フドがふわっと顔を上げる。
「えー、どこ行くのプゥ?」
フドはしっぽを振りながら近づいてくる。
「友達と夕ご飯だよ。あんたたちのご飯はちゃんと準備していくから大丈夫でしょ。」
紗月がそう言って笑うと、フドは少しむくれたような顔をして「そうだけどプゥ……」とつぶやいた。
一方で、カマはすぐに紗月の足元にまとわりついた。
「出かけるのニャ?行っちゃうのニャ?」
甘えた声をあげながら、彼は紗月の足元にスリスリと体をこすりつける。
「もう、カマったら。本当に甘えん坊なんだから。」
紗月はしゃがみこんでカマの頭を撫でた。
「すぐ帰ってくるから大丈夫よ。いい子にして待っててね。」
カマは少し不満げに「ニャ……」と声を漏らしたが、しぶしぶ納得したようにその場に座り込んだ。
ツンは窓際のキャットタワーに座りながら、冷静な目で紗月を見ていた。
「また帰りが遅くなるダカラ。」
そう言いたげな視線を送る彼女に、紗月は苦笑いする。
「そんなに遅くならないから、ツンも心配しないでね。」
そう声をかけると、ツンは一瞬だけ顔をそむけたが、しっぽを軽く揺らしながら窓の外を見つめ続けた。
紗月はコートを羽織り、鞄を肩にかけると、三匹に向かって手を振った。
「じゃあ、行ってくるね。お利口にしててよ。」
フドは少し拗ねたように「はいはいプゥ」と言い、カマは「早く帰ってくるニャ」と声を上げる。ツンは最後までそっぽを向いていたが、紗月がドアを閉める直前に「気をつけてダカラ」と小さな声でつぶやいた。
紗月が出かけた後、部屋はいつもより静かになった。フドはしばらく窓のほうを見つめていたが、やがてカリカリの皿に向かう。
「まぁ、ご飯があるならいいプゥ。」
カマは玄関の前に座り込み、「まだ帰らないニャ……」と寂しそうにしている。一方で、ツンはクールな表情を保ちながらも、時々玄関のほうに視線を送っていた。
「ほんとに、みんな手がかかるダカラ……。」
ツンは静かにため息をつきながら、再び窓の外に目をやった。
彼女たちの大切な飼い主が、無事に帰ってくるのを待ちながら──。
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