4話 日常崩壊の兆し……?
今朝は目覚めの良い日だった。早々に昨日起こった出来事の振り返りをやめて正解である。あのままズルズル考え込んでいたら朝になっていただろう。正解の出ない問題は一度諦めた方が良い正解を導くに最適解である。
といっても考える必要もない出来事だと結論付けた。人生まだ七〇年以上生きていく中で些細なことだ。もっと大きな問題や出来事に局面した時、思考を働かせた方が良いだろう。
将来を見据えながら朝の身支度を済ませる。朝ごはんは基本的には食べていかないので眠気覚ましのインスタントコーヒーを流し込んでおく。1回だけ駅前に1個無料で配布していたエナジードリンクを代わりに摂取したことがあったが、甘ったるい独特の風味は自分の口には合わない代物だった。それならばカフェラテを飲んでいた方がいい。
ちなみに温めた牛乳共通事項だが、エスプレッソコーヒーと合わせたものがカフェラテ、濃いコーヒーと合わせたものがカフェオレである。
ドリンクバーでも使える豆知識は置いておいて、満員電車並みに混雑するエレベーターを避けるため、さっさと学校に向かう。
――崩壊の兆しはすぐそこまで近づいているとは知らずに。
◇
凪沙がその兆しを感じ取るまで遅くなかった。机に到着するなり一人の女性がいきなり話しかけてきた。
「昨日ナンパ撃退してくれてありがとうねっ! なんで声掛けたのに振り向いてくれなかったのー お礼したかったのにっ」
顔を上げると校内きっての美少女ギャル――
「言ったでしょ。お礼などされる筋合いはないし、ただ当たり前のことをしただけだって。急いでたからそんな時間もなかったんだよ」
「でも急いでたんだったらわざわざ助けに来ないでしょ」
痛いところを突かれた気がする。このギャル侮れないな。流石はコミュニケーション能力カンストしている能力なのか。
間髪入れずに澄玲はグイグイ話をしてくる。心なしか体の距離が近くなっている気がする。昨日かすかに香った甘ったるい香水はよりはっきり感じることができてしまう。
「凪沙くんってあの周辺住んでるの? あの周辺高級マンションだらけだよね。もしかしてお金持ちさんなの?」
人のプライベートに躊躇なく踏み込んでくるなこの人。適当にはぐらかすか……
「たまたまそこを通っただけであの周辺に住んでるって確定するのは違うだろう。今日朝一番から英単語の小テストあるが大丈夫か?」
「うあぁそうだった! 単語帳確認しないと――じゃなくて! なんで話をはぐらかすのっ」
自分の左肩をポコポコ叩いてくる。やめて甘ったるい匂いに酔ってきそうだから。
ふと周囲を確認してみたところ男子からの視線が非常に痛い。もう目で命を刈り取ってくるような勢いがある。一刻も早くこの状況を打開したい。離れたい。かくうえはこの手段しかないか。
「ちょっと先生に呼ばれてるから職員室行かないと。それでは」
「あっ、ちょっと待ってよ」
慌てる澄玲をよそに捲し立てながら速足でその場を離れていった。よしいつも通りこれでいいだろう。嘘をついているが少しも悪い気はしていない。嘘も方便とはよく言ったものだ。
しかし、距離が近すぎないか。たかがナンパから助けただけで彼女の中のヒーローになってしまったくらいの勢い、急激に好感度メーターが上がり勝手に友達認定されているのだろうか。自分でさえ異常なほどに気になってしまっている周囲の状況など気にしない。あの美少女ギャル恐ろしい子……!
なんて一昔以上前のアニメネタをパロディしながら朝のホームルームまで時間を潰す場所を探していた。
◇
「なんで懲りずに目の前にいるんですか?」
「別に目の前にいちゃいけない理由はないでしょー」
澄玲はキラキラオーラ全開の笑顔を自分へと向けてくる。あなたがいると男子の視線がきついんですよ……自覚ないんですか。無自覚にしているのであれば質が悪い。やはり恐ろしいなカースト最上位の存在というのは。
朝のホームルームが滞りなく終わり、そのまま一限目の授業へ突入、終了のチャイムが鳴った時には澄玲は目の前に佇んでいた。瞬間移動の持ち主かな?
「ねぇねぇ、土日とかの休みの日なにしてるの? あっ本屋のビニール袋持ってたから本好きなの? チラって見てたからそうなのかなぁって。私も本読むよーファッション雑誌とか」
それは本ではないだろう。雑誌って言っている時点で違うことに気付いてくれ。少し不機嫌気味に突っ込んでみた。
「それは本ではないだろう。活字じゃないのなら俺とは合わないな」
ここで二限目の始まるチャイムが鳴る。
聞くなり彼女は自分の席に戻るが、終わりのチャイムが鳴るとまた目の前に立ちはだかる。そして例の質問攻め&私のことを知ってくれアピール。
態度から察して、いい加減自分から離れてくれ。とウンザリしてきたが毅然とした態度で彼女をまたはぐらかした。しかし、効果が薄いものと見た。
正直ここまでやられているとウンザリ以上に腹立たしくなってきた。今まで自分が振ってきた女とはわけが違う。図太すぎる。こちらの事情なんかお構いなしだ。何故にここまで好かれてしまったのか。自分を知りたがっている。他人に興味や好感を持たない自分とは真反対の人間に。しかも校内屈指の美少女ギャルに。
日常を崩壊させるわけにはいかない。少々使いたくないが強引な手を使わざるを得ない。澄玲が楽しそうに話しているの見つつ、一息入れながら冷徹な目で彼女を睨みつけた。そして、周囲を凍り付かせるような低い声で言い放った。
「いい加減にしろ。あなたに興味も好感を微塵に感じていない。俺から離れろ」
興味本位で聞き耳立てていた周囲の人間は怯えていた。自分が思っている以上に気迫のある表情、声色だったのだろう。
澄玲はというと雷に打たれたように愕然としており、夢から覚めたような目つきで大きく見開いていた。
彼女をよそ目に四限目は理科室のため移動の準備を進める。
「これ以上は俺に関わるな。以上」
追撃の一言を言い浴びせ、理科室へと舵を切った。
これでいい。そう言い聞かせながら日陰で冷え切っている廊下を一人ゆっくりと歩いていった。
◇
五月に差し掛かる晩春の中庭。温暖化の影響のせいか例年よりも暑く感じる。羽織っていたブレザーはベンチの隅にきれいに折りたたんでいる。ネクタイを少し緩めることで外気を体の中に少しでも多く取り込むようにする。まだまだこの場所は使えそうである。先の話になるが梅雨に入った時の昼休みスポットをどうするか考えなければならない。空き教室があるか確認しておく必要があるな。
未来の心配をしながら、文字を目で追う。昨日買ってきた新刊のライトノベルを読みながら至福の時を楽しんでいた。
少し時間が経ったのか空腹の音が聞こえてきた。今日は無性に読書をしたい気分を抑えられなかったので昼ご飯を後回しにしていた。
「さて、弁当を……」
違和感に気づいた。弁当を机に置いてきたままだ。新作を読みたい気持ちが先行していたがために弁当の存在をすっかり忘れていた。今更取りに戻るのも骨が折れる。いっそのこと食べないほうが、さぞ午後の授業は捗ることだろう。しかし、授業が退屈な自分にとってはどちらでもいい問題だ。腹が減っているならここから近い食堂に行けばいい話だ。
読んでいたライトノベルを閉じ、食堂へと足を運ぼうとした瞬間だった。
「凪沙くん!」
自分を呼ぶ声がした。透き通る美しい声。
振り返ると早乙女澄玲が学校のシンボルでもある桜の木の下にいた。既に若々しく青みかかっている葉が茂っていたが、その時に限り満開の桜が咲き、花びらが散っている幻想が見える。
彼女はもう一度声をかける。
「お昼一緒にどうですか?」
曇りひとつない笑顔で自分の方に語り掛ける。
強く風が吹いたかと思えば、ピンクグラデーションカラーの長い髪が綺麗になびいていく。幻想を見ている自分にとって彼女の髪色とぴったりであり、不覚にも彼女に見とれてしまった。
その時感じた。
――早乙女澄玲は自分の日常を崩壊させてしまう導火線に火をつけたのだと。
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