第11話
家に帰り、少し仮眠。あれこれ言っておきながら、やはり慣れた自分のベッドは格別である。
ベッドへダイブした途端、意識が薄れていく。穏やかに過ごしたとはいえ睡眠時間は短かったし、多少は気疲れをしたのかも知れない。
ただああいう仕事なら大歓迎。週末ごとに通って、少しずつ周りを整備するのも悪くは無い。理想は急斜面を階段状にして、参拝客が少しでも楽に社まで行けるようにする事だ。
「ハッピー・ハロウィン」
鬼の面に馬鹿でかい出刃包丁と、わらで出来た蓑の衣装。紛れもないなまはげが、俺の部屋にいた。
「……突っ込みどころが多すぎて困るんですが」
「今日はハロウィン。私達の業界ではかき入れ時だよ」
「いや。今日は休みでは?」
「命様のお仕事はね」
手渡される、蓑と面。薄々は感付いていたが、俺もやる時が来たという訳か。
例のナスに乗って俺達が尋ねた先は、いつもの白鳥邸。
しかし今日は土蔵ではなく、屋敷の正面玄関へと向かう。
「大丈夫なんですか」
「さっきも言ったように、今日はハロウィン。アメリカではポピュラーな行事だよ」
「ここ、日本ですが」
でもって俺達は、なまはげの出で立ち。不審者以外の何者でもない。
「トリック・オア・トリート」
扉の隣にあるインターフォンに、そう言ってのける瞳さん。
なまはげに尋ねられて悪戯を選ぶ人がいたら、相当にマニアックだな。
少しして装飾のされた大きな扉が開き、瑞樹さんが日本刀を付き付けながら現れる。切っ先の触れた蓑がぽろぽろと落ちるので、間違いなく真剣だ。
「包丁と備前長船。どちらが優れているとお思いですか」
切れ味や人を切るという面においては、日本刀が上。ただ出刃包丁の無骨さは圧倒的な威圧感があり、これはこれで捨てがたい。
などと、喉元に切っ先を突き付けられながら考える事ではないが。
「大丈夫大丈夫。いらない物を持っていくだけだから」
「あなたいつもそう言いますが、この家にとっては」
「だったら悪戯しても良いの?」
瑞樹さんの胸元へ手を運び、その寸前で指だけをわさわさ動かす瞳さん。
そういう悪戯なら、俺も少し興味がある。
床に崩れ、ぐったりとする瑞樹さん。別に悪戯をされた訳ではなく、されると思っただけで精神的に参ってしまったようだ。
「ばうばう」
そんな彼女に寄り添い、ぺたりと座るベル。少し呼吸が浅く、疲れ気味に見える。
「調子悪いのかな」
「以前お話ししたように、もう年ですからね。のんびりと、やりたい事をさせるようにしています」
「ベル、調子どうだ」
「ばうばう」
若干弱めのトーン。
頭を撫でても反応は薄く、動きも頼りない。
「良くないのかな」
「今日明日どうという話ではないと、お医者さんは仰ってます」
静かに答えてくれる瑞樹さん。
今日明日ではないけれど、それ程長い時間は保証されていない。こればかりは、仕方のない事だ。
俺もベルの傍らに座り、その頭をそっと撫でる。
柔らかくて、暖かい体。瞳さんのそれとは違う、安堵感と愛おしさに包まれるような。
「お前、今何才だよ」
「ばうばう」
「分かんないな、それでは」
「ばうー」
「そうかー」
ベルの顎をくすぐっていたら、瑞樹さんにすごい目で見下ろされた。
どうも、俺が本気でベルと会話していると思ったようだ。
俺はそれなりに本気なんだけど。
「随分、ベルにご執心ですね」
「いや。多分、昔なじみだから」
「よこしまな感情を抱いていないでしょうね」
何か勘違いしてないか、この人。
感情も何も、俺はベルを好ましく思っているだけ。そこには人も犬も関係はなく、等しい愛が存在するだけである。
「何か楽しい事でも?」
この人、エスパーじゃなかろうか。
俺の言動から何を感じ取ったのか、結局正座。首元には、鞘に収められた日本刀を押し当てられるときた。
「何か仰りたい事は」
「いや。俺は何も」
「いやらしい」
何言ってるんだ、この人は。もしかしてベルを、妹みたいに思ってるのかな。
「俺はただ単に、ベルが元気になればと思って」
「よこしまな事は考えてませんね」
「いや。俺は人間だし、ベルは犬だし」
「犬だから、なんなんですか」
結構本気な顔で尋ねられた。なんだろう。俺が間違ってるんだろうか。
「とにかくベルは、私が面倒を見るから大丈夫です。それに元気が無い時は、これが一番ですから」
彼女はそう言って、小さな人形をベルの前へと置いた。
お下げ髪の女の子をかたどった少し古めかしいデザインで、ほつれでもしたのか右腕の部分には小さなピンクのリボンが巻かれている。
彼女の言う通りベルは前足を出して、その人形を自分の方へと引き寄せた。
「ばうばう」
「ご覧の通りです」
「確かに」
ただ目に見えて元気になった訳ではなく、あくまでも反応をしただけ。それは分かっているのか、瑞樹さんの表情も優れない。
「……ベルが行きたいところとか、好きな事とか。好きな食べ物は?」
「用意するとでも?」
「俺に出来るなら」
「遠くに出掛けるのは難しいですし、大抵の物は私も用意をしました」
体調を考えれば、旅行は無理。また白鳥家の財力なら、欲しい物の用意は言わずもがな。
俺に出来る事など、何もないのだろうか。
すると瑞樹さんは小さく手を叩き、俺の顔を見つめてきた。
「……昔、タケノコのお刺身を美味しそうに食べていた事はあります」
「タケノコか」
今は秋。冷凍物なら手に入るが、旬のタケノコを入手するのは不可能。春になるのを待たない限りは。
すぐにベルがどうなる訳ではない。ただ来年の春まで待てるのかは、今のベルを見ていると何とも言えない。
「分かった。何とかしてみる」
「どうやって」
「例のポイント。あれを使う」
「あ」
小さく声を上げる瑞樹さん。
俺だけのなら足りないだろうが、彼女は相当に貯めているはず。春を呼び込むのは不可能でも、タケノコを入手するには十分なはずだ。
瞳さんに話を聞こうと思ったが、全然戻ってこない。仕方ないので瑞樹さんの案内で、彼女が良そうな場所を探しに行く。
「いた」
探すまでもなく、すぐに発見。何故か、2階の廊下でうつぶせに倒れていた。
「……声、掛けないんですか」
「いや。そういう雰囲気ではなくて」
倒れているというより、明らかに悶絶。けいれんを起こしているように見える。
出来れば近付きたくないが、放っておく訳にもいかないか。
「大丈夫ですか」
「平気平気。はぅっ」
瞳さんは突然変な声を出し、悶絶し始めた。どう見ても平気では無さそうだ。
「タケノコが欲しいんです。掘りたての物を。ポイントを使って」
「1億ポイントくらい必要だけど」
「え。いや。タケノコですよ、タケノコ。竹の子供と書いて、タケノコの」
「時を遡る訳ではないけれど、秋にタケノコを手に入れるのは簡単な事でもない。ジュースの当たりとは、訳が違うから」
瞳さんは壁伝いに起き上がり、吐息混じりに答えてくれた。
「瑞樹さんと俺で、何ポイント貯まってます?」
「8千万」
「・・・・・・出来るだけ早く、2千万ポイント貯めるには?」
「功徳を積むしかないわね」
びくびくしながら話す瞳さん。
単語と態度が、ここまで一致しないのも珍しいな。
下へ戻るとベルは人形を胸元に抱いて、ぐっすりと眠っている様子。
瞳さんはそれを素早くひったくり、瑞樹さんに押しつけた。
「大切に管理するように」
「私の物なので、どうしようと私の自由です」
「す、る、よ、う、に」
改めて念を押す瞳さん。
さすがに瑞樹さんも何度となく首を振り、人形を棚の上へと置いた。
「それで、功徳とは」
「こういう真似をするって事」
瞳さんは手にしている出刃をめったやたらに振り回した。
それで、何が功徳だって?
「私がやっているのは神様の代行業で、遊びじゃないの。今までは彼1人だったけれど、2人で行えば多少はペースが上がるでしょう」
「私になまはげをやれと?」
「仕事はいくらでもあるから大丈夫」
「この家の物を持っていっても構いませんよ」
「それでは功徳でも何でもなくて、単なる追いはぎ。利益のために行動しているに過ぎない」
いつになく真剣な口調。
これには瑞樹さんも押し黙り、不満そうに頷いた。
「という訳で、用があったらあなたも呼ぶから。私達は、そろそろ引き上げようか」
「あ、はい」
「それじゃ、またね」
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