第10話

天国でパフェを食べてナスで帰るという意味の分からない1日が終わり、土曜日に別れを告げる。そして土曜の次は日曜日と、日本では明治以降そう決まっている。また日曜日は一般的には休日とされ、仕事を全く行わない宗教もあるくらいだ。


 ただそれは世間一般の話で、俺は朝から山を登らされる。


「この参道というか坂は、整備出来ないんですか」


「やってくれるのは構わないよ。必要な資材があれば用意するし」


 軽快な足取りで、きびきびと登っていく瞳さん。


 こちらは運動など体育の授業と通学に自転車を漕ぐくらいで、その後を追いすがるのに必死な有様。スリムジーンズを眺める余裕すらない。


 それ程は。


 最後の方は半ば這うようにして、ようやく坂を登り切る。本当に道の整備から始めた方が良さそうだ。


「喘ぎながら坂を登るとは、マニアックなプレイやな」


 地面に這いつくばっている俺を見下ろしてくる子鬼。ここでのエンカウント率が高いというか、三途の川はどうなってるんだろうか。


「案外暇なんですね」


「お盆もお彼岸も終わったさかいな。にいちゃんが行きたいなら、今すぐ三途の川下りをやらしたるで」


 だから、あの世ジョークは良いんだって。


 という訳で、今日も社の清掃に勤しんでいく。本来なら毎日やるべき事で、家から通えるのなら自主的やっても良いくらい。


 別に信心深い訳ではないが、別宮の話を聞いた後では少し思い入れが違ってくる。


「で、あの子とはどうなんや」


 落ち葉をホウキで掃いていると、子鬼が脇腹をげしげしとつついて来た。どうもこの人は下世話だな。


「こっちは一方的に使われてる立場。何も無ですよ」


「つまらん男やの。去勢されてるみたいやな、まるで」


「普通です、普通」


「普通の高校生なら、エロい事以外に何も考える必要はないやろ」


 相変わらずの偏見に満ちた考え。それを全く否定はしないが、エロい事以外を考えるのも高校生だと思う。


 その瞳さんは、命様と談笑中。こうしていると服装はともかく、二人とも駅前にいる女子高生と何の変わりも無いように見える。


「瞳さんとは、どこで知り合ったんですか?」


「10年くらい前かな。例の代行業に雇われたらしくて、それ以来や」


「白鳥家と縁があるみたいですが、何か知ってます?」


「うちは三途の川にいる事が多いから、その辺はよう分からん。大体女の素性を探るなんて、野暮な話やで」


 鼻先で笑う子鬼。確かに、あまり良い事ではなかったか。



 何故か子鬼を肩車していると、命様が小さく手招きをしてきた。


「どうかしましたか」


「今日、泊まっていけ」


「言っている意味が分かりません」


「この社の敷地に、明日の朝まで留まれ」


 わざわざ言い直してくれる命様。


 結果として、聞き間違いでは通らないようだ。


 降り注ぐのは穏やかな木漏れ日。鳥の鳴き声が耳に心地よく、風に揺れる落ち葉の音がそれに重なる。


 ただ気温自体はかなり低く、じっとしていると体の芯から冷えてきそう。昼間でこの寒さなら、夜は霜が降りるかも知れない。


「俺が泊まる理由は?」


「少しの間留守をするので、社の番をして欲しい」


「分かりました」


 理由があるのなら、俺が断る理由は無い。それに明日は祝日、ここで一夜過ごすのも悪くはない。


「ナス置いていくから、これで寝てね」


 からからと、明るく笑う瞳さん。


 置いていくという事は、彼女はいなくなるという事。そして命さんは、留守にする。


「あの」


「うちも帰るで。こんな寒いところで寝るなんて、正気の沙汰やないわ。地獄の沙汰よりもひどい話やで」


 地面に転がり、けらけら笑う子鬼。相変わらず、パンツ丸見えだな。



 結局、3人揃って仲良く下山。


 対して俺は1人、ぽつねんと社の前に佇む事となる。


 今日という1日は終わりに近付き、夕日がナスを紅色に染めていくという風情があるのか無いのか分からない状況。厚手のジャケットを着ていても寒さが染みこんできて、切なさも一層身に染みる。


「あー」


 炭に火を付け、網に玉ねぎとトウモロコシを乗せる。これは瞳さんが用意してくれたバーベキューセットで、とにかく直火がないとこの寒さは耐えられない。


ちまちまイカを焼いていると、涼しげな風が炭火を揺らす。今までの凍るような風ではなく、すっと背筋が伸びるような。


「明かりがあるのは、良い物だな」


 荒縄の巻かれた大徳利を担いで現れる命様。そしてイカを素手で掴むと、それを噛み切って徳利に口を付けた。


「ふぅ。生き返る」


 白い素肌がほんのり染まり、金髪は炭火を受けて幽玄にきらめいている。


 色香と言うよりは、荘厳な佇まい。自分の小ささ、至らなさを強く知る。


「食べないのか」


 スペアリブにかじりつきながら、俺を促す命様。 


 そこでようやく、自分もお腹が空いている事。 寒さに震えていた事に気付く。


「用は済んだんですか?」


「いや。すぐに戻るが、忘れ物をしたのでな」


「忘れ物」


「人との語らいよ」


 くすりと笑う命様。


 周りは濃厚な闇で、明かりが届く範囲の木々がかろうじて見えているだけ。聞こえるのは鳥と獣の鳴き声と、葉ずれの音だけ。


 訪れる人も無い、忘れられた社。俺はそこに訪れた、逆の意味でのまれ人か。


「飲むか」


 徳利をこちらへ向けてくる命様。


 俺は苦笑気味に断り、ペットボトルのお茶を軽く掲げた。


「あれこれとこき使われて、難儀な事だな」


「案外楽しいですよ。勿論、大変ですけど」


「それもまた、人の道よ」


 朗らかに笑い、徳利を傾ける命様。


 俺も笑い、ペットボトルを傾ける。


「報われなくとも、やり抜けば見えてくる事もある」


「……俺、報われないんですか」


「さて、どうかな。私はもう行くから、火の始末には気を付けろ」


 徳利を振り、柔らかく微笑む命様。その姿は明かりの外へ出た途端見えなくなり、清らかな気配も薄れていく。


 


 そして残ったのは、俺とバーベキューと冷たい夜風。1人きりになった分、寂しさが一層募ってくる。


「……出ないよな」 


 社のすぐ前で、ついさっきまで命様がいた場所。不埒な物が出てくるはずはない。


 ただ子鬼もさっきまでいたので、ああいう類が出没する事は十分にある。子鬼は少女の外見をした熟女キャラなので、構わないが。


 いや。そういう事ではなくて。


 食事を終えて炭火を消すと、完全な闇に包まれた。


 空を見上げれば星の瞬きは見えているが、それは遙か彼方の輝き。俺の手元を明るくするにも至らない。


 獣の鳴き声は一層大きくなり、走り回る音も聞こえてくる。いくら社があるとはいえ、今のこの場所は人が支配する世界ではないようだ。


 相手は狸やリスかも知れないが、とにかく撤退を決意。ナスの中へ逃げ込み、暖房を強くする。


外観はナスだが、内装はちょっとしたソファーベッド。シートを倒せば手足を広げて寝られ、これなら家のベッドよりも快適なくらい。


 車内で寝転んでいても獣の鳴き声は聞こえてくるが、女性のすすり泣く声でないだけまだましだ。


 


「……開けてー。開けてー。開けてー」


「わっ」


 車の外から聞こえる、悲痛な声。車体はゆらゆらと揺れ、窓を叩く音もする。


「開けてー、開けてー、開けてー」


 夢でもなければ幻覚でもない。声が止む事はなく、車体は揺れっぱなし。


 恐る恐る窓へ視線を向けると、青白い顔の女が覗き込んでいた。


「早く開けてってっ」


 一転、切羽詰まった声。良く見なくとも、窓から覗き込んでいるのは瞳さん。


 俺はドアのロックを解除し、彼女をナスの中へと呼び込んだ。


「外、無茶苦茶寒い。本当、滅茶苦茶寒いっ」


 そう言って、俺に抱きついてくる瞳さん。それこそ雪女のような冷たさで、だけど相変わらず柔らかくて良い匂い。


 本当に、良い匂いだな。


「鍵をどこかに無くしちゃって、どうしようかと思ってたのよ」


「用は済んだんですか?」


「済んだ済んだ。後は命様が戻ってくるまでお留守番」


 小さく息を付き、瞳さんはようやく俺から離れた。そして暖房をさらに強め、上着を脱ぎ始める。


「外は寒いのに部屋の中は暖かいって、最高の気分よね」


「はぁ」


「ほら。脱いだ脱いだ」


 そう言って、どんどん脱ぎ捨てていく瞳さん。


 良いのか、本当に。まあ、俺は全然良いんだけどさ。


 結局俺はTシャツとトランクス一枚。瞳さんはタンクトップにホットパンツで、腕にはピンクのリボンが巻かれて良いアクセントになっている。


 外は氷点下かも知れず、確かにこれは最高だ。色んな意味で。


「誰もいない所に2人きりなんて、ちょっとドキドキするよね」


「確かに」


「でも駄目だよね。神聖な場所だから」


 そう言って楽しげに笑う瞳さん。


 生殺しという言葉を、今ほど実感した事はない。



 よく分からないが、ナスの中でトランプに興じる俺達。傍らにはお茶とお菓子が置かれ、外の寒さとはまるで違う緩い空気である。


 ただ最近何かとハードワークだったので、こういうゆったりとした時間は少し嬉しい。


「のんびりしてて、良いですよね」


「働く時は働く、休む時は休む。そうでなくちゃ」


 明るく笑い、チョコをつまむ瞳さん。


 なるほどと思い、シートの上に横たわる。


 少し前までなら、今のこれは単に退屈な時間だと感じていたはず。だけど彼女が言うように働く時間。忙しい時を経験したからこそ、何もない事の大切さを理解出来る。


「ちょっと、外へ行こうか」


「え」


「少しだけ。勿論、上着は着てね」


 


 ドアを開けた途端、身を切るような冷たい夜風に晒される。


 白い息はその風にあっという間に流され、外気に触れている肌の部分は痛さを感じる程。その分身が引き締まるというか、漆黒の闇に包まれている分神経が研ぎ澄まされるようだ。


「星座も何も、あったものじゃないね」


 俺の腕に抱きつきながら、枝葉の間から微かに見える星々を指差す瞳さん。


 瞬きは彼方に遠く、彼女が手を伸ばしても届きはしない。今の俺達にあるのは体の芯から凍るような冷たさ。そしてお互いのぬくもりだ。


「俺、一体何やってるんでしょうね」


「急にどうしたの」


「普通に過ごしてたら、今頃はテレビを観て馬鹿笑いしてるだけですよ。こんな寒い中で、社の前に立ってません」


 自虐的になってはいないし、彼女を責めている訳でもない。


 経緯はどうあれ、この場にいるのは俺の意志。俺が自分の足で進み、選び、ここに立っている。


 波瀾万丈の胸が空くようなストーリーでは決してないけれど。自分と彼女以外は誰もいない闇の中で、小さな社を前に星を見上げる。俺にとってはそれこそが、何よりのストーリーだ。


 それでも結局寒さに耐えきれず、ナスへ戻りそのまま就寝する。


 気付けば朝になっていて、目の前には良い匂い。本当、こればかりは仕方ない。


「おはよう、流君」


「おはようございます」


 頭の上から聞こえる声に対して、目の前の胸へ挨拶。顔がそこにあるのだから、そうするしかないので。


 いや。本当に。



 ナスを出ると、外は極寒。枝葉の間から朝日が差し込んで来ているが、気温が上がるのはしばらく先の事。一歩踏み出す度に霜を被った落ち葉が割れ、何とも不思議な感覚を伝えてくる。


「昨夜はご苦労だったな」


 例により小袖の胸元へ片手を突っ込んで現れる命様。神様としてのオーラは感じるが、振る舞いはその辺の無頼だよな。


「寒くないんですか」


「曲がりなりにも神だ。この程度で熱い寒いと言っていては示しが付かん」


 命様はそう言って。小さな欠伸をした。するとそのの足元に近付いてきたリスが、ぺこりと頭を下げた。


 やっぱりこの人は神様なんだなと、今更ながらに実感する。


「昨日、その娘と不埒な事はしなかっただろうな」


「滅相もない」


「良い哉良い哉」


 穏やかな表情で見つめてくる命様。


 逆に不埒な事をしていたら、どうなってたんだろうな。



 今日は朝から、社の清掃。時間は十分にあるので、ナスに積んであった脚立を利用して屋根も綺麗にしていく。


「朝から張りきっとるな、われ」


 けたけたと笑いながら、脚立に登ってくる子鬼。結構来るな、この人。


「俺が乗ると屋根が抜けそうだから、代わりに頼みます」


「しゃーないな。命ちん、上乗るで」


「好きにしろ」


 命様は社の端に腰掛け、ぬるくなり始めた朝日に目を細めている。逆にこの人は動かないというか、神様だけあって泰然としてるよな。


 対して子鬼は、傾斜の付いた狭い屋根の上を、身軽にひょこひょこと歩いていく。そちらは任せて脚立を降りようとしたら、下から瞳さんが登ってきた。


「掃除しないの?」


「彼女がやってくれるそうなので。それに、畏れ多いですし」


「確かに。でもこういうのも良いよね。朝からみんなで、わいわい騒ぎながら過ごすのも」


 目を細め、穏やかに微笑む瞳さん。


 それは俺も同感。昨日から良い体験をさせてもらってるよな。



 一通り掃除を終え、命様から感謝の言葉をありがたく頂戴する。


「後は私1人で十分だ。お前達は帰って休め」


「ありがとうございます」


「私自身は寂しいなどとは思わんが、社としては人が来てこそだな」


 苦笑して、年季の入った小さな社に触れる命様。


 俺はここに社があるのも自体知らなかったし、麓からの距離を考えたら自力で来る事はまず無いだろう。


「白鳥家の人も来ないんですか」


「別宮には足を運ぶが、ここには来ないな。向こうに住まいを移す時期なのかもしれん」


「うちはここ好きやで。誰もこんし、気楽でいいわ」


「お前は人の話を聞かないな」 


 命様は子鬼の頭に手を置いて、朗らかに笑った。


 俺と瞳さんも、彼女達と一緒になって笑う。穏やかに降り注ぐ朝日の下で。



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