験屍使リュウ・ホァユウ(劉華雨)は骨を視る

小石原淳

あるいはしゃれこうべは笑わない

 小理官のト・チョウジュは報せを受けて泡を食った心地であった。が、それをおくびにも出さず、やりかけの書類仕事を棚上げすると、急ぎ足でリュウ・ホァユウの元に向かった。いつもなら部下の一人や二人、同行させるところだが、本日は事情が異なる。下手すると、己の経歴に傷が付きかねない。尤も、結論を急ぐあまり判断を誤ったのだとしたらそれはト自身なのだから、責を被るのは当たり前なのだが。

「――ちょい、ホァユウ先生」

「おお? これはこれはト小理官殿。わざわざ来られなくても、今日中に正式な診断を書面にして、持参するところでしたのに」

 リュウ・ホァユウは部屋の入口で、こそこそと柱の陰に隠れるようにしながら手招きしていたトに気付いた。検屍の仕事に没頭していたため、気が付くのが遅れたようだ。

「持参されては困る。いや、もみ消すのは無理と分かっているが、心の準備があるのとないのとでは全然違ってくるからな」

 身を縮こまらせたまま、まるで泥棒のようにするりと室内に入るト。

「何の話です?」

「話の前に、今日は一人か。あの小僧の助手、マー・ズールイは?」

「暇をやってます。里帰りですよ」

「なら、いい。子供がいると話が勝手に広まる恐れが高いからな」

「お言葉を返しますが、子供だからという理由だけでそう決め付けるのはどうかと。少なくともズールイは、口が堅い方です。喋るなと言われたことは守る」

「分かった分かった、口が過ぎた。それよりも詳細を聞かせてくれるか、例の件の。ほれ、白骨死体の検屍」

「詳細も何も、至極単純です。自首してきた妻は嘘をついている」

 美丈夫で知られるホァユウの顔つきが引き締まった。こと検屍に関する意見を述べるときは、語気も多少鋭くなる。

「具体的に頼むよ、ホァユウ先生。あの女の供述と白骨死体とは、どこがどう矛盾していたのか」

「えっと、確か妻――トアンさんの話したところでは、旦那さん――イン・ガクセンさんと二人で沼縁に出掛け、隙を見て背後から刺し、そのまま沼の中に突き落とし、沈めたと」

「ああ。凶器は見付かってないが、状況におかしなところはなかった。あまり人の寄りつかぬ沼地故、夫の肉体が骨になるまで見付からないというのは、不自然であるまい。死んだ旦那は背が高くて力持ちだったようだが、身内が、それも背後から不意をついて襲ったのなら、女の手でもやれる」

「御遺体が白骨になるまで見付からなかったという状況については、何ら異議ありませんよ。おかしいのは背後から刺したっていう点です。骨のどこにも刃物傷がなかった」

「い、いや。たまたま骨に当たらず、突き刺さったという場合もないとは言えんだろう」

「その通りですが、確率は低いです。凶器の刃の部分がよほど細い、特殊な形ならともかく、トアンさんは供述で、どこの家庭にでもあるような包丁を使い、折れたのでそこいらに捨てたと言っていたそうですね? 折れたと言うからには骨に当たった可能性が高い」

「……しかし、皆無という訳ではない、だろ?」

「それはまあ、偶然が積み重なって、骨と骨の間にきれいに刃が入るということは起こり得ます。包丁が折れたというのは、別の理由、たとえば引き抜いた拍子に転んで刃が岩にぶつかったせい、とでも考えれば無理矢理辻褄合わせできなくはない」

「……その口ぶりから推して、先生は別の根拠を見付けておるようだ」

 あきらめのため息を交え、トは尋ねた。

「はい。頭の側面を殴った痕跡がありました」

「殴った、だと? いくら何でも殴って骨が折れていたのなら、験屍使の判断の前に、我々や捕吏が気付くのではないか?」

「いえ、気付きようがありません。何故なら折れてはいませんから。陥没もしていませんでした」

「折れていないのに、殴られたと分かるのか? まさか、骨に痣が残るとでも言うんじゃあるまい?」

「うーん、痣というと微妙な言い回しになりますね。要するに、別の痕跡が残るものなのですよ。簡単に説明しますと“すじ”――筋肉がこびりつくのです」

「こびりつくとは、つまり、殴られたことで筋肉が押し込まれた結果、という意味か」

「さようで。殴られて骨と密接にひっついた筋肉は、簡単には落ちません。水で洗ったぐらいでは到底無理で、こすってもすべてはなかなか剥がれない。爪のような硬くて細い物を用い、力を込めてようやく剥がせる。あの御遺体には、今言ったような特徴が診られた。翻って、自供してきたトアンさんは、頭を殴った云々の話はしていないんでしょう? ですから嘘をついていると考えられます」

「う~む。先生が言うのだから間違いないんだろう……。だが、そうなると本物の犯人を見付けねばならなくなる。だいたい、妻は何で嘘をついたのか。普通に考えるなら、真犯人をかばってるんじゃないかと思うんだが」

「私の想像ですが、イン・ガクセン夫婦には小さなお子さんがいるのでは?」

「ああ、いる。小さいと言っても父親の半分ぐらいの背はある、立派な体格の男の子がな。今後、誰が世話をするかで揉めそうだ。遠い親戚筋を頼ることになるんだろうが」

「あー、そういう事情なら、ますます話がまとまらなくなりそうで、言いにくくなりましたね」

 言葉を区切り、天井を見やるホァユウ。ト小理官は知らず、眉間にしわを作った。

「何を勿体ぶっているんだね、先生? まさかと思うが今の口ぶり、残される男の子のが厄介の種になる風だったが」

「さすが、小理官殿は察しがいい。これで話し易くなったというもの」

 目線を戻したホァユウは、手近にあった木の板を引き寄せ、筆を執った。

「紙は近頃値が上がりましたので、木切れにて失礼。御遺体の頭骨にあった痕跡というのは、こういう具合で」

 言いながら、人の頭を右横から見た、簡単な図を描いていき、最後に耳の上辺りに、水平に線を引いた。

「棒状の物で真横から強烈な一撃を食らったと思われます」

「棒状とは一体?」

「そこまでは分かりません。大事なのは痕跡の位置、高さです」

「高さ……と言えば、イン・ガクセンは背が高いんだったな。並みの者ではとても届かぬ。そうか、イン・ガクセンの頭に食らわせられるのは被害者以上に背が高い奴」

「それは理には適っていても、現実的ではありません。背の高い大人が二人並んでいたら目立つので、普段から噂になったはず。イン・ガクセンさんにそのような知り合いがいたという噂を掴んでおいでですか?」

「い、いや。ない。だが、他に何者が届く?」

「私は、腰を下ろしているときだとすればどうかと考えました。でも座っていたらいたで、真横から棒で、真っ直ぐな跡を残すように殴るのは意外と難しいのではないか? 少なくとも一般的な女性が棒を振って殴るのに、ちょうどいい高さじゃありません。ガクセンさんが座ったところを襲うのであれば、真上から振り下ろすでしょう」

「ふむ」

 ト・チョウジュは見えない棒を持っているつもりになって、いくらか姿勢を試してみた。そうしてホァユウの推測に納得した。

「話の流れからして、先生が言いたいのはこうだな。子供であればちょうどいい、と」

「さすがです」

 音のない拍手を返すホァユウ。

「あとはお任せしますよ」

「小さな子供なら、座った被害者を棒で打とうとする場合、真上からは不可能。どうしても横からになるという理屈だな」

「ええ。でも肩車してもらっていたら、真上からでも可能でしょうけどね。まあ、今度の事件には関係ないことです」

「確かに関係ない。で、この仮説が当たっているとの前提で続けるが、子供が父親を棒で殴るとは何が原因だろう? もしや母親を守ろうとして……」

「分かりません。単なる悪戯、御巫山戯おふざけという線もあり得ます。いずれにせよ、子供が父親の死のきっかけを作ってしまった。だからこそ、母親がかばって自首してきたのだと私は推測します」

 軽く頭を下げたホァユウに対し、ト・チョウジュは本日何度目かの嘆息をした。

「まったく、厄介な結果を寄越してくれましたな、ホァユウ先生。自分の先走りが原因とは言え、すでに一度評定書をこしらえてしまった。あれを取り消すのは面倒なんだ」

「骨が折れる、ですか。白骨死体の事件だけに」

「そういう洒落が言いたいのではなくてだな。今のままでは証拠が足りぬし、情が湧いた。子が父親の死の原因だとは断じづらい」

「さしものト小理官もと。おっと、これは軽口が過ぎましたね。私も子を犯人とするには証拠が足りないという点には同意です。ですから、母親が嘘の自首をしてきたことだけ明かせばよいのでは?」

「ううむ、それはそれでまずい。真犯人が分からぬままでは格好が付かんし、母親が嘘をついた理由がいる」

「実は、このあとより詳しく調べて確かめるつもりでいるのですが、ガクセンさんが亡くなったのは、殴られてから数日後だと思われます」

「何だって? 先生、それじゃ殴られたのが死因ではなくなるのではないか」

「いえ、死因はあくまでも頭部への衝撃です。ただ、条件が揃えばすぐに死に至らずに、時間を掛けてなくなる場合もあります。頭骨の内側で血がじわじわと漏れ出て溜まり、脳を圧迫し、熱をもたらしたとすれば」

「その間、当人は動けるのか?」

「はい。多少は不調を覚えるでしょうが。それに、動けないと理屈に合わないのですよ。沼地でガクセンさんが座り込む理由はないでしょうから、棒で殴られたのは恐らく自宅。即死だとしたら、家から沼地まで御遺体を動かさねばなりませんが、女手一つでそのような真似が可能でしょうか? ガクセンさん自身が歩いていて行き、その場で亡くなったと見なす方が辻褄が合います」

「その説を採用するとしたら、妻のトアンが嘘の自首をした理由はどうするね?」

「気が動転し、真に己が手で殺してしまったと思い込んだ、とでもすれば通るんじゃないですか?」

「……ううーん、その線で行くしかないか」

 ト・チョウジュは喉に魚の小骨がつかえたような顔をしながらも、どうにか己を納得させるのだった。


 終




参考文献

・『中国人の死体観察学』(宋慈 著/徳田隆 訳/西丸與一 監修 雄山閣)


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験屍使リュウ・ホァユウ(劉華雨)は骨を視る 小石原淳 @koIshiara-Jun

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