3
アップルジュースが届くまで、私とアサヒさんはどちらも口を開かなかった。私は身を硬くしながらテーブルの中ほどに視線を固め、時々アサヒさんのほうを盗み見た。アサヒさんは、きちんとした姿勢で椅子に座り、ぼんやりと私の頭の少し上らへんを見ているようだった。
色が白く、髪の黒い店員が、アップルジュースを運んできて、テーブルに静かに置いた。それを自分の手元に引き寄せながら、アサヒさんが淡々と吐き出した。
「なにしに来たの?」
冷たい声だった。子どもだった私と話していたときの、穏やかで明瞭だった声音とは別人のものみたいに。アサヒさんの冷たい眼差しを感じたときから覚悟はできていたつもりなのに、それでも私は、びくりと身体を強張らせずにはいられなかった。
「……会いたくて。」
なんとか、短いけれど正直な言葉を返す。アサヒさんは、よくとがれた剃刀の刃みたいに薄く笑った。
「僕に? なんで?」
「……ずっと、忘れられなくて、私、どうしても……、」
言葉が散漫になって、まるで小さな子どもの頃に戻ってしまったみたいな心地がした。もっと上手い言葉でアサヒさんと会話がしたいのに、なにもいい台詞が浮かばない。喉の奥に蓋があって、そこで言葉が残らずばらばらにされているみたいだった。
「……会いたかったんです。」
なんとか、それだけは言えた。一番伝えたい言葉を、ひとつだけ。するとアサヒさんは冷たく笑ったまま、先細りのうつくしい手で伝票を掴み、席を立とうとした。
「じゃあ、これで会えたってことで。さよなら。」
なぜ、と思った。なぜ、こんなにも冷たいのか。あの頃、確かに私の話を残らず聞いてくれて、真剣に相手をしてくれたひとと同一人物のはずなのに。私は咄嗟にテーブル越しに手を伸ばして、アサヒさんの腕を掴んでいた。
「待って。」
必死だった。ここで別れれば、もう二度と会えないひとだと心の奥底から分かっていた。
「待ってください。……アサヒさんが、私と会いたくなかったことは分かりました。でも、じゃあ、なんで、あの頃私と会ったりなんかしたの?」
泣きじゃくるみたいな声が出た。自分がこんなふうに感情をむき出しにできる人間だとは思っていなかったから、自分で自分に驚いていた。アサヒさんは、私に掴まれた右腕を見下ろし、ため息みたいに小さく息をつくと、椅子に座り直した。
「見てみたかったから。」
「え?」
「謙一さんの子どもって、どんなだか見てみたかったから。」
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