「父親はいないものだと思ってって、言ったよね。」

 『……でも、』

 「なに。」

 『やっぱり、挨拶はした方がいいと思う。結婚って、古谷さんのお父さんとも家族になるってことだと思うから。』

 馴染めない。深町尚久の、考え方にも。私はそう思って、電話を切ろうとした。電話を切って、そのままもう連絡を取らなけばいい。そうすればこの家の場所もしらない深町尚久に、私を捜すすべはない。諦めて一人で大阪に行くだろう。はじめから、そうしておけばよかった。一緒に行ってもいいだなんて、言わないで。

 私がスマホを耳から離し、通話を切ろうと指を動かしたとき、深町尚久は慌てた声を出した。

 『待って、切らないで。』

 なんで、私が電話を切ろうとしたことを察したのだろう。驚いた私は、思わずぴくりと指を止めた。

 『古谷さんが、俺のこういうとこ鬱陶しいって思ってるの、分かってる。』

 「……鬱陶しいっていうか……。」

 『鬱陶しいっていうか、なに?』

 ただ、馴染めないと思うだけだ。深町尚久は、私とは全然違う、硝子の壁を隔てた場所にいて、隣に立っているように見えたとしても、立っている場所の温度が全然違う。私の部屋から伝わる冷気は、少しは深町尚久を冷やしているのかもしれないけれど、伝わるのはそれくらいのものでしかない。

 『話してよ。古谷さん、いつも、言いかけで諦めるから。』

 「……鬱陶しい。」

 馴染めないと、そう言ってみてどうなるのだろう。言葉をつくして説明すれば、深町尚久に私の立っている場所の冷たさは伝わるのかもしれない。でも、それはそれだけのこと。深町尚久が、本当のこの場所の冷気を感じることができるわけではない。

 『本当に? それ、ただ諦めて分かりやすい言葉を言ってるだけじゃない?』

 深町尚久の声には、いつもの高揚感というか、焦りというか、そんな色が感じられなかった。妙に落ち着いている。そう感じた私は、ああ、この男はもう、私を見切ったのだな、と理解した。もう私に執着していないから、こんなに落ち着いているのだ。

 悲しくも、寂しくもなかった。これが本来あるべき姿だと分かっていた。私はやっぱり、つまらない人間だ。

 『古谷さん。』

 やっぱり落ち着いた、普段の深町尚久らしからぬトーンで、彼は私の名前を呼んだ。

 『やっぱり、側にいてほしい。俺には諦めないで自分のこと、話してほしい。そうなるまで、一緒にいたい。』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る