結婚

 結婚しよう、と。深町尚久が言った。卒業を間近に控えた三月のはじめだった。いつものように空き教室でおにぎりを食べていた私は、なんの冗談を言いだしたのかと思って、そのままおにぎりを食べ続けた。そういえばここしばらく、深町尚久は思いつめたように黙っていることが増えていた気がしないでもないけれど、そんなことを考えていたのか、と、半ばあきれるような気持だった。

 「古谷さん、」

 半分廃墟のラブホテルで、一回きり私を抱いた男の手が、私の腕を掴んだ。

 「古谷さん、ちゃんと聞いて。」

 「なにを。」

 「俺、本気だよ。」

 浅いため息をつき、私はおにぎりの最後の一口を胃に収めると、立ちあがった。これ以上話を聞いても仕方がないし、いつものように図書館の映像資料室で映画でも見ようと思ったのだ。普段ならおとなしく私の後をついてきて、隣で映画を眺めているはずの深町尚久が、けれどその日は、引かなかった。

 「俺、就職大阪だって言ったよね。」

 「……。」

 そんなことを言っていた気もする、と、ぼんやり思っていると、深町尚久が自嘲気味に笑った。

 「そうだよね。覚えてないよね。……それで、古谷さんは就職、まだする気ないんでしょ?」 

 まだする気がないというか、私には先が考えられなかった。そういう脳みその疾患なんじゃないかと思うくらいに、明日より先のことが思い浮かべられない。だから就活なんて到底できなくて、卒業したら卒業したで、アルバイトかなにかで日々を食いつないでいくのだろうとなんとなく思っていた。

 木製の堅い椅子から立ち上がらないまま、深町尚久は、真剣な目で私を見つめていた。

 「だったら、一緒に来てほしい。」

 「なんで?」

 正直な感想が、そのまま口から出てきた。それ以外に言うべき言葉も思い浮かばなくて。すると深町尚久は、情けなさそうに眉を少し寄せた。

 「なんでって……。いつも言ってるけど、俺、古谷さん好きだし。」

 「それが、なんで?」

 「……多分、もっと上手くやれるのにって思うから。」

 「上手く?」

 「そう。古谷さんはきれいで頭もいい。それ使って、もっと上手くやれるのにって。なのに深町さんは、全然上手くやる気がないでしょう。そういうの見てると、なんか、このへん苦しくなる。」

 このへん、といいながら、深町尚久は胸から腹にかけての広い範囲を手で示した。私は、随分いろんなことろが苦しくなるんだな、と感心しながらその手の動きを見ていた。

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