断ろうと思った。人間関係は、いつだってわずらわしい。そのわずらわしさに耐えていられるほどの体力が、私にはなかった。

 もう、誘わないで。

 そう言おうとした唇が、躊躇った。目の前に立って、やっぱり頬を紅潮させている深町尚久を見ていると、なぜだか。このひとは、アサヒさんには全然似ていないのに。

 「……。」

 「……。」

 無言で、私たちはしばらく向かい合っていた。そしてその沈黙の後、深町尚久は硬い表情を浮かべていた両目をふわりとほどくと、また誘うね、と言った。私はまた、このひとは温かい家庭で大切に育てられてきたのだろう、と思った。多分、手ひどい裏切りを受けることもなく、信頼の味だけを覚えて。

 「……。」

 「誘うから。」

 やっぱり黙ったままの私に、深町尚久ははっきりとそう念押しした。私はどうしていいのか分からなくなって、逃げるように深町尚久に背を向けた。帰ろう、と思って、私にはどうせ、帰りたい場所なんてないのだ、と、半分嫉妬みたいな感情もわいた。

 母が死んでから、もともと家に余りおらず、いても自室にこもりがちだった父は、なおさらその度合いをました。私はあの家の中で、完全にひとりだった。だからなにというわけでもない、と、自分に言い聞かせたけれど、寒い夜にはぼんやりと、ポストカードの灰を埋めた公園のことを思い浮かべたりもした。思い浮かべるだけで、なにをするわけでもないけれど。

 深町尚久と別れて、電車に乗って30分ほどの自宅に戻る。当たり前に、父は家にはいない。帰るのはいつも、深夜だ。私はぼんやりとベッドに転がって、深町尚久の顔を思い浮かべてみた。なにも、感じなかった。ときめきもなければ、安堵だってない。なんの感情も動かない。それはそうだろう。だってあのひとは、アサヒさんではない。

 また、深町尚久は、心持ち頬を紅潮させて、私の机の前に立って食事に誘うのだろうか。

 そのさまを想像すると、なんだかひどく疲れる気がした。なにか、温かくてやわらかいものを押し付けられる感じ。それを心地よいと思うには、私に余裕が足りていない。つまり結局のところ、悪いのは私なのだろう。

 白い天井を見上げて思うのは、同じような色をしていた、銀座の喫茶店の壁だった。あの白は、アサヒさんの肌にとても映えていてきれいだった。父もかつて、深町尚久みたいに頬を紅潮させたりして、アサヒさんを食事に誘ったことがあるのだろうか。

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