「……どうせ本気じゃないなら、こんなことしなければいいのにね。」

 私は半ば無意識に言いながら、食卓から少し離れた棚の上にある電話機を見やった。そこから流れてきていた父の不倫相手の声は、必死だった。本気だったのだ。本気どうしか、本気じゃないどうしならいい。片方が本気で、片方が本気じゃないなんて。そんなのは、ひどい。本気じゃない方の責任だと思う。

 母はなにも言わなかった。やっぱり電話機を見て、じっと黙っていた。

 「……二階に行ってもいい?」

 私は考え考え言葉を紡いだ。これ以上ここにいても、なににもならないと思った。

 「私がいても、なににもならないし、私はお母さんが決めたことに従うわ。別れても、別れなくてもいい。お母さんのしたいようにしたらいいと思うの。」

 冷たく突き放したように聞こえないように、細心の注意を払った。母は短い沈黙の後、くっきりと頷いた。沈黙は、短くても重く冷たかった。いつものことだ。

 階段で二階に上りながら。なんでだろう、と考えた。なんで、父と母は結婚なんかしたのだろう。本気どうしだったとは思えないのに。でも、だからと言って、本気じゃないどうしで結婚したとも思えないから、よく分からなかった。

 「……カテイのシアワセ。」

 口の中で呟いてみる。そんなものがこの家にあったとは思えない。だから、それを求めて結婚したとも思えない。だったら二人の間に恋や愛があったのかと想像してみても、上手くいかない。

 階段を上り、右手のドアを開けて自室に入る。ベッドに倒れ込んで、暗い天井を見上げた。今頃は母は、父とどんな話し合いをしているのだろうか。

 結局のところ、父と母は離婚しないだろう。今日も明日も同じような日々が積み重ねられていくだけだ。それを崩すほどの熱意が、私たち三人の誰にもない。

 弱虫。弱虫。弱虫。

 頭の中で繰り返した。私たち三人とも弱虫だ。生活を同じくしているだけで、大した情もないくせに、その生活を壊すのが怖くて身を寄せ合っている。

 明日の朝、いつもと同じように父と母と私は、食卓を囲むのだろう。会話のない、いつもの朝。そうして父の不倫騒動は、なかったことになっていく。日々を重ねていくうちに、どんどん透明になって、いつかは誰も思い出せないような些細なできごととして忘れられていく。それが、父の必死のSOSだったとしても。

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