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食事を終えると、父は書斎へ引っ込んで行った。私も自分の部屋に上がって行きたかったけれど、さすがにそれもできなくて、食器をまとめて台所の流しへ運び、それからまた食卓の自分の席に着いた。
そういえば、父は一言も私たちに詫びなかった。間違ったことをした、とは言ったけれど、それだけで。間違ったこと、と、悪いこと、は、多分違う。間違っていても悪くはないことも、間違ってはいなくても悪いことも、きっとある。
そんなことをぼやぼやと考えながら、私は母が口を開くのを待った。
「私たちが離婚しても、胡桃はきっと平気ね。」
母が、ふわりとそう言った。いつもの、針金の芯が入ったみたいな物言いとは、別人みたいな口調だった。いっそ、幼いみたいな。
私はその言いように驚いて、母を見つめた。すると母は私を見返し、しばらくすると、はっとしたみたいに、いつものぴんとアイロンをかけたみたいな調子を取り戻した。
「胡桃はどうしたいの。」
先ほどと同じ問いかけだった。私はまた、どうでもいい、と答えそうになって、さすがにそれは娘としての情がなさすぎる、と考え直した。
「夫婦間の問題だと思うから、口出しはしたくないの。」
夫婦間の問題。さらに言えば、そこには、母が存在を知っているかもあいまいな、アサヒさんも絡んではくる。どうしたって、私には関わりようのない話だった。
「胡桃にも関係のある話よ。清水さんは、あなたを育てるとまでいっているんだから。」
「育てるって言っても、私、そこまで子どもでもないし……。」
「でも、未成年でしょう。」
「まあ、それは。」
「もしも離婚をしたら、あなたの意思で、私かお父さんか、どちらについていくか選べるわ。」
「でも、どっちにしたって、お父さんは清水さんと再婚したりはしないでしょう。」
そうね、と、母が呟くように言った。私は軽く頷いて見せた。父は、どうせ清水さんと再婚したりしない。そこまで本気で、清水さんと色恋沙汰をやったわけではない。それくらいのことは、私にも、母にも分かりきっていた。分かりきっていたから、困っているのだ。もしも父が本気ならば、離婚すればいい、父は清水さんと再婚するだろうから、慰謝料やら養育費やらをきちんとして、私は母と暮らすだろう。でも、今回はそういう話にはならない。父は、全然清水さんに本気なんかではない。
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