私は傍らの父を見上げた。それは、険のある視線だったと思う。父がアサヒさんのことを私より知っているということの他にも、父が大人であり、私よりもアサヒさんに近い存在であることへの、どうしようもない嫉妬もあった。父は、そんなきつい娘の目にも気が付かずに、アサヒさんを見ていた。じっと、両方の目で。私はこれまで、父のそんな目を見たことがなかった。何事にも興味半分というか、片方の目でしか見ないようなひとだったのだ。父は昔、学者になりたかったのだと聞いたことがある。その過去に、片方の目を置いてきてしまったみたいな、そんな雰囲気が父にはあった。その父が、真っ直ぐに両方の目で、アサヒさんを見つめていた。私は、なにか見てはいけないのもを見てしまったような気がして、どきりとした。だって間違いなく父は、母をそんな目で見ていたことはない。少なくとも、私が知っている限りは。

 アサヒさんは、父の強すぎる視線にもまるで動じなかった。そういう目で見られることに、ひどく慣れている人なのかもしれない、と、私は思った。父からだけではなくて、いろんな人から、いつもそういう目で見られているひとなのかもしれない、と。

 そのとき私は、アサヒさんのことは母には秘密にしなくてはいけないのだ、と察した。父は私に一度も、アサヒさんのことを母に黙っていろと言ったことはない。私は自発的に口をつぐんだし、父は私が口をつぐむことを分かっていたのだと思う。

 「……つまらない、子どもだったよ。胡桃ちゃんとは違うね。なにもかもが、僕の外側を流れて行っている感じがしていたよ。……それは、今もかな。」

 随分長く考え込んでいたアサヒさんが、静かに言った。私は、その言葉が私ではなくて、父に向いていることに気が付いていた。子どもは、多分、微妙な疎外感には敏感なのだろう。

 父は、なにも言わなかった。本当は、私がいなければ父は、アサヒさんを抱きしめていたのだろうし、私には聞かせられないような言葉をアサヒさんに囁いていたのだろう、と、今の私は分かる。でも当然、9歳の私にはそんなことは全然分からなかったから、父のことを、冷たいひとだ、と思った。アサヒさんがこんなに寂しそうな顔をしているのに、なにも言わないなんて、冷たいひとだ、と。

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