骨を拾いに南の島へ

大田康湖

骨を拾いに南の島へ

 1965年(昭和40年)冬。

 南太平洋の小さな島に向かう船のデッキには、二人の中年男性が立っていた。そこに白髪交じり頭の男性が歩いてくる。

京極きょうごく、タバコ吸うか」

 男性は眼鏡の男性、京極きょうごくたかしに「ハイライト」と書かれたタバコの紙箱を差し出した。

竹末たけすえさん、ありがとうございます。でも今はちょっと」

 隆は手を振った。隣に立つくたびれた戦闘帽姿の男性、廣本ひろもとひさしが呼びかける。

「俺のことなら気にするな」

「ああ、廣本ひろもとは禁煙してるんだっけ。それじゃ失敬」

 竹末たけすえ源六げんろくは二人から離れると、タバコに火を付けた。廣本が付け加える。

「大仕事の前に、これ以上体を悪くしたくないだけさ」

「廣本さんは戦友たちの骨を日本に連れ帰ってやりたいと、ずっと言ってましたからね」

 隆は海原の向こうに揺れる島影を見つめながら答えた。


「それにしてもあの島に残された京極が、アメリカの捕虜になって日本に帰ってきてたとはな。廣本に聞かされた時は驚いたよ」

 タバコを吹かしながら言う竹末に、隆は目を伏せるとつぶやいた。

「あそこで自決した戦友たちにすれば、私は裏切り者です。正直、遺族の方と顔を合わせるのも心苦しくて。でもあの島に最後までいた私が、遺骨捜索の手がかりとなるのならと思って竹末さんの頼みを受けたんです」

「すまなかったな。上官命令とは言え、傷病兵を島に残すなどということをして。でもあの時は、わしも我が身大事で何も言えなかった」

 竹末はタバコをもみ消すと、ばつ悪そうに背中を向けた。廣本がそこへ割って入る。

「傷病兵に自決用の手榴弾を渡したのは俺だ。責めるなら俺を責めろ」

「やめましょう。もう済んだことです」

 隆はそう言うと、船室への入口を見た。

「そろそろ上陸準備をしましょうか」


 20分後、定期船は島のはしけに到着した。夕方の出発時間までには戻らなくてはいけない。三人は事前に手に入れた地図と住民からの情報を頼りに、傷病兵が自決した洞窟があった島の奥へと足を運んだ。

 ジャングルに戻りつつあるとはいえ、倒された椰子の木や塹壕ざんごうの名残らしき窪みが、ここが戦場だったという記憶を漂わせている。

「どうだ京極、何か見覚えはあるか」

 竹末の問いかけに、隆は無言で立ち止まった。首筋から大粒の汗が流れている。

「すみません」

 隆は肩掛けカバンから手ぬぐいを取り出すと汗を拭った。

「どうしても日本に戻りたいと思い、洞窟を出て廣本さんを追いかけたんですけど、途中で気を失って、どこで捕虜になったかは覚えてないんです」

 明らかに具合の悪そうな隆を見て、廣本が前に出た。

「俺が先に立とう。この戦闘帽を見て、亡くなった戦友たちが気づいてくれるかもしれん」


 さらに奥へ進んだ三人は、明らかに日本軍が残したと思われる天幕の残骸が残る場所に出た。廣本が声を上げる。

「そうだ、ここは前線基地で、洞窟は西側にあったはずだ」

「それでは目印を付けてから、この辺りを捜索するぞ」

 竹末が肩にかけていた背嚢はいのうからロープを取り出すと、近くの木に結びつける。隆は辺りを見回すと、西側へと歩き出した。その時だ。足下で何かが当たる音がした。かがむ込むと、草に埋もれた日本軍の水筒が転がっている。

 隆は水筒を持ち上げた。肩掛け紐が切断され、赤黒く染まっている。隆の脳裏に当時の記憶が流れ込んできた。


 日本軍がこの島から撤退した日、隆は自決を命じた廣本を必死に追いかけた。しかし、すがりつく隆を振りほどくように、廣本が隆の背中へサーベルを切りつけた。傷の痛みで気を失った隆は、上陸してきた米軍の捕虜となったのだ。


「京極」

 近づいた廣本に呼びかけられ、隆は我に返った。水筒を廣本に差し出す。

「私の水筒を見つけました」

「そうか、俺がここでお前を斬ったのか」

 廣本は水筒を受け取ると小声で尋ねた。

「京極、竹末に本当のことは話してないんだな」

「はい、このことは私たちと、打ち明けたかつらさんだけの秘密です」

 隆は手ぬぐいで汗を拭いながら言う。

「私の子どもたちにまで、戦争の苦しみを背負ってほしくはありません。そして、迷惑をかけたこの島の人々のためにも、ここにいた私たちが生きているうちに戦争の後片付けをしたいんです」

「お前はそこまで考えてたのか。やっぱり俺は卑怯者だ」

 顔をゆがませた廣本に、隆は優しく呼びかけた。

「私にとってあなたは命の恩人です。それだけは忘れないでください」


             ○


 1973年(昭和48年)。南太平洋の小さな島には、遺骨回収に来た元兵士や遺族たちに交じり、眼鏡の若い男性が加わっていた。

「ここが、父たちがいた洞窟なんですね」

「ああ、京極のお陰で場所を突き止められたんだ。まさか京極が脳卒中で亡くなって、わしの娘と結婚した君が代わりに参加することになるとは思わなかったがな」

 竹末源六は京極きょうごく伸男のぶおに答えると、線香の束を取り出す。

「来てくれて本当にありがとう」

 廣本久が伸男の肩を叩いた。

「こちらこそ、父の残した水筒を預かっててくださってありがとうございました」

 伸男はパラフィン紙に包まれたモノクロの写真を開く。父、京極隆の遺影に使われた写真だ。

「父の軍隊時代については、亡くなるまで全く知りませんでした。母も恐らくは」

「いや、きっとかつらさんは知っていたけど、子どもたちにはあえて話さなかったんだろう。強い人だからな」

 廣本は被っていた戦闘帽を取ると、ズボンのポケットに入れた。

「母が止めるかもしれないと思って、妻の功子いさこにだけ遺骨収集の旅に行くと話したんですが、日本に帰ったら改めて母に報告します」

「それがいい」

 廣本は伸男に答えると、何かをこらえるように唇を結んだ。

「それでは失礼して」

 竹末は線香に火を付けると、簡易祭壇に置かれた線香立てに立てた。廣本が静かに手を合わせる。

(京極、約束を破ってすまん。あの世に行ったら存分に叱ってくれ)

 伸男はリュックサックから肩紐の切れた水筒を取り出すと栓を開け、中の水を地面に注いだ。

(戦友の皆さん、亡くなった父の代わりにお迎えに来ました)

 島の地面に、澄み切った水が吸い込まれていった。


おわり

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骨を拾いに南の島へ 大田康湖 @ootayasuko

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