中編

 雑な進行により中央へと連れてこられた二人。

 試合の妨げにならぬよう映児はスーツの上着を、基久はスマホを預け、試合はヌルッと幕を開けた。


――――――


 最初はお互いに見合う所からだ。


 映児は両手を顔辺りに上げて構える、最近見た格闘技映画の見よう見まねだ。

 基久はその辺りの知識がないのか、彼のやり方を真似ていく。

 双方同じ構え、同じファイトスタイルでどんな手が来るか窺い……気付けば十秒ほど経っていた。


 途端、周りからヤジが飛び交い始める。

 「がんばれ」だとか「さっさとしろ」だとか、棘のないものではあるが、二人はハッとし、やっと一歩踏み出し始めた。

 お互いそれっぽい構えのまま、じりじり、ゆっくりと距離を詰めていったのだ。


「遅っせェ……」


 オーディエンスから愚痴が漏れ出る中、間合いは目と鼻の先まで縮小。

 遂に攻撃が届きそうな距離になるが……が、攻撃しない。

 突然リングに呼ばれたこともあり、心の準備が出来てなかったのだ。


「HEY J●P!! COME ON!! WHAT ARE YOU F●CKIN DOING!!」


 それを見かねたのか罵声が飛んでくる、声の主は先程勝利を収めた白人だ。

 白人の檄に呼応し、一部の観客からもブーイングが続々と沸き上がり二人へと襲い掛かった。


「あ……えっ」


 血も涙もない無いブーイングを浴びて二人の体は余計に固まり、握りしめた拳から汗が滲み始める。

 基久に至っては吃音じみた声が出て、映児よりも追い込まれているように見えた。


 もうこれ以上何か言われたら破裂しそうだが、参加者オーディエンスは容赦なく罵倒を浴びせ続けている。

 これに対し映児はただ戸惑っているだけだが、


「え、あ……あぁ」


 基久は違う。どもりはより酷くなり、手汗の量は秒をまたぐごとに増加していった。


「あッあ、え、ィ、いぁ」


 しまいには涙がこぼれ落ちる始めるも、ヤジは止まる気配を全く見せなった。

 そんな状況の中で、映児は基久が不味い状態にあると気付き手を上げる。


「あのすみません、やっぱ棄権しま……」


 社会生活の中で培われた発声の良さで、試合を辞めようと伝えた瞬間、


「ヒィッッ、ィ゙、ィァ゙ア゙ァアァ゙ア゙ァ゙ア゙ッッ!!!!」


 ――基久が咆哮を上げ、大振りのテレフォンパンチを放って来た。


「ッッ!?」


 咄嗟に仰け反るように避け、距離を取るも、基久は距離を詰め左拳を横に一閃。

 これもまた避けると、左拳は空回り、基久はバランスを崩し転倒。

 情けなく尻餅を着くも、直ぐに立ち上がり再度攻撃を仕掛けにいく。


「ヴぅ゙ンッッ!! ぅ゙ゥヴん゙ッッ!! うゥ゙ゥゥ゙ン゙ッッ!!」


 何度も何度も殴りかかる基久。

 奴の攻撃は腰も入れず一心不乱に腕を振り回す、ただそれだけ。

 しかし、格闘に関してはド素人の映児は、攻撃を避けるか防ぐかで精一杯である。


「ちょ……落ち着いて」


 回避しながらも落ち着かせようと声をかけるも、全く応える気配が無い。

 目は血走り、顔は恐怖一色にまみれているのだ。

 他者からの抑圧や強制、そしてそれを否定した時の報復を恐れているように。


 一方、観客はやっと始まった闘いに歓喜の雄叫びを上げ、もっとやれと発破をかける。

 一人は「殺せ」もう一人は「潰せ」と叫び、二人に向かって鞭を振るい続ける。


「――ゥ゙ェあ゙ァ゙ア゙アァア゙ぁ゙ア!!!!」


 それが追い風となり、基久の攻撃の勢いは倍増。 

 畳み掛けるように来た攻撃に対し、殴る勇気が無い映児は必死に逃げ続けていたが、


「うぉっ」


 限界を迎えたのだろう、踵が地を余計に踏みしめ、バランスを崩し、動きを止めてしまう。

 一瞬の停止、一瞬の隙、なんとか動き出そうとするも間に合わず――目の前に基久の拳が現れた。


「――ドゥォ゙ォッッ!?」


 鼻っ面に一発、それだけで映児の体は盛大に仰け反り、吹っ飛ぶように後退。

 目は虚ろに揺れ動き、鼻血とよだれが垂れ落ち始める。

 五、六歩ほどで踏みとどまり、慌てて頭部辺りに腕を上げ、ガードを固め始める。


「……ぅぁ゙」


 汚れを拭う暇は無い。薄れた意識の中、悲鳴交じりの咆哮が急速に近付くのを感じ取ったのだ。


「――ン゙ァア゙ァア゙ぁ゙アぁ゙あァあ゙ッッ!!!!」


 瞬間、咆哮と共に数々の拳がガードを取る映児の元に降り注ぎ始めた。


「……ッッ!!」


 ハンマーの如く叩き下ろす連撃を映児は歯を食いしめ前腕で防ぎ続ける。

 一撃一撃を貰うたびに、前腕の痛みは増し、ガードはゆっくりと崩壊。

 構え直すという考えが浮かぶ暇は無い。

 時間が経つごとに腕だけで無く、頭にまで攻撃が入っていく。


「うゥ゙ッッ!! うゥ゙ッッ!! うゥ゙ウッッッッ!!」


 対して基久は、周囲から受ける苛烈な怒号を背に一方的に殴り続けていた。


 振り上げ、降ろす、また振り上げ、また降ろす。

 単純作業故に慣れたのか、攻撃の勢いは徐々に増し、気付けば拳に映児の血が付き始めた。


「こ、こぅ……」

「ゥ゙ア゙ぁ゙ア゙ぁ゙アッッ!!!!」


 このままだと最悪死ぬかもしれない。

 映児はなんとか降伏の言葉を叫ぼうとするも、基久の声に遮られ、認められない。


「……サン!!……こ……さ…!!……ぅサ…!!」


 何度も何度も叫ぶも、奴の声が覆いかぶさり、司会者はおろか、観客まで届くことはない。

 その間も奴の拳を絶え間なく頭部に浴び、コンクリートに飛び散る血の量が増えていく。


「こ、こう……こ……!!」


 痛い、ダメだ、不味い、死ぬ。頭の中で汎ゆる言葉が巻き起こる。


「……め……辞め……!!」


 流れる血はますます増え、頭の中では死にたくないと連呼するばかり。


「……」


 観客も、対戦相手も慈悲を掛ける気配は毛頭ない。

 もうダメだ、ここで死ぬんだ。

 恐怖を超え、思考が悟りを開こうとしたその時――全く別の言葉が浮かぶ。


 抵抗しろ、ただその一言だけ。


「う……うァ゙アぁ゙アぁ゙ア゙ぁ゙ア゙ッッ!!!!」


 映児が吠えた。


 先程とは打って変わった強い咆哮を上げ、右の裏拳を強引に、勢い良く薙いだ。

 振り解くように放たれたそれは、基久の頬へとジャストミートで突き刺さる。


 芯を突いたのか、奴の頭部は首振り人形みたいに揺れ、追撃の手を止めてしまう。

 隙だ。しかも先程の映児とは大きく、長い隙だ……反撃の大チャンスだ。


「ズァ゙ア゙アぁ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ア゙ァアア゙ッッ!!!!」


 寄声が囲い中にこだまする。声の主はさっきとは違い映児のものだ。

 守備姿勢から解放された彼は、右腕をダイナミックに振り上げ、首元へと叩き付けていった。


 手刀、斜め一閃。

 これまでの痛みによる鬱憤が、全ての怒りがこもった渾身の一撃。


 首元の鎖骨にぶち込まれ、基久の体は大きくバランスを崩すが倒れない。

 力は入れたもののこちらもまた腰が入ってなかったのだ。

 しかしだ、攻撃を耐えた基久は不幸なことに……もう一撃やる機会を与えてしまった。


「ア゙ァ゙ア゙ァ゙ア゙ッッ!!!!」


 映児は手刀を振り下ろした姿勢から、握りしめた左拳を振り抜いていく。

 しかも今回は偶然にも腰が入ってしまい、狙いの腹へと深く――それもとんでもないほど深く入ってしまう。


「ドゥオぉッッッッ!!??」


 息を全て吐きだし、「くの字」で一気にぶっ飛ぶ基久の体。

 その様を間近で見た観客全員は、反撃した映児に向けて喚くような歓声を送った。


――――――


 168cmの大きくも小さくもない体が転がっていく様を視界に収める映児。


 彼は呆然自失と言った表情でじっと見つめ続けていた。

 先程まで一進一退に拳を振るい続けていた相手が、二発の攻撃で呆気なく沈んだのだ。


「……」


 左手を突き出したまま固まる彼の中で、様々な思考が渦巻き始める。

 痛みから恐怖、恐怖から怒り、そして怒りを経て……何か、燃え上がるものが。

 たった二撃攻撃を入れた、しかも不器用な形でデタラメにやった筈なのに。

 ガツンッッと、刺激的な何かが来ていたのだ。


「……ぉォ」


 思わず感嘆の声が上がる。一方、向こうでは一人の男が立ち上がり始めた。

 基久だ。中段突きが効いたか、吐瀉物らしき物が口元からたれ続けている。

 だが目には何が何でもやらねばと言うギラついた恐怖が存在している。まだまだ戦う気だ。


「アア゙ァ゙ア゙アア゙ぁ゙ア゙ッッ!!!!」


 悲鳴を上げながら迫る基久。

 どったどったと走りながら、右のテレフォンパンチを放ちにいく。

 しかし何度も見た技だ。映児は上半身を傾けながら回避、バックステップで距離を取る。

 避けられた基久は鼻息荒く左拳を握りしめ、再度同じ攻撃を繰り出しにいく。


 一方、映児は先程の攻撃を避けたことで、あることに気付き始める。

 同じ姿勢、同じ駆け出し、同じパンチ、見慣れていて隙だらけ……カウンターが出来るのでは?


 ――瞬間、頭の中にビジョンが浮かんだ。


 ――ある映画のワンシーン。


 ――雑魚敵の攻撃に合わせてパンチを繰り出し、一発で沈める主人公のビジョンが。


 そこからの行動は早かった、脇を締め、腰は少し落とし、拳の位置を下げ……その主人公のように構えを取る。

 そして、基久が放った左のパンチを重心移動によって体を傾けるように回避し、


「――ㇷッッ!!」


 体を捻り合わせるように右のストレートをぶち込んだ。


「ダァッッ!?」


 クリーンヒット。拳は頬にめりこみ、基久の体は揺れに揺れた。

 同じだ、先程思い浮かんだシーンと、そっくりそのままだ。


「FOOOOOO!!!!」


 周りの男達が嬉しそうに叫ぶ。素人臭かった男の突然の素晴らしい攻撃に驚いたのだろう。


「行け!! 行けぇ゙!!」

「KILL HIM!!」

「潰せッッ!!」


 思い思いの言葉を叫び、今度は映児の方へと鞭を振るい始める。

 多種多様な鞭を背に、彼はふらついた基久へ追撃していった。

 右のジャブ、左のストレートのワンツーから流れるようにアッパー。

 全て気持ちいいくらいに入り、基久は更によろけていく。


「……ゥ゙ゥゥ゙ン゙ッッ!!」


 これも何故か耐えると、基久は目の焦点が合わないまま左フックを放つが、遅い。

 奴の攻撃が届くより早く、映児は踏み込み、距離を縮小。

 勢いままに全体重を込め、左の拳を大振りに振った。


 一撃必殺、ジョルトブロー。別の映画でメインキャラが中ボスを倒した時の技だ。

 クロスカウンター気味に放たれたそれは、顎を強く打ち抜き、基久の体を地に転がしていった。

 ――今までで一番の歓声が沸き上がる。一人の戦士の誕生を祝っているようだ。


「……ホホッッ」


 特等席で喝采を一心に浴びた映児は、基久を殴った拳を見て思わずニヤけてしまう。

 この高揚感、今までに無かった感覚。これこそ……これこそがガツンと来る感情。

 逆境を超えたカタルシスと共に、まさかこんなものが流れて来るとは。


「……ホホッッ、ホホホホッッ」


 突然来たそれに、映児の笑みは止まらない。

 しまいには観客中を見回すように笑顔を見せつけて行く。

 今までにないひと時を嚙み締める一方……一人だけが違う反応を見せていた。


 映児から距離を少し離し、情けなく尻もちをつき、思考が停止したかのような表情をした基久だけは。


――――――


 基久の中で今までの人生の感情は恐怖ばかりだった。

 母によって好きなものを規制された時。頑張ったのに失敗し母から説教を受けた時。


 彼の中では怒られることへの恐怖があった。


 趣味が出来ず、学校のクラスメートとコミュニケーションを行えなかった時。せっかくできた友達ともたった数日で疎遠になった時。


 彼の中では孤独への恐怖があった。


 付きっきりだった先生がさじを投げた時。高校卒業時、親から見る目が無かったと絶縁を告げられた時。


 彼の中では失望された時の恐怖があった。


 そして今、ネットの者達から行けと言われ、現地では周りの屈強な奴等に脅され、殴り合う羽目になった時。


 彼の中で恐怖がすべて混ざり合って出て来た。


 やらなかったら怒られるのではないか、失望されるのではないか。

 また自分の周りから誰もいなくなるのではないか。

 やっとネットという居場所を見つけたのに、そこからもはじき出されるのではないか。


 まぜこぜになった感情に基久のキャパは限界突破、半狂乱で戦い始めたが……結果はどうだったろうか。

 ずっと優勢に立ってた筈なのに、気が付けば対応され、半ば覚醒を遂げた映児にのされてしまったのだ。


「……」


 力無く口を開けたままの基久。

 映児の拳で歯は何本か吹き飛び、間抜けな様相と化している。

 呆然とした目で見つめる先には破顔一笑の映児が、そして彼に向けて割れんばかりの歓声を送る観客達が見える。

 先ほどまで自分を見ていたのに、気が付けば違うやつを見ている。

 ネットの者達も配信上で、相手の方に称賛のコメントを送っているだろう。


「……」


 ハシゴを外されたのだ。必死に頑張り、周りの期待に応えようとしたのに。


「……ぃ」


 全てを目の前の相手が掻っ攫っていった。


「……ぃィ゙」


 頑張ったのに、頑張ったのに……本当に、頑張ったのに。


「……ぃィ゙ィ」


 基久の感情が変わり始める。

 恐怖から絶望、絶望から悲しみ、悲しみから嫉妬、そして――嫉妬から怒りへと。


「……ィ゙ァァ゙ァァ゙ぁアぁア゙ぁアッッッ゙ッ!!!!」


 瞬間、基久は吼え、映児の元へと全身の全てを使い飛びかかって行く。

 これまでとは違う、獣のような奇声を上げながら。


「!?」


 突然の奇襲に反応が遅れた彼に対し、基久は飛翔したまま両の手を開き、容赦無く攻撃を繰り出す。

 叩き下ろすような一撃、狙いは彼の両の肩だ。


「ア゙ッッギィア゙ぁア゙ァ゙ァ゙ァッッ!!!!」


 怪鳥音と共に振り下ろされたそれに、映児はガードを固めようとするが間に合わない。

 肩辺りに奴の爪が刺さり、一気に振り抜く。

 途端、肩に三本線の引っ掻き傷が出現、微量ながら血が吹き出し始めた。


「うッッ」


 痛みに顔をしかめ、動作が緩慢になる映児。そんな彼に対し基久は追撃の手を緩めない。


「ギィ゙ッッ」


 振り下ろした体勢から前方に跳躍、頭突きが腹へと一直線に刺さる。


「ギア゙ぁあ゙ァッッ!!」


 猫背気味に後退った彼へと低い構えで距離を詰め、体を捻り、大振りの一撃を横に薙いだ。

 さっきまでのテレフォンパンチとは違い、両腕が鞭のようにしなっている。

 中国の武の一つ鞭打べんだだ。

 偶然にも脱力させながら放った一撃は、映児の胸元に当たった瞬間、乾いた音を響かせていった。


「ダッッ」


 更に体を屈曲させ、映児は片膝をついてしまう。

 基久は追撃を仕掛けようとするが、彼が苦し紛れに右拳を振り回したことで飛びのいていった。


「……?」


 様子が一変した基久に映児は困惑した表情を浮かべる。

 目の前の奴は最初のおどおどした態度から二転三転して獣みたいだ。


 低い構え、喉から鳴るのは獣のような唸り声。そして何より……怒りに満ち溢れた目。

 恐怖も、戸惑いも無く、ただそこにあるのは底なしの怒りだけ。


 まさに獣……獣そのもの。

 理性を捨て去ったかのような基久に、周りの奴や司会者も只々困惑してしまっていた。


「……」


 急な変化に場内が静まり返る中、映児はジッと相手を見つめながらゆっくりと立ち上がる。


「ㇷゥゥ゙ゥゥ゙ゥゥ゙、ㇷゥゥ゙ゥゥ゙ゥゥ゙ッッ」


 喉を鳴らし、鋭く睨みつける基久からは、何が何でも逃さんという怒りを感じ取れる。

 降伏したとしても襲ってくるだろう。


 幸か不幸か、彼の中ではまだガツンッッとした感覚がまだ残ったままだ。いける。

 やっとこさ立ち上がり、構えを構築した映児は、深呼吸を一度はさむ。


「……かかってこいっ」


 そして、挑発ともとれる言葉で自らを奮い立たせ、


 ――襲いかかる基久を真っ向から迎え撃った。


 

 

 

 

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