第18話:懐かしい名前
その日の午後、千代が店内で花の手入れをしていると、再び扉の鈴が軽やかに鳴った。入ってきたのは初老の男性で、少し迷ったような様子で店内を見回していた。
「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」
千代が声をかけると、男性は微笑みながら言った。
「この店、昔からありますね。随分と懐かしい気持ちになりました。」
その言葉に千代は驚いた。この花屋は千代の母が始めたもので、すでに何十年も続いている。男性は店の棚に並ぶ花々を眺めながら、静かに語り始めた。
「実は、若い頃、この店で何度か花を買ったことがあるんです。当時、ここで働いていた女性が作った花束を、大切な人に贈ったことがありましてね。」
千代の胸に温かいものが広がった。それは、母がまだ元気だった頃の話だろう。
「その女性は…もしかして、私の母だったかもしれません。」
男性は驚いた表情を浮かべた後、少し目を細めて微笑んだ。
「そうですか…それは奇遇ですね。あなたがその娘さんとは。」
千代は男性の話を聞きながら、花屋が積み重ねてきた時の重みを感じていた。この店には、花を通じて紡がれた多くの人々の思い出が息づいているのだ。
「今日は、その頃を思い出して、自分にも花を贈りたいと思いまして。」
男性が選んだのは、控えめながらも優雅な白いカーネーションだった。その選択に、千代は彼の穏やかな人生を感じ取るのだった。
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