兄妹
残されたのは、奏と祥也。
ストーブの焔が燃えて軽く弾ける音と、懐かしく優しい音楽が流れる静かな店内に、男達は無言で佇む。
何故か気まずい雰囲気が流れたが、それを破ったのは奏だった。
「今日もお客さんが多くて驚きました」
「クリスマスファンタジーの時期ならもっと凄い。年が明けてまだ落ち着いているほうだ」
暫く躊躇うように視線を彷徨わせていた奏は、やがて思い切ってと言った風に祥也へ言葉をかける。
それに対する祥也は、口調こそそっけないが。言葉の内容としてはきちんと答えているし、自鳴琴が賑わっていることについては喜んでいる様子だ。
クリスマスファンタジー? と首を傾げる奏に、祥也が説明してくれる。
毎年12月1日から開かれるイルミネーションイベントであり、毎年近所の赤レンガ倉庫前の会場にカナダから贈られたモミの木が設置される。
装飾施されたツリーは決まった時間に点灯式が行われ、それに合わせて花火があがり。
その他にも様々なイベントやオリジナルグッズの物販、市内の飲食店によるスープバーなどが開かれる、函館の冬を代表するイベントなのだという。
声音はぶっきらぼうだが、奏にも分かりやすいように言葉をかみ砕いて説明してくれる祥也を見て、奏は思わず嬉しそうに笑ってしまう。
「何をそんなに嬉しそうにしている」
「祥也さんが僕にもわかるように、って説明してくれているから……。てっきり、嫌われているものだと思っていたので……」
怪訝そうな眼差しで奏を見ながら言う祥也に、奏ははにかみながら返す。
それを聞いた祥也は僅かに憮然とした面もちになったが、直ぐに視線を逸らしながら大きな溜息交じりに口を開く。
「……別に、嫌っているわけじゃない」
「でも、僕が詩織さんの傍にいるのは、面白くない……のではと感じてしまって」
顔を背けながら言われた言葉を聞いて、奏は少しだけ表情を曇らせながら。日頃気になっていたが口に出せなかった思いを口にした。
奏は、祥也が自分に向ける眼差しに、敵意はないものの好意的でもないということに気づいていた。
あからさまに辛くあたられるわけでもないし、理不尽な仕打ちをされるわけではない。
だが、奏の存在を快く思わない時がある、と感じている。
「最初は、祥也さんと詩織さんが、兄妹だと思わなかったです。兄さん、って呼んでいるのを聞いて、漸く気付いて。詩織さんが大切だからなのかな、って……」
奏は、少しだけ苦笑いを浮かべながら続けた。
そう、祥也が奏を見る眼差しには何処か面白くない、と言った様子の色合いが滲むことがある。詩織は気付いていないが、奏は肌でそれを感じてしまっていた。
まるで、自分の恋人や伴侶の近くにいる異性に対して向ける感情にも似た、所謂嫉妬とも思えるものだと。
だから、何も分からなかった頃は、祥也は詩織の恋人なのかと思ってしまったものだ。すぐに詩織が「兄さん」と呼んでいるから、二人が兄妹であるのだと知ることになったが。
祥也が妹を大切にしているのであれば、詩織の側に得体のしれない男がいる状況が愉快であるはずがない。
奏が恐る恐る告げた言葉に対して、返ってきたのは不思議なほどに重い沈黙だった。
思わぬ流れに奏が笑顔のまま固まってしまっていると、やがて祥也の口から深い溜息が零れ落ちる。
「血は繋がってない」
「え……?」
目を瞬きながら聞いたことが理解できないと言った様子で言葉を失ってしまっている奏に、もう一度深く息を吐いた祥也は説明し始める。
「俺の父親と詩織の母親は、お互い子供を連れて再婚した。だから俺達は、血のつながった兄妹じゃない」
祥也の語るところによると、こういうことだ。
詩織の母親である千佳子は、離婚した後に物心つくかつかないかの年頃だった詩織を連れて故郷である函館に戻り、このカフェを開いた。
そして、常連客の一人となったのが同じく子供を連れて離婚した祥也の父親であり。やがて、二人は互いの子供を連れて再婚した。
最初こそ思わぬ経緯で出来た兄妹であったが、すぐに打ち解け。親子仲も良好で、幸せな家族となることができた。
「あの……」
「別に聞かれて困ることじゃない。常連は皆知っている話だし、隠しているわけでもないからな」
申し訳なさそうに言葉に窮している奏に、緩く頭を振って見せながら、祥也は淡々とした声音で告げる。
二人が義理の兄妹であるということは、特段伏せられている情報ではないし。ある程度自鳴琴の事情を知っている人間なら、誰でも知っていることらしい。
だが、奏はやはり気まずそうに顔を曇らせた。
詩織達が血のつながった兄妹じゃないというなら、奏が日頃抱いている問いが尚更重いものとなるからだ。
「でも、祥也さんは」
逡巡の後に、奏は静かに口を開いて。そこで、一度躊躇って言葉を切る。
だが、何かを察したように顔を歪めた祥也を見つめながら、恐る恐るといった様子で続きを紡いだ。
「詩織さんが、好きなのでしょう……?」
好きには色々な形がある。言葉だけでとらえれば、兄として好きなのだろうとも取れる。
だが、奏が口にしたのはその意味ではない。
時折口うるさくても、いつも詩織を優しく守り、大切にしている祥也。
きっと彼にとって、詩織はただの妹ではない。
彼は、詩織のことを……。
「……やっぱり、俺はお前が苦手だよ」
苛立たしげに顔を歪めたまま、盛大な溜息と共に、祥也はただそれだけを告げると唇を引き結び沈黙する。
それは、取りも直さず奏の言葉に対する『肯定』だった。
奏は、その様子を見て確信してしまう。祥也は、詩織を妹としてだけではなく、一人の『異性』としても大切に想っている。
けれど、それを口にだすことを躊躇っている……。
それは何故なのかと問う権利は、奏にはない。奏は、ただ一時この場所に留まる権利を得ただけの、旅人のようなものだ。
詩織が祥也の想いに気付いているかはわからない。だが、どちらだとしても、今の奏に二人の関係に口を挟むことはできない。
「昔から、あいつに好意を持った奴はそれなりにいるし。告白してきた奴もいた。だが、あいつは全部断ってきた。受け入れられない、変わりたくない、変えたくないって……」
誰かの好意を受け入れるのを恐れているように、詩織は全てを拒絶してきた。
受け入れてしまうことで、自分が違う何かに変わってしまうことを。自分を取り巻くものが変わってしまうことを、ただ恐れていた。
祥也は、少しばかり横顔に複雑な哀しみを滲ませながら、誰に聞かせるでもなく言葉を重ねる。
「あいつは、頑なに『変わらないまま、ここに居たい』って思い続けている。俺は、決定的に『何か』が欠けている」
それは、どういうことなのだろうと奏の心に疑問が生じる。
でも、今の自分が問いかけてはいけないことだ、と過去を失った青年は己を戒めた。
二人が内に抱えるものに触れて良いほどに、まだ奏は二人の今までを知らない。
俯いて沈黙してしまった奏の耳に、独白めいた祥也の言葉が聞こえた。
「だから、俺達は。この場所で……『違う形』になるわけにいかないんだ」
それきり、店の中には沈黙が満ちる。
その場にあるのは、それ以上を拒むような固い空気と、緩やかに流れるノスタルジックな旋律だけ。
奏も、祥也も、何も言わなかった。視線を交わすこともなく、お互いが今どのような表情をしているのかもわからない。
だが、長いようにも短いようにも思えた時間は軽やかな足音で終わりを告げる。
感謝を口にしながら笑顔で戻ってきた詩織へと、奏と祥也はそれぞれの思いと想いを押し隠して笑顔を向けた……。
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