鬼の骨

λμ

 夜、雪が薄っすら積もる山中に、薪の爆ぜる音と、三人の男の声が響いた。


「――いやあ、思ってたより楽しかったよ。寒いけど」


 言って、樋口ひぐちは白く色づいた息を吐きながら笑った。

 その斜向かいで、近藤こんどうも火ばさみで焚火をいじりつつ笑う。


「マジで、ね。木崎きざきが冬キャンプしようとか言ったとき百でナイと思ってたわ」


 それそれ、と樋口と近藤が互いを指差し合ってまた笑った。

 焚火を挟んだ向こう側で、名指しされた木崎が、傍らの雪玉に差してあるウィスキーのボトルを取った。楽し気に肩を揺らし、丸太椅子の足元に置かれたマグカップに注いで口に運ぶ。


「だから言ったろ? 冬の焚火は超楽しいって」


 くはあ、と酒精に焼かれた息を吐き、ボトルを二人に差し向ける。出されたコップに注いで一斉に口に運ぶ。ボトルを空にして帰り際に捨てていく算段だった。


 三人は大学の同じゼミに所属していた。一年目、大学側に強制されたゼミの集まりで当然ながら酒が出ず、飲みなおそうと訪れた店で出くわしたのが縁で今もつるんでいる。

 

 一浪している樋口だけが二十歳で、残る二人は十九歳だ。本来なら窘めるべきではあるが、本人も成人前から酒を飲んでいたため多目に見ていた。


 その樋口が夏休み中に免許を取得したため、近藤が冬のあいだに旅行しようと言い出し、木崎が自分の昔の地元で冬キャンプはどうかと提案したのがはじまりだ。


 はじめは乗り気でなかった樋口と近藤だったが、木崎の昔の地元ということで商店が酒や食料を値引いてくれ、また土地の縁とやらで民宿を営む翁から裏手の山ならと許可を得て、自分たちの他に誰もいない穴場での二泊三日は最高の思い出になるはずだった。


「あー……もう無理だわ。飲めない。お前いける?」


 樋口は赤らんだ顔で言った。マグカップの中身は半分ほど残っていたが、そのまま近藤に回す。


「なーんだよ、グっさん、だらしねえなあ。もっといけるだろお?」


 木崎がご機嫌そうに言った。やや呂律が回っていない。

 樋口は虫を払うように片手を動かす。


「無理無理。運転すんの俺だぞ? 二日酔いで冬山とか絶対に嫌だ」

「マジかよ……まだもう一本あるのに」


 そう言って、木崎がウィスキーのハーフボトルを出した。普段なら絶対に買わない十八年ものだった。


「今それ出す? じゃあ一杯だけ……いや無理。やっぱダメ」


 樋口には変に生真面目なところがあった。年齢を黙って酒を飲むのは許しても、申告があれば許さないといった具合だ。たとえ友人でも同乗させるからには酒が残った状態で運転したくなかった。


「んじゃさ、あれ、ちょっと散歩がてら肝試しに行かねえ? 途中で酔いがめてきたら一杯だけ、みたいな」

「肝試しってお前……まあいいか。今日で最後だもんな」


 そう言って二人が揃って立ち上がると、酔っ払いらしく少し遅れて近藤が慌てた。


「え、ちょ、待ってよ! 俺だけ居残り!?」

「バーカ」


 木崎が言った。


「誰かが火の番しねえとだろ? 山火事になったらやべえよ」

「だ、だったらほら! こうすれば」


 と近藤はすっかり空になった鋳鉄の鍋をひっくり返した。止める間もなかった。重い音を立てて鍋が焚火サイトに被さり、パッ、と火の粉が散ったかと思うと、辺りは真っ暗に――ならなかった。


「う、お……」


 と樋口は思わず呻いた。火を失くしたことで、木々の影は黒く、空は深い紫に、そして月明りを受けた雪は青白く地面を照らしていた。


「いいじゃん。雰囲気あって」


 酔っていたのだろう。樋口はLEDライトを手に取った。

 歩くたびに靴の下で雪が砕ける感触があった。木崎はたしかに勝手知ったる様子で、ときおり手にしていた十八年物のボトルに口をつけつつ進んでいく。


「おい、ぜんぶ飲むなよ?」


 樋口が声をかけると、後ろから近藤がつづけた。


「てかまだ? どこまで行くん?」


 すると、木崎が怠そうに振り向き、光量の強いライトを二人に向けた。眩しさに手を掲げると、彼はすぐにライトを下ろして唇を歪めた。


「もうちょい。キコツの祠っていうんだけど、グっさん知ってる?」

「いや知るわけないでしょ。ガイドさんしっかりしてよ」


 クックと肩を揺らし、木崎は森に浸み込むような声で言った。


「むかーしむかし、このあたりにいた鬼を祀ったっていういわくのちいせえ祠。ガキの頃よく肝試しに使ったんだよ」

「なんだ、子供だましか……」


 と近藤が落胆した様子で言うと、木崎が笑った。


「そうだよ。だからそんな怯えビビるなよ。ガキに笑われんぞ?」

「ビビってないって! ねえ、グっさん!」


 水を向けられ、樋口は肩をすくめて震えて見せた。


「どうかな。俺はチビりそうだけど」

さみいからだろ? ほら、飲む?」

「……一口だけなら」


 樋口は受け取った十八年物を口に含み、気付けにしようと胃袋に落とした。

 近藤も、俺も一口、と一杯やった。

 それからどれくらい歩いただろうか。

 足を止めた木崎がライトの光を絞って木々の間を示した。


「あれだよ」


 キコツの祠は、たしかに小さく、みすぼらしい祠だった。

 本体は五、六十センチ四方の小さな拝殿のような形で、正面に観音開きの扉がついていた。表面は周囲の雪に混じるような白色で塗られているのだが、経年劣化で剥げているのか変色したのか、ところどころ黄ばんでいる。


「……なんか、たしかに子供だましかも」


 あれこれ文句は言ったが、期待もしていた。

 けれど、ときおり目にする心霊スポットと称される場所のような、どうにもならないような嫌な気配がなかった。


「――お、言ったね、グっさん。じゃあ、中を覗いてみようかあ」


 楽し気に言い、木崎はLEDライトを振った。


「……中?」

「キコツの祠……鬼の骨の祠って書くんだけどさ、マジで中に鬼の骨が入ってんのよ。その中にお札を置いてくるのがガキ共の肝試しってわけ。できる?」

「いやバカにしてんのか」

「コンちゃんは? できっか?」

「え!? いや俺は……いや、できるよ。平気」


 言って近藤は酒を一口もらい、樋口の後に続いた。

 ザクリ、ザクリ、と靴の下で雪が砕ける。鳥居も何もない祠。いくらみすぼらしくても祠を開けると言われると手も縮む。ゆっくりと指をかけ、力を込めると、酷く軋んで何かに扉が引っかかった。


「――クソ。コンちゃん、ライト持ってて」

 

 樋口が近藤にライトを渡して両手をかけた。軋む。軋む。勢いをつけて引くとガリガリと耳障りな音を立てようやく開いた――と同時に、


 ガゴン!


 と音を立てて扉が落ちた。


「やっべ!」


 樋口は慌てて扉を拾おうとしゃがんだ。そのときだった。


「ぎゃあっ!」


 と大きな悲鳴を上げ、近藤が尻餅をついた。悲鳴は山中の木々と雪に吸われてすぐに消える。後に残るのは腹を抱える木崎の笑い声と、樋口の呆れ顔だ。


「――だ、だって、それ!」


 近藤が抗議しながらライトを拾い、祠の中を照らした。


「そりゃビビるよ!」


 という声を聞きつつ、樋口も振り向く。

 そして。

 

 絶句した。


 狭い祠には、ミイラとも骨ともつかない何かが押し込められていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る