第一章:新しい世界
最初に感じたのは、乾いた大地の匂いだった。
「ここは……どこ?」
咲は目を開けた。見慣れない草原が、地平線まで広がっていた。遠くには雪を頂いた山々が連なり、澄んだ青空の下で輝いている。
自分の体に違和感があった。手を見ると、それは明らかに若い女性の手だった。しかし、確かに自分の意識で動かすことができる。服装は、獣皮で作られた素朴な衣服。
「まさか……」
混乱する咲の耳に、聞いたことのない言語が飛び込んでてきた。
「*Kʷei essi?」(誰なのか?)
振り向くと、そこには毛皮の衣服を着た男性が立っていた。彼の言葉は、どこか聞き覚えのある音の組み合わせだった。咲の専門家としての直感が、すぐにそれが何なのかを理解した。
(これは……再構成された印欧祖語の音に近い!)
男性は再び話しかけてきた。
「*Mḗh₂tēr twoi kʷei?」(お前の母はどこだ?)
咲は震える声で答えた。
「*Ne woida」(分かりません)
彼女自身、自分の口から印欧祖語の再構成形に近い言葉が出てきたことに驚いていた。しかし、それは自然と出てきた言葉だった。
男性は彼女を観察してから、やさしい表情を見せた。
「*Eh₁i kom moi」(私についておいで)
他に選択肢がないように思えた咲は、彼について歩き始めた。歩きながら、周囲の景色を注意深く観察する。植生や地形から、ここがアナトリア高原であることは間違いないと確信した。
しばらく歩くと、小さな集落が見えてきた。獣皮で作られたテントが十数張り立ち並び、その周りで人々が活動している。
(私は……紀元前7000年頃のアナトリア高原にいるのね)
研究者としての興奮と、一人の人間としての不安が入り混じる。しかし、今は冷静になる必要があった。
集落に入ると、多くの目が咲に注がれた。子供たちが興味深そうに近づいてくる。
「*Xénwos newos!」(新しい客人だ!)
子供たちの声に、大人たちも集まってきた。その中から、年配の女性が歩み出てきた。彼女は威厳のある様子で咲を見つめ、そして微笑んだ。
「*Eh₁su gʷem-ta」(よく来たね)
その言葉に、咲は深く頭を下げた。そして決意を固めた。
(ここで目にするもの、耳にするもの、それらすべてが失われた言語の証拠。私には、それを記録する義務がある)
夕暮れが迫る中、咲は自分の新しい人生が始まったことを実感していた。
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