【転生言語学者短編小説】言霊の考古学 Lost Words Chronicles ~刻まれた印欧の詩~(約6,600字)
藍埜佑(あいのたすく)
プロローグ:最後の論文
東京大学言語学研究室の窓に、春の陽が差し込んでいた。山田咲は画面に向かって最後の一文を打ち込んだ。
「以上の分析から、アナトリア仮説における印欧語族の初期分岐時期を、従来の推定よりさらに1000年遡らせることが可能であると結論付けられる」
咲は深いため息をついた。5年の歳月をかけた研究の集大成が、ついに形になった。彼女は35歳。比較言語学の分野では、すでに新進気鋭の研究者として名を知られていた。特に印欧語族の初期分岐に関する彼女の仮説は、世界的な注目を集めていた。
机の上には、古代語の文献や発掘報告書が山積みになっている。その中でも、アナトリア高原で発見された紀元前7000年頃の遺跡からの出土品の写真が、特に彼女の関心を引いていた。
「あの時代に、実際にどんな言葉が話されていたのか……」
咲は写真を手に取りながら、遠い目をした。考古学的証拠と言語学的再構成。それらを組み合わせることで、失われた言葉の痕跡を追うことはできる。しかし、実際の音声を知ることは永遠に不可能だった。
時計を見ると、もう夜の9時を回っていた。論文を保存し、印刷を始める。明日の朝一番で、指導教授に提出するつもりだった。
「タクシーを呼んでおいてよかった」
携帯を確認すると、あと5分でタクシーが到着する予定だった。咲は急いで荷物をまとめ始めた。
研究室を出る直前、彼女は一瞬立ち止まった。窓の外では、満月が輝いていた。
「月が、妙に大きいわね……」
その時、彼女の携帯が震えた。タクシー到着の通知だ。
咲は足早に建物を出た。春の夜風が、桜の香りを運んでくる。タクシーに乗り込んだ瞬間、強い眠気に襲われた。
「お気をつけて」
運転手の声が、どこか遠くに消えていく。
次の瞬間、世界が暗転した。
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