カフェテラスは甘い香り

 そうやって彼女を外に誘ったはいいが、僕は彼女と話をしたいのだから次の場所は限られる。何処がいいかと歩きながら考えていた。ちらりと後ろの彼女を見やると、彼女は透けた体をふよふよと宙に浮かべ、滑るようにして僕の後をついてきていた。

 彼女を誘ったのは僕だ。何処で話すかも僕が決めるべきだろう。真っ先に公園が思いついたがそれは何だか味気ない。少し考えて、近くに見えたテラスのあるコーヒー屋にすることに決めた。

「ここにしようか。」

 香ばしくおしゃれな香りがいっぱいの店には先客がいたが、レジは空いていてすぐに注文することが出来た。


 頭にパンチを入れたかった僕は苦いエスプレッソを頼み、

「何ば飲む?おごるけん。」と彼女にメニューを聞く

「え?いいんですか。」

「うん。さっきもやけど、やないと僕が落ち着けんけんが。何でもよかよ。」

「じゃぁ、これで。」彼女は甘いカフェラテを遠慮げにチョイスした。


 品物を受け取って出たテラス席は肌寒く、僕ら以外には誰もいなかった。僕は手にある飲み物を相対する様にテーブルに置いて彼女を招く。腰を落ち着けて、ますエスプレッソに口をつける。苦味、渋みが舌をたどってボケた頭をシャープにする。一つ息をついて落ち着いた僕は彼女に声をかける。聞きたいことがあったから。


「君は…」君は誰なのか。本当はこれを真っ先に聞きたかった。

 だから聞こうとしたのだが、これを聞いてしまってはいけない気が不意にした。なので僕は聞くことを咄嗟に変えた。

「なんで、あの赤い封筒を誰かに拾わせようとしとったん?」

「あぁ、ソレいきなり聞いちゃいます?あれはそのぉ。」最初にそこからかぁと彼女は露骨に困っていた。

「歯切れ悪かな。ちゃんと教えてよ。」

「あれは冥婚っていう風習の封筒でして。」

「あぁ、さっき家でもそれを言うとったね。メイコンってなんそれ。」

「そのぉ、死んだ人と封筒を拾った人を結婚させて供養すると言う風習で。」

「じゃぁ僕は君と結婚したってわけ?」

「はい。あぁ、けど拘束力のある公的、法的な結婚ではなく、風習的な、意味でですけど。彼女さんとかいらっしゃるならそちらの方と結婚なさっても何ら問題ないです。はい」慌てているようで、説明している間も彼女は手をパタパタと動かしていた。

「いやおらんし。あっさりとクリティカルでナーバスなとこば抉らんで。グサッと」

「え。」彼女の動きがピタと止まった。


「まぁ、そいでなしてそげな呪術めいたもんば誰かに拾わせようとしてたん?」

「その、アレ両親が用意したんです。だから。」

「そっか。じゃぁしょんなかね。」両親という単語でもうこれ以上先をつめない方がいいと思って僕は短い言葉でこの話題を切った。


「あの、私も聞きたいんです。貴方はなんで拾ってくれたんです?」

「そりゃ、あれだけワタワタおたおたしとーとば見たら心配するくさ。普通。」駅前での彼女を思い出して僕は顔に笑みを浮かべて言った。

「というか聞くとこそこやなかっちゃない?」

「え?」

「なんで私が見えたとですか?が先やなかと?」


「え?あぁそうですね。それですか。」

「まぁ聞かれても僕にはさっぱりわからんばってんね。」

「私にも何故かわからないです。」

「ま、そらそうやね。」


「ただ。」

「ただ?」何か考えがある様な彼女の言い回しに僕は興味を持つ。


「ずっとあそこにいた私が見えたの貴方だけなんです。あの大勢の人が行きかう中で、それこそ私の体をすり抜けていく人すらまでいたその人ごみの中で、あなただけなんです。」


「私を見てくれた人って。」

「じゃぁ、それは“なんで”がある偶然じゃなくて、それは必然で、なんでなんて理由はないんじゃないのかなって私は思ってます。」


 彼女は告白のようなことを軽やかに言ってのけた。


「そ、そういや、君はオバケなんよね?」彼女が生んだぬくい雰囲気にヘタレな僕は話を変えてしまう。

「はい、透けてますし。モノにも触れませんから多分。そうだと思います。」

「なんで、そうなったん? あ!答えとぉなかったら答えんでよかけん。」センシティブなことだけど、聞きたくなったことを彼女に尋ねた。

「さぁ、そこが理解できないんです。なんであんなことでこんなことがって。多分。多分なんですが、―

 いや。いいです。」

「何?気になるんやけど。そこで止めらるぅと。」

「聞いて笑いません?驚きません?」彼女ははずかしいのか手を口の前で合わせながらそう僕に聞いてくる。

「笑うかどうかはわからんけど驚かんことは約束できる。オバケの君が目の前におる。これ以上に驚くことげななかやろ。」

「じゃ、じゃぁ。多分。多分ですよ。多分なんですけど、その亀が頭に当たって…それが原因じゃないかと。」

「亀?」

「はい。亀です。歩いてて衝撃が頭に来て、倒れて、薄れる意識の中で見えたのは目の前にひっくり返ってたそれだけでした。」そう言った彼女は両手で顔を隠した。


「亀が頭に。ゴメン。笑いはしないけど驚いた。」

「えぇ?」

「いや、そういうので死んだ偉人の話がどっか向こうの方の昔にあったんよ。ハゲワシが落とした亀が頭に当たって死んだってのが。」僕は向こうの方でとさらに手振りをした。

「はぁ。そんなことが。」

「史実かは知らんけどね。それで、あるんやぁ。って、やけん驚いた。」多分、僕の顔は軽く笑ってもいたと思う。


「ハイ。あったんです。多分」彼女の顔は赤くなっていて、バツが悪いのか間を作るためか透けている手でカフェラテを取ろうとするも、当然その手は空をかすめるだけに終わる。

「あ。」やった事に短く驚く彼女。それを見た僕はテーブルに身を乗りだしてカフェラテのカップをとって彼女の口元まで運んでいた。


 何の思惑も打算も考えもなく、ただ僕の体がそう動いていた。


「あ。ゴメン。」やったことを理解した僕は、目の前の彼女にそう謝った。

「いえ、ありがとうございます。」そう言って彼女は口元にあるカップに口をつけた。


 この時の少しの沈黙。そこには確かに天使が飛んでいたそんな気がする。



 今思うと、僕ら以外の誰か、例えばさっきのレジの子や、店にいる客。彼らから見れば、この時の僕は街中で一人芝居をしている狂人、マイルドに言ってもらえてすらがっつり変人なんだよなコレ。


 でも、この時の僕は目の前の彼女と話をしていたんだ。

 それもひどく自然に。


「さってとせっかくの昼間なんだ。これからどげんしょっか。」ひとしきり話を終えてなんとなくで状況を飲み込んだ僕は一つ伸びをして、青と白で斑の晴れてるとも曇ってるとも何とも言えない空を見上げて彼女に聞く。

「私は貴方にとり憑いてる? みたいな感じなんですし気になさらず貴方が行きたいところに行きませんか? そうですね!私あなたの行きたいところに行ってみたいです!」

「それってもう僕のセンスば問うってやつやなか?」

「いえ、そういうことでもなく。」

「はは、じゃぁ時たま僕が無性に行きとうなる場所さい行こうか。」僕が今行きたい場所。それはすぐに浮かんだ。


「どこですか?」

「水族館。好いとっちゃんね。」

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