『ラーメン、宇宙、タイムスリップ』
西暦3189年。地球から何光年も離れた宇宙空間。
地球に戻るロケットに乗った男は、カップヌードルを啜っていた。
「ズルルルル・・・。っあ~。ようやくこの味ともおさらばだ。やっと本物のラーメンが食べられる。」
この発言と後ろに積み上がるラーメンの空き容器が示す通り、男は大のラーメン好きだ。
学生時代はラーメンの為に全世界を飛び回っていたが、卒業して親の稼業である宇宙探索士を継いだ後は1年のほとんどが宇宙空間での生活。
地球に降り、麺から作った自家製のラーメンを食べれるのは、ロケットの補給と修繕を行ってもらう間の1週間だけだった。
ようやく新惑星探索が終わり、明日には地球に帰還できる。
すでに衛星通信で名店の朝イチの予約を取り、テレポーテーションも船着き場から店の最寄まで繋げてある。
後は宇宙船の帰着を待つだけだった。
「ふふっ。イタリアのパルミジャーノ・レッシャーノとスリランカのホワイトペッパーをふんだんに盛り付けた七郎系ラーメン。どんな味なんだろ・・・ん?」
涎を垂らして妄想していた男は、急に窓の外が暗くなったことに違和感を覚えた。
直後、全速前進していたロケットが思いっきり横方向に引っ張られ始めた。
男はカップラーメンの空き容器と共に、左の壁に叩きつけられる。
警告音が鳴り響き、危険を知らせる回転灯が船内を真っ赤に染めた。
「危険。危険。突発性ブラックホールが出現しました。搭乗者は直ちに宇宙服を着用して下さい。繰り返す。危険・・・」
「くそっ!出くわす可能性が0.0000001%の宇宙災害だろ!?ミレニアムRX、エンジン全開!面舵右一杯!」
音声認識によってロケットが回避運動を取るが、時すでに遅し。
ブラックホールは容赦なく船体を男とラーメンごと飲み込んでいく。
「うわぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
今までに感じた事の無い、形容し難い多方向の力に男は叫び、気を失う。
ロケットは完全に消失し、後には静かな宇宙とブラックホールだけが残った。
「・・・ぅうん。ここは?」
「!!」
男が目を覚ましたのはベッドの上だった。
目の前には青白い、というよりほぼ水色に近い肌をした女性が覗き込むように立っており、男の目覚めを喜んでいた。
手を叩いて飛び跳ねる女性を横目に、男は部屋の中を見渡した。
壁は全て液晶で出来ており、見たことも無い言語が飛び交う。
男の腕に刺さった針は点滴のようだが、そのボトルは空中に浮いていた。
一瞬男はここが宇宙空間だと考えたが、であればベットも浮いていなければおかしい。
どうやら意図的に無重力状態を作り出しているようだ。男の知る限り、そんな技術は開発されていなかった。
混乱する男に、女性が顔を近づけてきた。
何かを必死に語り掛けてきている様子だが、なぜか口を1mmも開いていない。
「あの~。何か言いたいことがおありなんですか?」
「!!」
ジェスチャーも交えて質問した男に、女性は何か気づいたようだ。
トントン、と頭を人差し指で叩くと連動して壁の液晶が震えだす。
3秒後、突如壁からマイクの先だけを切り取ったような形の球体が飛び出し、女性の口の前でピタリと止まった。
『A、ア、あ。このげンごですかね。失礼しました。あなたはテレパス細胞を組み込んでいないのですものね。音声出力が必要な事を忘れていました。』
あっけに取られる男を前に、女性は説明を続ける。
『改めてようやくのお目覚め、おめでとうございます。ここはあなたの居た時代から3000年後の地球です。』
「さ、3000年!?」
『はい。といっても西暦は4132年で終わり別の時刻制度が採用されたので、今の年度は違いますが。』
「そんな時間が経って、なんで俺は生きている?事故から奇跡的に生き残ったとしても、とっくに骨になってるだろう。」
『実は、あなたが発見されたのはつい昨日のことなのです。時空型断絶穴・・・あなたの時代で他の断絶穴と纏めてブラックホールと呼ばれていた物に巻き込まれて、この時代までタイムスリップしたのです。』
「タ、タイムスリップ?」
『はい。勝手ながらあなたの血液を検査させていただいて、検証した結果から分かりました。といっても時空型断絶穴から生物が出てくるケースは初めてで、私たちも喜んでいるのですよ。意図的に時間を超える研究の、大きな一歩です。』
通りであんなに喜んでいたのか、と男は納得する。
同時に今置かれている状況への整理も付いたお蔭か、宇宙災害から生き延びれた、という安心感がドッと男の胸中に湧いた。
こわばった体が弛緩し、男の腹がグゥゥゥと大きな音を立てた。
『おや、お腹が減っておられるのですね。ではこちらを。』
女性がまた頭に触ると、壁から白色の丸い球体が男の鼻先まで飛んできた。
野球ボール大のその球は何やらいい匂いを放っている。
甘いような、辛いような、魚のような、肉のような、熱いような、冷たいような。
形容し難いが、とにかくそれが美味しい物だという事だけは分かった。
我慢できず、男は球にかぶりつく。
サクっとした食感の皮の下にはモチッとした柔らかい身が入っていた。
口の中に甘味、苦味、辛味、酸味などなど・・・多種多様な味わいが広がる。
その全てが絶妙なバランスで絡み合っており、1口で今までにないほどの満足感が男を襲った。
間違いなく今まで食べた中で最も美味な食品。
常人であれば状況も相まって、感極まり涙を流していただろう。
だが・・・
「ラーメンじゃない。」
『え?』
ラーメン狂人である男にとって、この世の食材はラーメンか否かの2択しかない。
そして男は後者に何の感情も湧かないほどに、ラーメンを愛していた。
「この食べ物は確かに凄い。だがすまない、俺が食べたいのはラーメンなんだ。ラーメンを持ってきてくれ。」
『ラーメン、ですか。古文の講義で1度だけ聞いた事があります。高い塩分と油分を含みながらも、1部の人々にこの上なく愛されていた食事だと。』
「いや、塩も油も使わないラーメンもあるぞ。例えば昆布だしの・・・いや、今はいい。とにかくラーメンは無いのか?」
男の問いかけに、女性は申し訳なさそうに顔を伏せた。
『実は、今の世の中にはパフェク・・・そちらの食べ物しか流通していないのです。』
「え?」
絶望する男を前に、女性は説明を続ける。
『約1000年前、温暖化による食糧難を受けて各国で人口食材の研究が活発になりました。それから500年後、研究の集大成として生み出されたのがこのパフェクです。以来、流通やタイムパフォーマンスの観点から食事をパフェクのみにする人々が増えていって、他の食材は淘汰されていきました。』
「そんな・・・。では、麦や大豆の生産は・・・。」
『残念ですが、今生産されているのはパフェクの原料になる化学物質のみです。』
ということは、麺も醤油ベースのスープもこの世界では作れない。
あまりに残酷な現実に、男は頭を抱えてうなだれた。
『あの、そこまでラーメンは美味しい物なのですか?』
「ああ。確かに味はこのパフェクに劣るかもしれないが、大ぶりの器に入った麺とスープ。立ち込める湯気の中から箸で麺をリフトアップして思い切り啜るあの瞬間。そういう体験も含めて、ラーメンは最高の食べ物なんだ。」
『大ぶりの器・・・それはこのような物ですか?』
女性が頭を叩くと、壁から1つの皿が生成されて飛んできた。
縁にドラゴンの絵付けのされた深めの器。
まさにラーメンにぴったりの丼だった。
「そう!まさにこの皿だ!こんな綺麗な状態で残っていたのか!?」
『いえ、これは今私が頭の中でイメージした物を素材から生成した物です。面白い形で記憶に残っていたのが、功を奏しましたね。』
「素材から・・・そんな事が出来るのか。」
夢物語のような技術に男は圧倒される。
だがここまで美味な食材を人工で作れるのだ。無機物の再現など造作も無いだろう。
・・・では有機物の再現は?
「これだ!!!」
男は疲労も忘れて飛び上がった。
驚いて目を丸くする女性を見下ろしながら、男は矢継ぎ早にまくしたてた。
「このパフェクには様々な食物の成分が含まれているんだろう?」
『は、はい。1万を超える食品成分が完璧なバランスで調合されています。』
「なら、その成分のバランスを変えることも可能だな!?」
『出来ますが、この味は500年間変わらない最高の味で・・・』
「頑固一徹の大将がやってるラーメンみたいな事を言うな!味っていうのは色んな変化があって、時代や人、場所に合わせて変わっていくからこそ深みが出るんだ!俺は作るぞ!このパフェクを組み替えて、俺の食べたかったラーメンを!」
半年後。
「らあめん」と書かれた暖簾のかかる小さな屋台が薄暗い路地に建っていた。
重力操作によって宙に浮く家やビルが当たり前になった現在において、地面から動かない屋台は逆に人目を惹いた。
男は屋台の小さな厨房で、ラーメンを作れる喜びに胸躍らせながら麺の湯切りをしていた。
反対側にある3人掛けのカウンターには男を助けてくれた女性が座り、興味深そうに調理風景を眺めている。
数々の研究と試作を繰り返して1000年ぶりに復活したラーメン。
もはや身内もいない男が最初に提供しようと思ったのは彼女しかいなかった。
『ここまで長かったですね・・・』
「そうか?半年なら十分早い方だろう。」
『それはあなたが全く休まず研究していたからですよ。なんど風呂に入れ、ご飯を食べろ、寝ろ、と忠告したか。』
「悪い悪い。早くラーメンが食べたくてな。」
湯切りを終えた男は麺を皿に移し替える。
醤油(の要素をパフェクから抽出した)スープを注ぎ、あらかじめ用意していたチャーシュー、ほうれん草、ゆで卵、メンマを盛り付ける。
最後にレンゲを差し、男はラーメンを女性の前にドンと置いた。
「あいよ!ラーメンいっちょう!」
『ありがとうございます。このハシ、という物を使って食べるのですね?』
女性は男の研究を手伝う中で得た知識を思い出しながら、卓上から割り箸を取って2つに割る。
だが、食事に道具を使ってこなかった人間に2本の棒を片手で扱うのは難しい。
男に教えてもらいながら格闘したが、結局箸の柄を握りしめて麺をすくって食べることになった。
「ズルルルル・・・。!?」
麺をすすった女性は初めての味わいと食感に驚き目を丸くした。
『これは!?濃い味の液体が柔らかい小麦の紐を通して口の中に流れ込んできます!噛めば噛むほど味が沁み込んで・・・この数々の具材が異なる食感と味わいで更にバリエーションを与えているのですね!』
女性はラーメンを食べ進みながら宙を浮くマイク(正式な名前は『思念言語化装置』と言うらしい)を通して感想を述べる。
その的確な批評と美味しそうに麺を啜る姿に男は気恥ずかしくなり鼻の下をこする。
「へへっ。じゃあ俺も頂きますかね。」
男はあらかじめ用意していたもう1玉の麺も湯切りして、先ほどとは違うスープに盛り付ける。
パフェクから抽出した具材はイタリアのパルミジャーノ・レッシャーノとスリランカのホワイトペッパー。
男が3000年前に予約していたラーメンの再現だ。
山のように盛られたチーズと胡椒を箸で掻き分けていくと、奥の方にある太い縮れ麵に到達する。
持ち上げることで、豚骨と魚介のダブルベースのスープと最高級のチーズが絡み合った至極の麺の完成だ。
待ちきれず、男は麺を一息にすすった。
「ズズズッ。」
「っっ!!!ぐっっっ!!!がぁっっっあ!!!」
余りの美味しさにうめき声が漏れる。
3000年待ったミシュランレベルのラーメン、その威力は絶大だった。
厳密には男がラーメンマガジンから得た知識で再現した物なので、店本来の味ではない。むしろ男のオリジナルラーメンと言っても良いだろう。
だがそんな事はどうでもいい。
喉から胃に流れ込む油と旨味の暴力。その前には全てが無意味だ。
ズズズ・・・
ズズズズ・・・
それから小さな屋台の中では言葉は無くなり、ただ2人がひたすら麺を啜る音だけが響いた。
この後、男が復活させたラーメンは完全食料に慣れた人々の間に衝撃を与え、空前のラーメンブームを巻き起こす事になる。
しかし、食生活が一気に偏ったことで平均寿命が激減。
ラーメンは『悪魔の食べ物』のレッテルを張られながらもその味を忘れられない人々によって受け継がれていき、やがては秘密宗教へと発展していくのだが・・・。
ズルル・・・
ズルルル・・・
そんなことは今の2人にとってはどうでもいい。
見よ!麺を啜る人間の幸せそうな顔を!
ああラーメン。至高の食べ物。
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