『除虫菊、葬式、薬』

祖母の家は広島市、因島の山の中腹にあった。

戦前から建つ瓦葺きで漆喰壁の家は、すき間風や雨漏りが酷かった。「あるがままがいっちゃんええ」が口癖の祖母が改修を拒んだからだ。


庭からすき間だらけの屋根を見上げると、その穴から家の後ろに広がる、白い除虫菊の花畑を見ることが出来た。

青い瀬戸内海と横切る船を眺めるのも楽しかったが、私は花畑の方を気に入っていた。


白の絨毯をもっと視界に収めようと必死に背伸びをしていた私を、祖母は除虫菊の見える場所まで手を引いて連れて行ってくれた。

目を奪われる私と同じ方向を見ながら、祖母はぽつぽつと愚痴を言っていた。


「最近の子は皆あかん。人の手が入らないのがいっちゃんええのに、すぐ便利に綺麗にしたごぅて。」


ひとしきり呟いてから、祖母は私の方を見てにこっと微笑んだ。


「その点あんたはよぉわかっちょる。きっと将来はすっぴんさんでも十分美人さんだ。」


帰省する度に日が暮れるまで除虫菊を見てから祖母の家に帰っていたのを、今でもよく覚えている。



中学生になって弟が生まれると、因島に行く機会はめっきり減った。

祖父が死に、祖母も足を悪くして杖をつくようになった。

私は1人で除虫菊を見に行っていたが、家を出る度に祖母は申し訳なさそうに玄関で送り出してくれた。


「ごめんねぇ。あぶねぇから、一緒に行ってあげたいけども。」


もう子供じゃないよ、とムッとして返すと、更に申し訳なさそうに「ごめんねぇ。」と繰り返す。

祖母を悲しませてしまった罪悪感から逃れるように、足早に外へ出て行った。


除虫菊の畑は相変わらず綺麗だった。

「除虫」と付くがそのままの状態では殺虫効果が無い、と知ったのもこの頃だ。

些細な事で人を傷つける私よりもよっぽど偉いや、と思うと自分が惨めに感じて、日が暮れる前に家へ帰った。



高校生になって、祖母は体調を崩して入院した。

ちょうどコロナが被って面会が禁止になり、ようやくお見舞いに行けたのは高校3年の春。病は既に祖母の体を侵しつくしていた。


痩せこけてベットに横たわり酸素マスクを付けた祖母は、私を見ると少し微笑んだ。


「・・・きれいやねぇ‥」


マスク越しでくぐもったその言葉が、私の聞いた祖母の最後の声だった。

投薬を拒否した祖母に残った時間は1年も無いという。

皆が必死に説得する中、私の目は病室の窓際に飾られた1輪の除虫菊に向けられていた。



大学入学の直後、祖母は亡くなった。

親族が一堂に会して盛大なお葬式が行われ、供花には除虫菊が選ばれた。

祖母の意志だったのか、そうでなかったのかは分からない。


献花の際、棺桶の中の祖母を見た。

死に化粧で微笑を浮かべる祖母の横に敷き詰められた除虫菊は、造花だった。


因島の家は老朽化が酷く、観光客向けのホテルを建てるために取り壊されるらしい。

ふと私は、除虫菊の花畑の中に白骨で横たわる祖母の姿を想像した。

妄想ながら、その姿は今まで見た何よりも美しかった。

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