『曇、おじさん、灰皿』
「はぁ。今日は曇か・・・。」
玄関のドアを開けたおじさんは、灰色の空を見上げてため息をつく。
外出の理由は近所の小さな商店で安く売られている野菜のお使い。
だが、おじさんにとってそれはオマケでしかない。
本命は商店に置いてある小さなスタンド型灰皿でマルボロを一服することだった。
今時めずらしいスタンドライトのような形の赤い灰皿。
一目見て気に入ったおじさんは以来、たばこを吸う言い訳に商店への買い物を引き受けるようになった。
だが通い詰めるにつれて、1つ小さな悩みが出来た。
それは灰皿の有無が天気によって変わることだ。
晴れの日は駄菓子や野菜が陳列される正面入り口の少し横に灰皿が置かれる。
しかし雨が降ると商店に広い屋根の無いせいか、灰皿は置かれない。
なのでおじさんは雨が降っていたら色んな理由を付けてお使いを断るのだ。
では曇りの日は?
厄介なことに、灰皿が置かれている時もあれば置かれていない時もある。
せっかく片道20分歩いて来ても、灰皿が無ければキャベツかお菓子を袋に入れてトボトボと帰る他ない。
重石を付けての40分の歩行は、最近増々腹囲が増してきたおじさんにはかなりの重労働だ。
だがそのリスクをもってしても、おじさんのニコチンへの欲望は止められなかった。
「前はこれくらいの雲でも置いてあった。大丈夫、大丈夫・・・。」
おじさんは言い聞かせながらペタペタと歩いていく。
横断歩道を渡り、よく吠える犬のいる家の前を静かに通り過ぎ(結局吠えられた)、赤い筒状のポストの横を右に曲がると、後は真っすぐ進むだけだ。
1歩1歩と商店に近づくごとに、おじさんの心拍も上がっていく。
そして遂に商店が目に見える位置まで近づいて来た。
おじさんは店先の陳列された野菜、の横を注視する。
そこには愛すべき、オアシスのような、赤い灰皿が確かに置いてあった。
『粗大ごみ』のラベルの付いた袋に包まれて。
「えっ!?」
おじさんは思わず灰皿に駆け寄った。
使い古されてボロボロになった赤い灰皿は、確かに都指定のゴミ袋に入って置かれている。
あっけに取られるおじさんを見てか、商店の店主をしている白髪で腰の曲がったおばあさんが店から出てきた。
「あら、またお使いかい。」
「おばちゃん、これ・・・」
「はぁ~ごめんねぇ。なんや都のホーカイセイ?っちゅーので、灰皿出さにゃーことになってーよ。どうせもうボロボロだに、捨てることにしたんよ。ごひいきにしてくれちょる手前申し訳にゃーど、たばこは家で吸ってちょーだいねぇ。」
おばちゃんの言葉が最後通告のようにおじさんの頭を撃つ。
家を出てひたすら探した喫煙スペース。
その最後の1ヶ所が失われた瞬間だった。
「パパくさい!」
娘の声が不意に記憶から呼び覚まされる。
黒色の雲はとうとう限界を迎えたようで、ポツリポツリと雨粒が落ちてきた。
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