第2話 王子と従者と親友と

「それで? 学校でなんかあったんじゃねえのかよ?」

 ニコが呆れたように声をかけたとき、私は本棚の本を手当たり次第手に取っていた。夢うつつの感覚はとっくに抜けていたが、まだこれが夢だという可能性はある……いや、ないか……本に書かれているのは私の知らない知識ばかりで、しかも論理破綻のないしっかりした文章だ。

「なんかって?」

「ローワンのファンが仕掛けてきたんじゃねえかと思ったが、違ったか?」

 そういえばそんなことがあった。乙女ゲームに転生してしまったショックで、階段教室での事件などすっかり忘れていた。

「クラスメイトが、コンパクトミラーを私に盗まれたって騒いでね」

「ふうん。盗んでねえんだろ?」

「でも、私のカバンからその子のコンパクトが出てきた」

「チッ」

 ニコが舌打ちした。

「自分で入れたんだろ。はめられたな。誰だ?」

「えっとたしか……グレース=ヴァイン公爵令嬢」

 すみれ色の髪の女子生徒。乙女ゲーム『ルーキュラースの光乙女』ではいわゆる悪役令嬢、主人公を追い落としてローワンに近づこうとするキャラクターだ。

「でもニコ、なんでトラブルがあったことわかったの? 部屋に戻ってきたとき、私そんなにひどい顔してたかな」

「それもあるけど……前にも話しただろうが。おれは学園中の鏡と意識がつながってるから、鏡に映る範囲のことは何でもわかる。あの教室には鏡がなかったけど、コンパクトミラーが開いただろ。あのあとすぐに閉じられちまったけど、ヤな空気は伝わってきたし、そしたらおまえがすげえ顔で帰ってきたもんだから」

 ニコは苦しげに目を伏せた。

「心配したんだぜ。おれは鏡で、何かあったとしても助けにはいけねえから」

「ニコ……」

「でもまさか頭を打って、自分が他人だと思い込んで帰ってくるなんて……」

「ニコ、それは誤解」

 きっとこの誤解は永遠に解けないだろう。さっき以上にうまく説明できる気がしない。

 説明できないと言えば、コンパクトのこともそうだ。グレースは私が逃げたあとで好き放題言っているはず。そうでなくとも教室中の目が白く、ローワンまで失望していたようなのだから。

「あっ」

 しまった、それで思い出した。

 どうしよう。ローワン、彼までだまされてるのはマズい。

 攻略本に書いてあったのだ。ローワンからの好感度が1を切ると、強制的にバッドエンディング。ゲームオーバー後の展開は姉からの話でしか知らないが、闇に支配された王国で、ユウクプレシアが塔から飛び降りる一枚絵スチルがあるとか言っていた。突然現れた"死"の立て看板に頭を抱える。

「おしまいだ。私が弁解したところで誰も信じてくれないだろうし……」

「なにあきらめてんだよ。悪いのはグレースだろうが」

「だってあっちは貴族のお嬢様で、こっちは平民だよ。発言力が違う」

 つい泣き言をこぼすと、ニコがムッとして私をにらんだ。思いのほか強いまなざしに射抜かれ、息をのむ。

「おまえが、自分はユウじゃねえって思ってることはわかったよ。でも見てみろ、今鏡に誰が映ってる?」

 怒った顔をしているニコは、それでも鏡の像なので、姿かたちは私と一緒だ。

 私と――いや違う。ユウクプレシアと一緒だ。

「はたから見りゃおまえはユウなんだよ。んで、ユウはちゃんと周りと人間関係を築いてきた。邪険にされてもあきらめなかったし、友達もできた!」

 たしかにユウには親友がいる。

「友達を信じてやれよ。おまえの言うことに、耳を傾けてくれる奴はいるんだから!」

 その子ならユウの相談に乗って励まし、みんなの誤解を解くのに手を貸してくれるだろう。

 ……そこまで考えて、げんなりする。つまりがその子に相談して、が助けを求めなきゃならない。ユウクプレシアはここにいないんだから。

 紐なしバンジージャンプと天秤にかけてしばらくうなった末、私はため息をついて肩を落とした。死ぬよりゃマシだ。

「わかった、ニコ。誤解解けるように頑張ってみるよ」

「その意気だ」

 コンコン! 計ったようなタイミングで、部屋のドアがノックされた。

「だっ誰?」

「噂をすれば、だな。さっき廊下の大鏡の前を通ってこっちに向かってるのが見えた。ローワン王子と従者のファーガス=オークランド。それからおまえの親友、メイカ=エイプリルだよ」

 恐る恐るドアを開けると、廊下にはニコの言う通りの三人。「ユウ!」とローワンが先陣を切り、部屋に足を踏み入れた。

「ユウ、さっきはすまなかった。君が盗みをするはずもないのに、グレースに丸め込まれそうになった。メイカが目を覚まさせてくれて……」

「ユウさんが卑怯なことをするなんて、あり得ませんもの! 私は信じてますからねっ」

「きっとグレースの自作自演だろう? みんなにはそう言っておいたよ。まだだまされている生徒もいるけど、誤解はすぐに解いてみせる。だけどまずは君に謝りたくて。部屋に入れてくれないかい?」

 なんと。まだ何もしてないのに、もう全部わかってもらえてしまった。

 メイカが持ってきてくれた荷物を受け取りながら、私は数秒言葉もなかった。ユウクプレシアの人望に驚き呆れる視界の端に、「だから言っただろ」とでも言いたげに口角を上げるニコが映った。




「カバンを置き忘れてしまったんだね。それはいつ?」

「一限後、講義室から移動するとき。すぐに気づいて取りに戻ったけど、コンパクトを入れられたならそのときしかないと思う……わ」

 終助詞の「わ」をつけたしゃべり方は日本語では女言葉と呼ばれる。いつもの私とは違う言葉遣いだけど、幸い私は読書好きでフィクショナルな口調に慣れている。

 押しかけて来た客人たちは、暖炉の前の椅子に座って会議を始めた。議題の中心である私はもちろん強制参加だ。ユウクプレシアにとっては頼りになる仲間たちでも、私からすれば他人なので居心地が悪い。とはいえ、贅沢言ってる場合じゃない。

「証拠は……誰か目撃していれば証言してもらえるかしら。それか、グレース本人が認めれば話が早いんだけど」

 鏡に目をやると、ニコはただの鏡像のように私の言葉に合わせて口パクしていた。客人たちはニコがしゃべるということを知らない。

「すみません、ひとつ気になったのですが」

「ファーガス、何が気になるんだい?」

「鏡はグレースさん自身が入れたのでしょうか? グレースさんは一限目のあと、すぐに教室を出ていましたが」

 小さく手を上げてファーガス=オークランドが発言した。褐色の肌に黒髪黒目の彼は、学生としてではなく王子の従者としてここにいる。

「でもお友達の二人はどうですの? グレースさんにはいつも一緒の二人がいますわよね」

 メイカが尋ねた。焦げ茶髪をおさげにした小柄な彼女は、貧しい男爵家出身のしっかり者だ。

「ああ、彼女たちはずいぶんギリギリまで残っていました」

「あの二人が代わりに鏡を持って、講義室でチャンスをうかがっていたのでは?〈ラレーネ・ロー〉で買った量産品ですもの、グレースさん以外の手にあっても変に思われないでしょうし」

 家柄のためか庶民のユウに同情して、編入当初からただ一人ユウに優しくしてくれていた。倹約家の一面もあり、周りの生徒の持ち物をよく見ているのもそのためだろう。あのコンパクトが量産品だなんて、私は気づいていなかった。でもそれなら……。

 視界がパッと開けて、心が晴れやかになる。人に頼らなくても、なんとかなるかもしれない。

「よし、今日と同じ生徒たちが集まる場でグレースを問いただそう。絶対にユウの潔白を証明してやる」

 ローワン王子が紫の目を強く輝かせる。しかし私は軽く手を上げてそれを制した。

「いえ、大丈夫よ」

「え?」

「グレースには私から話してみるわ。自分でできるから、みんなは帰って」

「自分でって……君一人で!?」

 ローワンが大袈裟に驚く。ニコも鏡像の擬態を忘れてぎょっと両目を見開いた。

「一対一の方が、落ち着いて話せるもの」

 というのも本当だけどもっと言うと、私を嫌っている人と話す方が気が楽だ。私を善人と信じる人の期待を裏切るのはつらい。元から嫌われてる相手なら、好感度が下がって行く様子をいっそエンタメとして鑑賞できる。

「それに大勢の前で告発なんてダメよ、追い詰めてしまうわ」

「慈悲をかける必要はないだろう」

「慈悲じゃないわ、窮鼠猫を噛むというでしょう。でもネズミだって本当は猫を噛みたくないはずよ。こちらも噛まれたくなければ、逃げ道を用意しておかなければ」

「……今、すごく自然にグレースをネズミにたとえたな」

 しまった、さっそく何らかの期待を裏切ったらしい。っていうか上品な人たちは怨敵をネズミにたとえないのか? じゃあ何に例えるんだ?

「とにかく私は平気だから、講義に行ってちょうだい。もうお昼休みが終わるわよ」

「ユウは?」

「午後の講義はお休みするわ。色々考えたいことがあるし。メイカ、先生に言っておいてくれる?」

 適当に言い訳をして、三人を部屋から追い出す。

 しかしローワンは部屋を出る間際に振り返って、他の二人を締め出す形でドアを閉じた。二人きりの部屋で、私の手を握る。

「頼って欲しいんだ、ユウ。君の力になりたい。僕を信じてくれないか」

 ローワンが裏表のない人間なのは知ってる。設定表プロフィールに書いてあったから。

 だから信じられないわけじゃなくて、完全に私の側の問題。

「せっかくだけど」

 他人に迷惑をかけるのは重荷だ。愛情や善意で注がれるものに、私は同じ量を返せないから。

「大丈夫よ。自分で何とかできるから」

 私が手をほどくとローワンは眉を寄せ、物言いたげな目を伏せた。

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2025年12月27日 07:00

ユウと鏡の中のニコ〜乙女ゲームのヒロインになったけど、どうしても内面がにじみ出る〜 矢庭竜 @cardincauldron

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