ユウと鏡の中のニコ〜乙女ゲームのヒロインになったけど、どうしても内面がにじみ出る〜

矢庭竜

第1章 人望以外の方法でハッピーエンドを目指す

第1話 転生令嬢と鏡オバケ

「ほーらっ、私のコンパクトだわ! やっぱりあなたが盗んだんじゃない!」

 嬉々として私を糾弾するのは、すみれ色の髪を揺らす少女。傍らに立つ金髪の少年が、紫の瞳に落胆を浮かべた。

「ねっ、ローワンさま。私の言ったとおりだったでしょ?」

「ユウ……君がそんなことをするなんて。ほしいものがあるなら、僕がいくらでも……」

 どちらかといえば悪夢に分類されるだろう。どうやら私は今、盗みの罪を――犯した覚えもない罪を――責められているらしい。

 ここは学校か何かだろうか。階段教室のいちばん下、つまりいちばん目立つ場所で、私は私物を机に並べさせられていた。ペン、ノート、櫛にハンカチ、地味で安っぽい日用品の中、きらびやかなコンパクトミラーだけが場違いだ。身じろぎした拍子に足が机にぶつかり、コンパクトの蓋がぱかりと開いて、見下ろす私の顔が映った。

 ミルクティー色の長い髪。両の目は、穏やかにまなじりの下がったペリドットグリーン。

 え、誰。

「……ない」

「なんだ、ユウ?」

「私じゃない!」

 叫んで、私は駆けだした。

 ホールを駆け抜け外に出ると、正面には今出てきたのとそっくりの建物。来たことも見たこともないはずなのに、私はこの場所を知っている。

 正面の建物は学生寮だ。

 目指す部屋は最上階のいちばん奥。

 ドアを開けるとすぐに目に入る暖炉の上には鏡があって、そこに映った少女の虚像が心配そうにこちらを向いた。

「おいユウ? 何があった? 泣きそうな顔してるぜ」

 そう、この鏡はしゃべる。そのことも私は知っている。

 私はつかつかと歩み寄り、虚像と額を突き合わせるくらいそばまで顔を近づけた。

「鏡よ鏡、鏡さん。お願い、教えて。私は誰?」

「ユウクプレシア=ケイシー、十七歳。平民の家に生まれたごく普通の少女だけど、額の星形のあざが聖女の証とされ、王立学園に通うことに。なんだかんだあって学園に入りこんだ闇の手先を追い出し、なんだかんだあって第一王子ローワンとイイ感じになったけど、このところ、ローワンに熱をあげてたファンの一部が怪しい動きを見せていて……?」

「前回までのあらすじ風に言ってくれてありがとう」

 私はへなへなと暖炉の飾り棚マントルピースにもたれた。ハイスピードで回る頭に、鏡面の冷たさが一抹の癒しだ。

「どうしたんだよ、ユウ。頭でも打ったか?」

「そんな感じ。鏡よ鏡、ちょっと聞いてくれる……?」

「いいけどその変な反復表現、何?」

「私は荒木あらきユウキ、高校二年生、一介の読書オタク、つい最近人間関係のもつれから文芸部を退部。――ここまでOK?」

「何もOKじゃねえな。何ひとつOKじゃねえ」

 鏡が呑み込んでくれなかろうと、今言ったことはすべて事実だ。私には、日本の高校生としての記憶がある。

 そして日本での記憶を引っ張り出せば、その中には鏡に映った少女の顔も浮かぶ。ミルクティー色の髪、ペリドットグリーンの優しげな瞳。

 なんて悲劇だ。

 この私が、乙女ゲームのヒロインに転生した。




 『ルーキュラースの光乙女』は、ヨーロッパ風の異世界が舞台の恋愛シュミレーションゲームだ。平民の少女ユウクプレシアは人を信じる気持ちの強いお人よし。王立学園ではその人望で様々な困難を乗り越え、ついには王国に迫る闇の勢力を追い払うのだ。人望! 恐ろしい言葉だ。

 もちろん恋愛がメインのゲームなので、友達だけではなく、何人か『攻略対象』がいる。さきほどの階段教室にいた第一王子ローワンはゲームソフトのパッケージにいちばん大きく描かれていた、トゥルーエンドの相手。生粋の夢女子たる姉は、彼がお気に入りだったはず。

 なんて色々語ったけど、このゲーム、私は実際にプレイしたことはない。姉から話を聞いたのと、あとは攻略本を退屈しのぎに読んだくらい。だからストーリーも半端にしか知らないんだけど、そんな程度の情報からもわかることがある。

「ユウクプレシアは、人間関係に熱心なタイプじゃん……?」

「えっと、うん、おまえはそうだな?」

「違う、違うんだよ私はユウクプレシアじゃないの! 真逆なの、コミュ力で世界を救うユウとは真逆で……人と話すだけで体力削られてく、そういうタイプなの……!」

 だてに人間関係のせいで部活をやめていない。人望! その言葉を聞くと鳥肌が立ってしまう。

「……さっきから言ってることまとめるとさ、おまえは自分がユウクプレシアじゃねえって、そう思ってんだな?」

 鏡の中の少女に問われ、私はうなずいた。

 今、私は暖炉の前に立ち、鏡の少女に向き合っている。少女の方も同じポーズだ。どうやら自由に動かせるのは顔の輪郭線の中だけで、首から下は私の鏡写しにしかできないらしい。

 重心を片足に置いただらしのない立ち方は、髪の長い大人しそうな女の子には似合わない。だけど虚像の少女は口調もずさんなので、一周回ってこれが正解に思えてくる。

「そう、そういうこと、鏡さん」

「おれを鏡さんなんて呼ぶのも、おまえがユウじゃねえからか? おれの名前、覚えてねえの?」

 ポーズは変わらないが、唇が少し尖る。ペリドットの瞳にもすねたような表情が宿った。

「ううん、名前は知ってるよ――ニコ。攻略本には載ってなかったけど、ユウクプレシアとしての記憶も消えたわけじゃないから」

 寮に初めてやってきた日に自分を飛び上がるほど驚かせた鏡のオバケに、ユウクプレシアはニコと名付けていた。ニコは私の言葉を聞くと、ますますいぶかしげに目をすがめた。

「……ユウ。ちょーっと、鏡に顔を近づけてみ。さっきみてえにさ」

「え? ……こう?」

 一歩足を踏み出して、暖炉に近づく。

「もっと」

 マントルピースに肘をついて、鏡を覗き込む。そういえばさっき、額がくっつくほど顔を近づけてみせたっけ。でも初めの焦りが落ち着いてみると、少し気恥ずかしい姿勢だ。なにせユウクプレシアの顔は今の私にとっちゃ他人だし、この鏡は中に本物の他人がいる。

 ニコって、性別の設定どっちなんだろう。ユウクプレシアの姿だから体は女なんだろうけど、鏡の精ならそんなこと関係ないんじゃない?

 つい視線を伏せると、「おい、目ぇ上げろ」と怒られた。ペリドットグリーンの瞳が二対、鏡面をはさんで見つめ合う。

「……これ、何の時間?」

「……おまえさ、やっぱユウだろ。目の虹彩は、他人が変装で化けられるもんじゃねえぞ」

「あっ、その時間だったのか」

 この鏡さんは虹彩認証システムを搭載しているらしい。最先端だ、いやーすごいすごい。

 そして鏡さんは、「ユウクプレシアの体に他人の精神が入っちゃった状態なので、体は同一人物です!」という話を、理解してくれはしなかったようだ。私はむなしく肩を落とした。

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